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会議嫌い。

 私は会議と称するものが嫌いである。嫌いなどというレベルではない。大嫌いである。以前勤めていた職場では『 会議をやる 』と聞いた瞬間から不機嫌になった。

 私はいくつかの職場に勤めていた経験があるが、ハッキリ言ってまともと呼べる会議を経験したことなど一度もない。私とて、いっぱしに何十年と勤め人を経験してきている。その何十年のなかで、まともと呼べる会議に出会ったことが一度もないのである。そんな経験をずっとしてきているのだ。会議と聞いただけで不機嫌になるのも当然であろう。こちとら、やらなければならないことがたくさんあるのだ。〝まともじゃないこと〟に時間を割いている暇などない。

 私は〝会議〟とは『 何かを決定するにあたり、皆から意見を聞いて、その意見の中からいいと思われるものを決める。または、それらの意見を統合して善きものを決めること 』と思っている。もしかすると、これが間違っているのだろうか?調べてみると『 関係者が集まり、討論・相談や決議をすること(大辞林より) 』とある。どうやら、私の中にある〝会議〟というものは間違いではないようだ。では、これまで私が経験してきた〝会議と称するもの〟は何だったのだろうか?

 そのほとんどが『 上の者が決定した内容を、皆の前で話すだけ 』といった趣旨のものであった。ハッキリ言えば『 自分(達)で決めた内容を、皆の前で話して「これで決まったけどいいよね?皆の前で話して、皆が納得したから正当な決定方法だよね?」という既成事実を作っているだけ 』という内容のものがほとんどであった。それに対し、何か発言しようものなら『 決まったことだから 』と、会議というものの本質とは全く正反対の方法で否定されたりする。決定事項から動こうとはせず、ひたすらああだこうだと、発言を否定する内容ばかり言ってくる。だったら会議なんかしなければいい。『 こう決まりました 』そう伝えればいいだけの話である。恐らくそれでは後ろめたいのだろう。自分一人で決めてしまった…独裁的なイメージが無くもない。そこで、会議と称して皆の前で話し、皆で決定したという既成事実が欲しいのだろう。後ろめたさ解消のための既成事実作りに付き合わされるのだ。付き合わされる方は、たまったものではない。

 時には『 皆で決めよう 』という趣旨を謳った会議もあったが…これもたまったものではなかった。『 決めよう 』というからには『 決める 』という目的がある。つまり、最終的に『 決める 』ことにたどり着かなければならない。例えば、あることを決めようとした時。A~Eまで5つの案が出たとする。この場合、A~E案の内容を具体的に提示し、それぞれの長所と短所を明確にすることが最初に行うべきことだと思う。そして、それぞれの長所・短所を比較しながら、想定される状況下で目的を遂行するためには、どれが一番適切かを吟味していく。例えば吟味の結果C案、D案が残ったとする。後はC案、D案、どちらがより有益なのかを、その特徴から判断していけばいいはずなのだが…。私が出ていた〝会議と称するもの〟では…紆余曲折しながらもC案、D案のいずれかという所まで辿り着いた(辿り着くまでにも、様々な問題点があったのだが、ここではあえて省略させてもらう)。で、C案、D案どちらがいいか?ということで話し合いが始まるのだが…ああだこうだ話しあっているうちに『 やっぱりB案がいいのではないか 』という意見が出る。まあ、人間が決めることだ。多少の誤差はある訳だから、やはりこちらの方が…ということがあっても致し方ない。そこで、B、C、Dの中から選択という話し合いが始まることになるのだが…その話し合いを聞いていると、どうも先ほどの『 A~Eまでの案を吟味する 』時と全く同じような話し合いがなされているような…と、チョット待て!今はB案、C案、D案の中から選択ということで話し合いをしているのではないか?いつの間にA案が選択肢の一つに加わったのだ?『 A案は先ほど却下されたのでは? 』などと言おうものなら『 だから、今話し合いで、A案も復活したじゃないか!話を聞いている? 』などと怒られる羽目に。イヤイヤ、話し合いをしているのは会議で熱くなっているあなた方一部の人間であって、他の出席者は何を話しあっているかも分かっていない状況なのだ。そう、出席している人の大部分をほったらかしにして、一部の人間達だけが熱い話し合いをしているだけの状況となっているのだ。実は、この〝熱くなっている一部の人間〟が〝会議好きな人間〟なのであるが…。こうなると、もう会議とは言えない。単なる〝一部の会議好きな人間達〟の自己満足の場である。『 会議の場で話し合いに参加しない人が悪い 』という声もあるだろうが…今、何を話しているか参加者が分からないような会議で、何をどう発言すればいいというのだろう?一部の〝会議好きな人間達〟の自己満足で行われるなら、その人達だけでやっていればいいのだ。その後、その会議好きな人達の話し合いの中ではE案も復活し、再度、A~Eまでの案を吟味する〝無限ループ〟が始まったことは言うまでもない…。そうして、何も決まらないまま、ただ時間だけが空しく過ぎていく…。〝会議好きな人間達〟の自己満足な激論をよそに…。

