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慣れは怖い。

 わが薬進塾の第101回国家試験対策・一年制コースが始まって、もうすぐ1か月になろうとしています。時の経つのは早いものです。わが薬進塾の精鋭講師陣も、ほとんどの方が1回目の講義を終えた状況にあります。ご存知のように、薬進塾の6~8月は基礎講座。国家試験の基礎の基礎を、しっかりと勉強して理解していく期間になります。9月からは、そう時間もかけられない所。今から覚えておいた方がいい所。国家試験対策において、しっかりと把握しておかなければならない基本的事項。そういった『 基礎的事項であり、かつ重要であり、今からしっかり理解しておかなければならない内容 』を、各講師陣が担当科目の中から探し出してきては、時間をかけてしっかりと講義しています。薬進塾の講師陣は、基本的にどの講師も講義が好きな先生ばかり。ですので、『 先生が今から覚えておいた方がいいとか、国家試験対策において、しっかりと把握しておかなければならないとか、そう思ったところを講義してください 』というと、『 う~ん、そうだなぁ… 』と皆さん頭を抱えながらも、アレがいい、コレをやってみては…と教材を作成しては、講義を組み立ててくれています。いざ、講義が始まる前になると…どの先生も、作成した教材を見ながら、険しい顔つきで講義進行を考えているご様子。そんな講師陣を見る度に『 本当にいい先生方が来てくれて感謝 』と思う次第です。

 かく言う私も、自分の講義前は各先生方と同じ状況になります。緊張しながら、作成した教材を見て講義進行を考えます。『 講師なのに講義前に緊張するんですか? 』という方もいらっしゃるかもしれませんが…緊張しますよ。私は講師歴ウン十年になりますが、未だかつて講義前に緊張しなかったことは一度もありません。講義前は、毎回毎回緊張します。自分の学校での講義はもちろんのこと、大学であろうと、専門学校であろうと、研修で依頼された講義であろうと、毎回必ず講義前は緊張してきました。講義だけではありません。講演を依頼された時も、学習指導を依頼された時も、それが始まる前はいつも必ず緊張していました。

 以前、ある企業から講演&学習指導を依頼された時のこと。担当の方に、『 (講義や講演等は)何度やっても、毎回緊張するんですよ 』という話をしたところ…その方曰く『 そうなんですか。でも、先生はそれがあるから、色々とご活躍できるんですよ。それがなくなってしまえば、ダメなんだと思います 』とのこと。まったくもってその通り。自分でも『 講義前の緊張がなくなった時が、講師として終わりだな 』と常日頃から考えていましたから。常日頃から考えて、早ウン十年。未だ講義前に緊張しているところをみると、まだまだ講師として現役でやっていけるのかな、などと考えている所存です(笑)。もちろん、わが薬進塾の講師陣も、講義前のご様子から察するに、まだまだ現役でバリバリとご活躍が期待できる方ばかりのようです(再笑)。

 緊張しないコツは慣れることだそうです。逆を言うならば、慣れてしまうと緊張しません。講師も、講義をすることに慣れてしまえば緊張しないのでしょう。しかし、それはいいことでしょうか?確かに悪い緊張というものもあります。しかし、必要な緊張もあります。大リーグで活躍しているイチロー選手は『 僕は常に緊張している 』と言っています。イチロー選手の活躍を知らない人はいないとは思いますが…もし、イチロー選手に緊張が無ければ、数々の偉業は達成されなかったと思います。

 緊張するのは、『 新たに事に取り組む 』からだと思います。新しい局面に接する。だから、緊張するのだと思います。何度も何度も行ってこようとも、常に新しい局面だと思って接する。そう、同じ局面など一度もないのです。次に接する局面は、常に初めての局面であり、未だ経験してきたことにない局面なのです。だからこそ緊張するのです。だからこそ緊張しなければならないのです。イチロー選手の言葉は、それをしっかりと捉えている言葉なのだと思います。どんな局面であろうとも、初めて挑む局面、新たに挑む局面と捉えなければなりません。プロと言われる人たちは、皆そうやって仕事に当たっています。何度やろうとも、新しい局面…イヤ、以前と同じ局面など存在しないのです。もし、存在するというのなら…それは、当人が『 前と同じだな 』と認識した時だけです。そう、慣れによって、初めての局面であること、新しい局面であることを認識する能力が曇ってしまった時なのです。新しい何かを、今までとは違う何かを捉えようともせず、ただ概観だけで判断し、今までと同じものとして対処してしまう。その行為は、新しい何かを、今までとは違う何かを見逃してしまうことになります。そして、そこには必ず隙が生まれます。慣れは隙を作り、隙は油断を産む。そして油断は…あらゆる厄災を引き連れてくることになります。そう慣れは怖いのです。

 薬進塾の一年制コースが始まって、もうすぐ1か月。今年の塾生さん達は、まじめな方が多く、朝も早く来て勉強。放課後も残って勉強。昼休み中も、ご飯を食べながら勉強…なんて言う人が多く、『 今からそんなに飛ばして大丈夫かな? 』と、チョット心配してしまうほどです。そんなまじめな塾生さん達ですが、通い始めて一ヶ月近くなるそろそろ、『 慣れが出てきたのかなぁ 』なんて感じることもチラホラ。前述のように慣れは怖いもの。それが試験対策とあれば、なおさらのこと。塾生さん達には、いつも新たな気持ちで講義に臨んでもらいたいと思うとともに、我々講師陣も日々新たな気持ちに講義に臨まなければ!そう思っている次第です。何といっても『 慣れは怖い 』ですから…。

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2015年6月28日 | コメントは受け付けていません。 |

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アメリカンドッグの味よ、再び!

 以前『 チョコバナナの可能性は如何なるものか? 』というブログの中でも書かせてもらったのだが、私は祭りが好きである。そして『 何よりも祭りにつきものである屋台が大好きなのだ。例え、普段手に入る食べ物であろうと、祭りの屋台で買って食べるモノは、その美味しさも一入である 』と書かせてもらったように、祭りで売っている食べ物が大好きである。昔から祭りの屋台の定番である、たこ焼きやお好み焼きはもちろんのこと、最近は和牛串焼きなどという、新参メニューを目にする機会も多くなっている。何ともバラエティー色豊かな『 祭り食 』となっているのだが、前々から一つ気になることがある。ホットドッグ屋が見当たらない…。

 後年になって気が付いたのだが…アレは〝ホットドッグ〟という名前ではないらしい。正式名称というか最近の呼称では〝アメリカンドッグ〟または〝フレンチドッグ〟というそうである。串に刺さったソーセージに衣がついて揚げられているアレである。私が子供の頃は、皆〝ホットドッグ〟と呼んでいた。お祭りや海水浴場での屋台では、子供たちから物凄く人気があり、かくいう私も大好物であった。しかし、いつの頃からか、お祭りの屋台で見かけることが無くなってしまった。それと並行するかのように、スーパー・コンビニ等でそのホットドッグと称する食べ物を見かけるようになったのだが…名前は〝ホットドッグ〟ではなく〝アメリカンドッグ〟になっていた…。

 そのアメリカンドッグ。名前だけではなく味もすっかり変わってしまったようである。私が子供の頃に食べていたアメリカンドッグ(旧名ホットドッグ)は、中のソーセージが魚肉ソーセージだった。魚肉ソーセージに割り箸が刺さったモノに衣をつけて揚げる。衣はホットケーキの粉(ホットケーキミックス)なのは同じであるが、私が子供の頃食べていたアメリカンドッグは、衣が薄められていて非常にカリッとした仕上がりになっていた。恐らく、経費削減のための希釈措置なのであろうが、それが功を成し、大変おいしい仕上がりとなっていた。カリッとした仕上がりにほのかな甘さ…何が功を奏すのか分からないものである。

 現在、一般的に広く販売されている〝新アメリカンドッグ〟は、中のソーセージが魚肉ではなく、鳥獣類の挽肉を使った、これまた一般的に〝ソーセージ〟と呼ばれているものを使用している。そのソーセージに刺さっているのも、これまた豪勢な〝太めの串〟である。間違っても割り箸(それも割られた1本)が刺さっていたりはしない。衣もの方も、ホットケーキの粉をふんだんに使っているのか、厚くふっくらしたものとなっている。以前のものよりも、贅沢な作りとなっていると言えるかもしれない。しかし…少々重たく感じるのは私だけだろうか?一般的なソーセージは、肉汁がジューシーである。アメリカンドッグに使われているソレとて例外ではない。そこに、ホットケーキの粉をふんだんに使った、厚くふっくらした衣がついている。衣だけでもしっかりと甘く、十分な美味しさだ。この2つの食材に、当然かけるであろうケチャップの味を含めるとなると…私的には味が濃いというか、いささか重たいものに感じてしまうのだ。『 子供の頃の思い出として、昔の方が美味しく感じられるのではないか? 』という方もいらっしゃるかもしれないが…先ほど『 それと並行するかのように、スーパー・コンビニ等でそのアメリカンドッグと称する食べ物を見かけるようになった 』と書かせてもらったが、私が中学生の頃はちょうどその並行時期で、新旧どちらのアメリカンドッグも存在していた。当然、どちらも同じ時期に食していたのだが…やはり、新アメリカンドッグは味が濃いというか、いささか重たいように感じていた。