 日本人の会議が長いことは世界的に有名である。外国の方から言わせると『 無駄、長い、多い 』が日本の会議の特徴だとか。もちろん、我が国の人間の中でも、同じ声を上げている方は多い。外国の方からのご指摘も頂き、なおかつ我が国の中にも、それと同じ声を上げている方が多いのに、未だ前述のような悪しき会議は横行しているようである。確かに以前に比べ、悪しき会議は少なくなってきているとは耳にするが…『 会議なんですよぉ… 』とため息交じりに話す知人は、一人や二人ではない。やはり、会議が仕事の支障になっている場合が未だ多いようである。本来、仕事をスムーズに進めるために会議というモノは行われるはずである。その会議が、仕事の支障となっているとは何とも皮肉な話である。まあ、〝会議好きな人間達〟にとっては、自己満足に酔いしれることが出来る格好の場ではあるのかもしれないが…。

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2015年9月28日 | コメントは受け付けていません。 |

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弁当百花繚乱

 昨年度から、我が薬進塾では弁当の受注を行っている。もちろん、当塾で弁当屋を始めた訳ではない。台東区(わが薬進塾があるのは台東区)を中心に、弁当の配送を行っている業者(給食センター)さんがあり、そこに日替弁当を受注して配送してもらっているのである(弁当を頼む人は、用紙に記入してその旨伝えるようにしている)。その業者さん。たまたま、ポストにチラシが入っており、またまた『 通常価格400円のところ、○日~◎日はお試し価格で200円 』ということだったので、皆で頼むこととなった。実は、私がその弁当を当塾で一番目に食したのだが…まずは見た目。400円としては上々といった所(前述のように、その時は200円)。品数も多いし、食材のバランスもいい。味付けも悪くは無い…というか美味しい。ちょっとビックリしたのが、ご飯とみそ汁。まずみそ汁は、カップに入って届けられる。そう、お弁当屋さんが作ったみそ汁を、プラスチックの容器に入れて、こぼれないよう、冷めないよう蓋をして持ってきてくれるのだ。ついでに言っておくが、使い捨ての容器ではない。おかずが入っている弁当容器も味噌汁が入っている容器も、ご飯が入っているタッパにしても、全て回収・再利用されるしっかりとした作り(?)の容器である(食後はお弁当屋さんが回収に来てくれる)。だから保温性もよく、安定性よく持って食べることが出来る。ご飯の入っているタッパ、おかずの入っている弁当箱、みそ汁の容器と3種類の容器がある訳だが…弁当のタッパを持ちながら、机の上に置いてある弁当箱の色とりどりのおかずを摘みながら、時折、みそ汁を飲む。何とも贅沢な昼食となるのだが、これで400円とはお買い得としか言いようがない!そして、おかず・みそ汁もさることながら、ご飯が美味しいのも嬉しい限りである。『 美味しいご飯だなぁ 』と思ったのは、久しぶりのことであった。もちろん、塾生さん達からの評価も上々。難点はといえば…『量が多いこと 』という、難点なのか喜ばしい点なのか分からない〝難点〟である。まあ、多いといっても〝ご飯の大〟を注文して完食する塾生(女)もいる位なので、ほどほどの量である。もちろん、〝ご飯の小〟は20円引きと価格が安くなる(大盛りは普通盛りと同じ値段!)。まさに、言うことなしである。今年度は、あまりこの弁当を注文する塾生さんがいないのだが、それでも毎日2~3人の塾生さんが、必ずと言っていいほど弁当を発注している。恐らく昨年度同様、年が開けて『 食べに行く時間・買いに行く時間がもったいない 』となった時、塾にいながら食べることが出来る、この弁当を発注する人は増えることになるのだろう。時間が貴重である受験生にとっては、ありがたい次第である。