 個人的には、魚肉ソーセージに薄い衣がついている〝旧アメリカンドッグ〟の方が好きである。魚肉ソーセージが一本使われているので、現在のアメリカンドッグと比べて1.5倍以上の大きさはある。衣も薄くカリッとしているので、衣の味が前面に出ることもない。油で揚げられてはいるが、表面の衣だけが油に接しているので、中の魚肉ソーセージはホクホクであり、より一層、魚肉ソーセージの味が引き立てられている。カリッとした感触に、ほのかなホットケーキの甘みを感じつつも、ホクホクとした魚肉ソーセージを堪能する。それにケチャップの酸味のアクセントが入り、なんとも言えない至極の味わいが奏でられることになる。

 チープな食べ物と言えばそうかもしれない。しかし、美味しいのは事実である。最近はこういう〝素朴な食べ物〟が少なくなってきているよう思える。豪華な食材を使って、豪勢に仕上げられた料理も確かに美味しいのだが…。チープさが生み出した美味しさ。これもある種、至極の美味しさではないだろうか?しばらく、この至極の美味しさを味わっていないのだが…。あの頃は確か1本100円であったと思う。こんなことなら、一気に3本くらいまとめて買って、しっかりと味を堪能しておけばよかったと、いささか後悔している。まあ、大人になった今だからこそ、できることではあるのだが…。どこぞで、この旧アメリカンドッグを食することはできないものであろうか?何としても、あのチープなそして豪勢な味を堪能してみたい…そう思っている次第である。

 

 

 

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2015年6月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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見知らぬ学生 ― 後編 ―

 ある大学の先生が話してくれた〝薬進塾に在籍していたとされる学生さん〟。しかし、心当たりがないどころか、在籍確認もできない。幽霊だろうか?座敷童子だろうか?どうやら、彼らの存在意義から考えると、どちらでもないようだ…。

 第一、幽霊にせよ座敷童子にせよ在籍していた以上は、身上書を提出してもらわなければならない。薬進塾に在籍している以上、身上書の提出に例外はないのだ。薬進塾に在籍して…んっ?薬進塾に在籍している以上…?

 先の大学の先生は『 先生の所に… 』という言葉を使っている。私は、今まで4つの薬剤師国家試験対策予備校に在籍した経歴がある。薬剤師国家試験以外の試験対策を受け持ったこともある。そういう環境にいたおかげで、講義だけではなく、学校運営に関する沢山の仕事を経験する機会に恵まれた。同時に、それに関する様々なことについて勉強することもできた。学習指導はもちろんのこと、学生管理やカリキュラム作成、パンフレット・フライヤー関連事項、試験作成やその実施方法、講義依頼や講義マニュアルの作成、スタッフの指導、学生募集関連、etc…。そういった様々な経験をしてきたからこそ、今の薬進塾があると思っている。色々な予備校で勉強してきた沢山のことが、薬進塾の礎となっているのだ。いい勉強をさせてもらった…心からそう思っている。以前、亡き父に『 何で(講師の)俺が、稟議書なんか書かなきゃいけないんだよ 』などという、まったく〝ケツの青い〟発言をしたことがあった。父は『 イヤ…稟議書を書くということも、覚えておいた方がいいぞ 』と言ってくれたのだが…全くもってその通りである。この経験があったからこそ、今の薬進塾があるのだ。父には今も感謝している。

 閑話休題…。先の大学の先生の『 先生の所に… 』という言葉は、薬進塾を指していないのではないか?それは十分あり得る。前述のように、私が在籍していた予備校はいくつかある。そこの学生さんだった可能性はある。ましてや、薬剤師国家試験以外の試験対策も行ってきたのだ。そこの学生さんの可能性も…とも思ったが、いずれも幽し(かそけし)思いつきでしかなかったようだ。先の大学の先生は、薬学の先生である。薬剤師国家試験以外の試験対策を行っている人など、知る由もないであろう。仮に関わっていたところで、そんなに深い付き合いがあるとは思えない。では、私が以前在籍していた予備校の学生さんであろうか?その可能性もまず無いといっていい。その大学の先生が、件の学生さんの話をしてきたときは、最近の国家試験、すなわち〝6年制の薬剤師国家試験(345題)〟の話題の最中だったからである。その話の最中、先生が件の学生さんを思い出したということは、ほぼ間違いなくその人物は〝6年制の薬剤師国家試験を受験した学生さん〟ということになる。薬剤師国家試験が345題となったのは、薬進塾が開塾してからのことである。『 以前、私が在籍していた予備校の学生さんが、最近、(6年制の)薬剤師国家試験に合格した 』というパターンも考えられなくもないが…そんな回りくどい内容を、前述のような会話内容で話すものだろうか?仮にそうであったとしても、『 (合格した人は)4年制卒だったから云々 』の話は必ず出るであろう。実際、4年制卒の方が合格した場合は、必ずと言っていいほど話題になる。だから、そのパターンも、まず有り得ないといっていいだろう…。

 こうなると、考えられるのは…その先生の言うところの学生さんは、薬進塾の塾生ではなかったということである。もちろん、先の『 幽霊説 』『 座敷童説 』『 薬剤師国家試験以外の学生さん説 』『 4年制卒説 』以外にも、いくつかのパターンが考えられなくもないが、物凄くハイレベルでエキセントリックな考え方をしなければならない。チョットした推理小説をも凌駕する、存在証明が必要である。しかし、そんな存在証明など、世にそうあるものではない。ましてや、幽霊や座敷童子を超えるほど、ハイレベルでエキセントリックな存在となると、ある種人間としての存在レベルを超越しているといっていいだろう。『 奇跡は常に隣にある 』が私の持論であるが…この場合は、やはり『 先生の言うところの学生さんは、薬進塾の塾生ではなかった 』といった考え方が、一番真実に近いのではないだろうか。では何故、その学生さんは〝薬進塾の塾生〟となったのであろうか。前述の大学の先生の勘違いということも考えられるが…その先生は、学生さんの面倒見がいい先生である。学生さんが報告してきた在籍予備校を勘違いするということは、考えにくい。第一、先週のブログ冒頭に『 最近、摩訶不思議な現象によく遭遇する 』と書かせていただいたように、最近はこういったこと、つまり『 薬進塾に在籍していないが、薬進塾の塾生とされる学生さん 』の話を聞かされる機会が多いのである。だから、先の先生だけの勘違いということは、きわめて考えにくいことになる。

 ということは…先ほど『 学生さんが報告してきた 』と書かせていただいたが…考えられるのはここしかない。つまり〝学生さんの報告〟が正しくなかったということである。何故、学生さんの報告が正しくなかったのか…その理由は定かではない。単に予備校名を間違えただけなのか(これも非常に考えにくいが)、何かの意図があったのか?さらに、よく考えてみれれば…大学の先生に『 (件の学生さんが)薬進塾に通っている 』と伝えたのが、当人であるという保証はどこにもない…。

 いずれにせよ…どうやら世の中には、私の見知らぬ、在籍確認のされない…イヤ、在籍さえもしていなかった〝薬進塾の塾生〟が存在しているようである。もうすぐ、怪談話がもてはやされる時期ではあるが…いささか早すぎる、何とも不思議な話である。

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2015年6月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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見知らぬ学生 ― 前編 ―

 仕事上、あちこちの大学に挨拶に行くことがあるのだが、最近、摩訶不思議な現象によく遭遇する。ある大学の先生に挨拶にいく。挨拶を終えて談笑に花を咲かせていると…大学の先生が『 先生の所に、以前○○という学生がいたでしょ。今回、合格しましたよ 』などという話してくれる。『 ? 』となる私。その先生がおっしゃられる○○という学生さん…どんなに頭をひねったところで出てこない…。

 ご存知のとおり、わが薬進塾は定員40名の少人数制。さらに、今年度をもって開塾6年目を迎えることとなった。当然のことながら、今までの塾生は全て覚えている。何年目に誰が在籍していたかさえも覚えている。しかし、その先生の言うところの〝薬進塾の塾生〟と称する人物は、どう考えても思い出せないのである。少人数制を謳っている以上、塾生さんを覚えていないなど、言語道断の話。塾に戻るや否や、身上書を調べてみたのだが…いない。何度探してみてもいない。塾生さんの身上書は重要書類である。よって、一枚の紛失も許されることではなく、当然、そのような管理がなされている。もちろん万が一のことを考え、コピーも取り二重に管理されている。保管場所も別々な場所で、しっかりと管理されている。しかし…どう調べても、その件の人物がいないのである。『 もしや、身上書の紛失か? 』と思い、原本とコピーの枚数を確認するも、枚数が一致するどころか、皆、内容も一致している(当たり前の話であるが…)。どうにも腑に落ちないので、今までの座席表(薬進塾では、座席は指定制)を全て調べてみたが…やはり、件の人物は確認できない…。何ということだろう!私が知らないどころの話ではない…存在さえも確認できないのだ…。

 これは、もしかするとアレか…。

 

 3人でレストランに入り、テーブルに座ると…店員さんが水の入ったコップを4つ置く。『 1つ多いですよ 』と言うと…店員さん曰く『 アレ?髪の長いお連れのお方は?