 もちろん、上記〝発注弁当以外の弁当〟を食している塾生さんも多い。何回か書かせて頂いたのだが、わが薬進塾の周りには何気に飲食店やコンビニが多い。コンビニの弁当を買って食している塾生さんも少なくはない。さらに、周りの飲食店多くが弁当の販売を行っている。中には〝本格中華〟を謳った弁当を販売している中華料理屋さがあったりもする。おまけに、その種類も豊富と来ている。実は、薬進塾の周りには何気に中小企業やオフィスが多いのだが…当然、そこに勤めている人の数も多くなることになる。そのサラリーマンをターゲットとしているので、弁当を販売している飲食店も自ずと多くなってしまう結果とになる。中には、ホカ弁屋さんよろしく、作りたての弁当を販売する〝弁当専門店〟もある。そんな弁当屋さんも塾生さんから人気が高い。中でも人気があるのが〝タコライス・ピタコ・サラダボウルの弁当屋さん〟という一風変わった弁当屋さんである。ガパオライス(タイ料理で肉類とカミメボウキをナンプラーとオイスターソースとともに炒めた料理)やタコライス、ルーローファン(台湾の煮込み豚肉かけ飯)といった、ちょっと異色な弁当である。弁当というよりは、ボウルに入っているので〝丼ぶり風〟と言ったところだろうか?実は、私はそのお店で購入し食したガパオライスが、人生初に食するガパオライスだったのだが…美味なることこの上ない!一発で虜になってしまった次第である。それは私だけではないらしく、塾生さん達も頻繁にガパオライスを食しているご様子。もちろん、ガパオライスだけでなくタコライス、ルーローファン、その他弁当(から揚げ弁当なんかもやっていたりする)もお勧めの美味しさである。どうやら、塾生さん達も色々なメニューを食しているらしく、そのお店の袋を提げて教室に入っていく様子をよく見かける。美味しいものは、皆に共通なのだ。

 前述のように、他にも色々な弁当が薬進塾の周りでは売られている。中華、和食はもちろんのこと、刺身丼の有名な店もある。ここの刺身丼も美味しく、これまたよく利用させてもらっている。メニューも豊富(メニュー全82種類)で、その上価格がリーズナブルと来ているから、やはり塾生さん達がよく利用している。

 弁当と一口に言っても、何とも多彩である。イヤ、正確に言えば『 多彩になった 』であろう。これほどの種類の弁当など、以前は無かったのではないか?スーパーやコンビニ、ホカ弁等で確かに弁当は売っていたが、それほどの種類は無かったように思う。幕の内弁当や生姜焼き弁当、から揚げ弁当等といった定番弁当に、カレーやかつ丼等の丼ものが少々ある程度…。それが、今や82種類の刺身丼から本格中華弁当、果てはガパオライス、ルーローファンといった東南アジア風丼ぶりまで、まさに百花繚乱である。これに給食センターまで乱入してきて、日替わりみそ汁付き宅配弁当まであるのだ。利用する方としては嬉しい限りである。忙しくなればなるほど、楽しみは食べること。これは古今東西変わることのない真理だと思う。そして…我々からしても、試験対策に切磋琢磨している塾生さん達には、やはり美味しいものを色々と食べてもらいたいし、その楽しみだけは満喫してもらいたい。そう思っている次第なのである。