 

といった、よくある幽霊話か?イヤイヤ、この話のパターンは極めて短時間での出来事である。薬進塾の一年制コースは6月からの9ヶ月。半年コースは9月からの6ヶ月。最短の夏季ベーシックコースだとて一週間。さすがに、そんなに長い間、幽霊として存在していたのなら、こちらもどこかで気が付くはずである。向こうとしても、幽霊だとばれないために、結構必死で振る舞わなければならないはず。ましてや、薬進塾には夜間のコースはない。つまり、幽霊にとっては真昼間での活動となる。当然、夜間に柳の陰からひっそりと出てくるシチュエーションとは違い、それ相応のエネルギーを消費しなければならないはず。普段と違う環境で事をなすというのは、誰にとってもプレッシャーがかかる、エネルギー消費率が高い行動なのだ。それが、幽し存在の幽霊となれば、そのエネルギー消費量たるや大問題のはずである(直接聞いたことが無いから、詳しくはわからないのだが…)。それ相応のエネルギーを兼ね備えていれば問題ないと思われるのだが…エネルギーギンギンの幽霊なぞ、いまだかつて聞いたことが無い。仮にそんな幽霊がいたところで、彼ら(という表現でいいのか?)の存在意義にかかわる事態だ。なぜならば、エネルギーギンギンで出てきたところで、怖くはないからである。まあ、種別はあるにせよ、幽霊は怖いものである。物悲しげな、生の儚さを感じさせる登場だからこそ、その怖さも一入となる。エネルギーフルスロットルで登場されても、生に対する儚げな怖さなど、微塵も感じさせることはないだろう(まあ、違う意味での怖さはあるだろうが…)。ということは、幽霊ではないということになる。幽霊ではないけれど、カウントされない存在とは…。

 そういえば、こんな話を聞いたことがある。

 

 ある家で、子供たちが遊んでいると…いつもどこからか知らない子供がやってくる。いぶかしげに思いつつも、そこは子供のこと。いつも、仲良く遊ぶことになる。どうやら、その子供は大人には見えない様子。それを話してみたところ、昔から伝わる〝座敷童子〟ではないかという話。

 

 おおっ!最近のワープロソフトは『 座敷童子 』を一発で変換できるのか!大したものである。閑話休題。なるほど、座敷童子…。幽霊とは違って、子供たちとも元気に遊びまわる。毎日毎日、子供たちと激しく遊びまわるだけのエネルギーがあるのだ。一年制コースの9ヶ月間位の受講など、モノともしないはずである。エネルギー消費という問題点においては十分にクリアしている。子供たちと遊び回る位なのだから、真昼間でのご活躍も問題はない。ましてや、座敷童子が出るということで有名だった、岩手県二戸市にあった〝緑風荘〟は、2009年(平成21年)10月4日、午後8時半頃に火災が発生し全焼してしまっている(中庭の座敷童子を祀った祠は残ったとのこと)。これは…緑風荘にいた座敷童子が一時避難的に、わが薬進塾へと、とりあえず避難してきたと考えることはできないだろうか?そう考えれば、私が知らない、そして身上書の提出がなされていない塾生さんがいてもおかしくはない。座敷童子が塾生さんだった…。身上書を集めようにも、集める薬進塾のスタッフは、皆、大人である。座敷童子が見えないも当然。身上書を集め損ねることも…と考えたところで『 見知らぬ学生 = 座敷童子 』説も消え失せることとなる。スタッフが(大人だから)見えないということは、講師も見えないということになる(もちろん、講師陣も大人である)。よく考えれば、塾生さん達もいい大人である(誰もが24歳を超えた、いい成人である)。スタッフも講師も、そして塾生さん達も見えないとなると、だれもその存在を確認できないこととなる。当然、前述の『 先生の所に、以前○○という学生が… 』と話してくれた大学の先生にも見えないはずである。先の話してくれた先生が見えないとなると、この話自体が成り立たなくなってしまう…。

 ん~っ…いったい何者であろう、その『 薬進塾にいたとされる学生さん 』は…。

深まる謎を残しつつも…この続きは、次回の講釈にて!

 

※ ホームページのアクセス不良のため、掲載が遅れましたことを深く

 お詫びいたします。

 

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2015年6月8日 | コメントは受け付けていません。 |

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