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2015年9月23日 | コメントは受け付けていません。 |

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固執しないこともある意味重要

以前、聞いた話です。海外のジョーク話らしいのですが…

 

 ある所に『 自分は死んでいる 』と思い込んでいる男がいたそうです。もちろん、しっかりと生きているんですが、周りの人間がどんなにソレを伝えても『 自分は死んでいるんだ 』と言って聞き入れようとしない。お偉い学者さんや神父さんを呼んできて言い聞かせても『 自分は死んでいるんだ 』と譲らない。家族が困り果てて、こう言ったそうです。『 自分は死んでると言いはっているけど、じゃあ聞くけれども、死んでる人には脈が無いはずよね? 』。すると、その男『 当たり前だ!死んでいる人間に脈なんかある訳ないだろ! 』と一言。家族も手馴れたもんで、どうせ自分たちが脈を図ったところで信じないだろうから、医者のところに連れて行って脈を測ってもらうことに。医者は脈を測りながら『 あなたは自分のことを死んでいるといっていますが、この通り脈がしっかりありますよ 』と言う。すると、その男『 何てことだ!死人に脈があるなんて! 』。

 

 つまり、その男は何があっても、どんなに証拠を突きつけても『 自分は死んでいる 』という所から動かないということです。どんな人が言おうと、何を言おうと、何度言おうと、どんなことをしようと『 自分が死んでいる 』ということを大前提に、物事を考えるというお話。

 これは笑い話ですが…でも、こんな人、皆さんの周りにいませんか?人が何を言っても聞かない人。何度言っても、ちゃんとした理論で言っても、自分の考え方から動かない人。困るんですよね。さっきの死んでいると思い込んでいる男の話じゃありませんけど、どんなに正しい理論で言っても、実践的な観点から説いても、そんなのお構いなしに自分の意見・考えにしがみついてる人。自分は正しいと思っているかもしれませんが…。以前書いた『 事実を否定する人 』というブログは、そういう困った人について書かせて頂きました。

 そこまで困った人ではないのですが、やはり『 思い込みから動けずにチョット困ってしまう人 』は、何気にいます。学習指導なんかしていて『 こうした方がいいよ 』などと指導すると『 イヤ、でも私は… 』なんて言う具合に言ってくる方がそうのですが…。そのやり方が正しいやり方で、さらにそれなりの成果を上げていれば、何の問題もないのですが、どう見ても勉強のやり方としては芳しくないやり方。さらに、勉強をしているとは言っているものの、成績の方は芳しくないと言ったご様子。自分のやり方にこだわるのは、悪いことではないのですが、やはりそのやり方で、それ相応の結果が出ていないとなると、やり方や考え方は改めなければなりません。少なくとも成績を伸ばしたいのであれば…。

 実はこういう人を指導するのは、中々大変のなことなのです。前述の〝死んでいると思い込んでいる人〟と同じように(まあ、そこまで大変ではありませんが…)、こちらがいくら指導をしようとも『 自分のやり方は間違っていない 』ということが大前提なっていますから、なかなか動いてくれないんですよね。冒頭のジョークの男は『 この通り脈がしっかりありますよ 』と言われると『 何てことだ!死人に脈があるなんて! 』となりましたが…なかなか自分のやり方を変えない人に『 でも成績は上がってないですよ 』と言ったところで『 何てことだ!正しい勉強方法なのに、成績が悪いなんて! 』となるような…というか、そうなっている方もいらっしゃいます。イヤイヤ、笑い話ではありません。何気に、こういう方は多いのですから…。

 前述のように、自分のやり方にこだわるのは、悪いことではありません。実際、私は『 自分のやり方を見つけなさい 』とか『 自分のやり方でやりなさい 』と、『 自分のやり方を大切にする 』指導をしています。学習指導だけではなく、様々なところで『 自分のやり方を大事にする・自分のやり方にこだわる 』よう指導しています。しかし、固執するのは良くありません。固執とは『 意見・態度を強固にして、簡単に変えないこと(大辞林より) 』こととあります。ここでいう所の『 意見・態度 』とは『 自分の誤った勉強方法 』ということになります。確かに誤った方法であれ、〝自分のやり方〟かもしれません。しかし、大切なことは『 自分のやり方は1つではない 』ということ。そう冒頭の話とは違い、『 何てことだ!正しい勉強方法なのに、成績が悪いなんて! 』の〝正しい勉強方法〟は沢山あるのです。だったら〝誤っている自分のやり方の一つ〟を手放して〝正しい自分のやり方の一つ〟を見つけてみた方が、良くはありませんか?

 新たなる自分の勉強方法を見つけるのも、試験対策にとっては重要な事です。もちろん、アレもコレもと闇雲に変えてしまうことは良くありません。『 何がいけないのだろう 』『 どうすれば、やりやすくなるのだろう 』そう考えて、良い方向に勉強方法を変化させていくことは重要です。勉強方法は一種類とは限らないのですから…。『 私はこのやり方を… 』という気持ちが分からなくはありませんが、ここはやはりシビアに成果を捉えて『 やり方を変えてみようかな 』となった方が、案外、良いやり方が見つかるかもしれません。一応、こちらもプロですから、そういった意見に耳を傾けてみるのも悪くはないと思いますよ。

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2015年9月14日 | コメントは受け付けていません。 |

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ポエム化現象。

 日常生活の中で『 何だその言葉は?そういえばチラホラ耳にするな… 』という言葉が、時おりある。〝ポエム化現象〟という言葉も、そういった言葉の一つ。こう見えても、好奇心は旺盛な方。で、いつものように調べてみると…ズバッと説明しているモノが、なかなか見当たらない。それでもと調べてみたところ…コラムニスト・小田嶋隆氏が、その著書の中で詳しく書かれているとのこと(小田嶋隆氏は、著書以外にも〝ポエム化〟に関しては、様々な方面で説いていらっしゃいます)。他にも調べてみると…具体的には、世の中が『 友情 』『 希望 』『 仲間 』『 絆 』『 夢 』『 チームワーク 』等というような、耳ざわりのよい言葉で溢れかえっている現象だそうで。こりゃあ確かに厄介な現象だ!小田嶋隆氏は、著書の中、日本がポエム化している状況に警鐘を鳴らしているとのことであるが、至極もっともなことだと思う。

 私は、薬剤師国家試験対策の講師以外にもいくつかの仕事を持っている。仕事によっては、関わるスタッフの数が多いものもある。皆、それぞれの部署でのプロのスタッフである。そして、皆で一つの仕事を作り上げていっている。だからといって『 皆でこの仕事を成功させよう! 』と声を張り上げ、スクラムを組んで『 オ~ッ! 』なんてやったことなど、未だかつて一度もない。『 同じ仕事を成し遂げるという仲間として、チームワークで… 』なんていう具合に、皆で熱く語り合った事もない。大体そんな言葉、口にしたこともなければ、耳にしたこともない。第一、忙しいし…。自分の仕事をやることだけで皆精一杯なのである。そして、自分の仕事は責任を持ってやる。それだけである。『 自分の仕事をやることだけで皆精一杯 』であると書かせて頂いたが…。じゃあ、他のスタッフのことは考えないで仕事をしてるのかというと、そうではない。自分のやるべき仕事をしっかりやっていれば、他のスタッフのことも見えてくるのだ。『 ここにいたら○○さん達の邪魔になるな 』とか『 こうしたいけど、あちらのスタッフさんの負担になっちゃうな 』ということが、自然と見えてくる。だから場所を移動したり、本来自分としては『 こうしたい 』と思うことがあっても、抑えたりする。そんなことは日常茶飯事である。そんなこちらの意図を理解してくれて、『 悪いね 』とか『 助かるよ 』と言ってくれるスタッフもいる。もちろん、私だって他のスタッフから、色々な気遣いをしてもらうことも、これまた日常茶飯事である。そうやって、お互いに仕事を進めていく。これが、本当の意味でのチームワークなのではないか?何も大声で『 チームワークで夢を達成しよう 』と叫んで手と手を取り合う必要もなければ、円陣組んで『 皆でやり遂げるぞ~! 』と声高らかに言う必要もない。自分がやるべき仕事をやる。そうすれば、自然と周りが見えてくる。そして、周りを気遣いながらも、自分が出来る限りのことをする。そうして一体感が生まれる。これが、プロの仕事のやり方であり、そうして生まれる〝一体感〟こそが、恐らく『 本当の意味でのチームワーク 』と呼ばれるものではないだろうか?

 実はさっきから『 チームワーク 』と書かせて頂いているが…この言葉を使う度に、背中がゾゾゾゾゾッとするのだ。これもポエム言葉だからなのだろう。言葉は非常に便利なものである。しかし、あくまでも自分の考えや思いを抽象化したモノにしか過ぎない。早い話、全てを伝えている訳ではなく、伝わりやすい部分のみを表現しているだけともいえよう。感情・思考は、ある意味〝切り捨て〟されて、言葉として発せられているのだ(だからこそ、話し方や伝える雰囲気が重要になってくるのだが…)。そういう考え方もあってか、私は感情や思考というモノは口から出すと、違うモノになってしまうような気がするのだ。ハッキリ言ってしまおう。『 友情 』『 仲間 』『 絆 』『 夢 』『 チームワーク 』こういった言葉は口に出すものではないと思う。口から出るや否や、どこか軽いもの・嘘くさいものになってしまうような気がするからだ(恐らく、切り捨てが行われていることが原因だと思うのだが…)。もちろん、これらの言葉が必要な時に、必要な条件で発せられるなら、何の問題もないと思う。しかし、そのような状況など日常生活において、そう易々とあるものではない。だから前述のような言葉は、日常生活においてそう易々と口にする言葉ではないように思うし、おいそれと口に出すと、どこか嘘くさいものになってしまうような気がするのだ。口に出して『 仲間だよね 』となると…どこか胡散臭い。口に出さずとも、前述のように、自分のやるべき事をしっかりとやってさえいれば、自ずと、そういったものは生まれてくるはずである。あえて口に出さずともだ…。

 国家試験対策においても同じことが言える。何度もブログで書かせてもらったが、最後は一人である。一人の強さを持たなければならない。試験対策というモノはそういうものであるし、基本的に勉強とは一人でやるものである。『 仲間同士で… 』などという人を否定する気はないが…そういうことをやっていると、いらぬ人間関係で苦しむことになる場合が多いようである。本来、試験対策というモノは『 仲間同士で… 』といったものではないからである。試験対策は、自分の状況に合わせて、その状況で出来る限りのことをやらなければならない。『 自分の状況に合わせる 』とあるが、自分の状況というものは往々にして他人の状況とは異なるものである。人の状況に合わせられない場合があるのも当然。だからこそ『 一人でやるもの 』だと言っているのである。といって、他の人のことを考えなくなるかというとそうではない。前述の私の仕事の一件のように、それぞれがやるべき事をやっていれば、自ずと周りの人のことも見えてくるし、考えてあげることもできるようになるのだ。ウチの塾生さん達には、〝やるべき事を成すことによって自然と生まれる一体感〟を持ってもらいたいなと切に願っている次第である。そして…私の背中がゾゾゾゾゾッとなるようなポエム言葉に陶酔することがないようにと、やはり切に願っている今日この頃なのである。

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2015年9月7日 | コメントは受け付けていません。 |

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