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今年も一年ありがとうございました。

 『 きっと必ずうまくいく! 』と今年最初のブログを書いてから早一年。本当に月日の経つのは速いものでして。ましてや、こちとら『薬剤師国家試験』という締め切りに翻弄されて過ごすのが職業。人というものは締め切りがあると月日の経つのが速くなる傾向とのこと。そう考えると…年が明けたらあっという間に薬剤師国家試験となってしまいます。先日〝冬休み前の学習指導〟を行ったのですが、そこでも『 年が開けたらあっという間です。気を抜くことなく、しっかりと計画ある勉強をしてください 』と伝えたばかり。国家試験受験生の皆さんは、このことを忘れず、勉強に励んでください。

  来年の干支は羊。漢字では『未』で表すことも。諸説紛々あるのですが、文字の意味が「 味 」であり、果実が熟し、滋養溢れた状態になることを指しているとのこと。さらに、羊は同じ行動を取って集団で暮らす事から、家族の安泰を示しいつまでも平和に暮らす事を意味しているという、何とも縁起のいい動物。つまり…『 果実が熟し、滋養溢れた状態になること 』を意味する羊の年に、第100回薬剤師国家試験を受験するというのは、とってもとっても、目出度いことなのです!次の国家試験を受験する方は、間違いなく機が熟して、はれて薬剤師になれること間違いありませんよ!そして、自分を応援してくれた家族との、よき団欒が必ず待ち構えていますから!

 

今年一年お世話になり、本当にありがとうございました。

良い年末年始をお過ごしください。また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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2014年12月31日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

お気楽・極楽、付き合って損をするのは誰?

 講師という仕事に長く携わっているが、毎年必ずのように『 あなたが国家試験を受けるんですよ。分かっていますか? 』という学生さんにお目にかかる。その旨伝えるのだが『 はあ… 』などという、何とも頼りげない返事が返ってきたりする。自分で『 薬剤師になろう 』と決めてこの道を選んだはず。もちろん、薬剤師になるためには免許が必要で、さらに免許を取得するためには、薬剤師国家試験に合格しなければならない。そして、よっぽどの人間でない限り、合格するためにはそれ相応の勉強というものが必要になってくる。その勉強を効率良く進めるために、講義を受講している。なのに、どうも『 講義を受講する 』というよりも『 ただ座っているだけ 』といった方が適切な学生さんがいたりする。講師に質問している所を見た事もない。学習指導で『 勉強している? 』と聞いても『 はあ… 』などという、生返事が返って来るだけ。で、文頭にある『 あなたが国家試験を受けるんですよ。分かっていますか? 』という質問をすることになる。

 以前『 学力が伸びない人 』というブログでも書かせて頂いたが、『 馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない 』というイギリスの諺がある。水を飲むのは自分次第。勉強するのも、講義から何か掴み取るのも、最後は自分次第ということである。何もしないで、周りが全部お膳立ててくれるということなぞ、世の中にはまず無い。正確に言えば、無いことはないが、用意周到に隠された手痛いしっぺ返しが待ちかまえているのがお約束である。学力を上げるのは、最後は自分自身である。我々講師や、講義は学力を上げる手助けをするのであって、学力を上げるのは自分自身である。医療従事者を目指す人間ならだれもが認識しているように、病気を治すのは医者や医療従事者ではない。薬や医療技術でもない。医者や医療従事者、薬や医療技術は、病気を治す手助けをしているだけであって、最終的に病気を治すのは本人である。学力向上にもコレと同じ事が言える。

 学力を上げる・下げるは本人次第であるが…やはり、病気と同じように学力を下げてしまう要因は世の中に沢山ある。我々講師が特に気をつけなければならなことなのだが、人の学力向上を妨げる行為をする人間というのがいる。妨げ方はいろいろあるのだが…よくいるのが、お気楽・極楽な人間。受験生である事を忘れているのか、何やら楽しそうに日々過ごしている。楽しく日々過ごすことは悪いことではない。国家試験も差し迫ってきている今日この頃。焦りや不安から、笑顔を無くしてしまうことも多くなる。そんな中、楽しげに過ごすというのは悪いことではないのだが…そのお気楽・極楽な人間、困ったことにお気楽・極楽な方に他の学生さんを巻きこんでしまうから厄介なのだ。さらに困ったことに、このお気楽・極楽な人間。成績が悪くなかったりするから、なお厄介である。本人たちの成績が芳しくなければ『 そんなことやっている場合じゃないだろ 』と一喝出来るのだが、そこそこの成績は取っている。で、〝そこそこの成績ではない学生さん〟を巻きこんで、一緒にお気楽・極楽な日々を送ってしまうから厄介なのだ。そこそこの成績ではない学生さんは楽しいだろう。しかし、自分の成績を考えた結果からその行動を真摯に受け止めた場合、結局は楽しい事ではない事が分かるはずである。しかし、それに気がつかない。また悪いことに、お気楽・極楽な人間に限って講師や講義を批判したりする傾向が強い。『あんな講義に出てもさ…』『あの講師はさ…』などと偉そうに語ったりしている。私は常々『 自分が受講する講義や、その講師の悪口を言っても何ら得することはない。自分が悪く言っている講義からは何も得ることが出来ないし、その講師が言っている内容だって身には付くはずがない 』と言っている。当たり前の話である。自分が否定しているものから、ものを学ぶことなどできるはずがない。言っている本人、つまりお気楽・極楽な人間がそれで損をしようと一向に構わない(自己責任であるのだから)のだが、一緒に楽しそうにやっている、そこそこの成績ではない学生さんにとっては、もの凄くマイナスになることは言うまでもない。一緒にお気楽・極楽で楽しくやっている人間が、そんな事を言えば、やはり聞いた方も『 そうだよね 』となってしまう場合がほとんどである。ましてや『 (講師がやれといった事を)やらなくてもいいよ 』『 あの講義出るなら休んで云々 』などといった言葉に翻弄されてしまっては、致命的なダメージを受けてしまうことになる。

 世の中には、残念ながら人を悪い方へと引っ張っていく人間がいることは確かである。しかし、それに引っ張られた結果、痛い目を見るのは誰なのか?それを、しっかりと考えて欲しい。お気楽・極楽な人間は、足を引っ張っている意識はないかもしれない(だから、余計に厄介なのだが…)。しかし、皆、いい大人である。その行為が自分の足を引っ張る結果になるかどうかは、自分自身で考えで判断しなければならない。そして、そういったお気楽・極楽な人間に対して、どう対応していくかも自分自身で考えていかなければならない。学力を上げる・下げるは本人次第である。これは、勉強する云々だけでなく、自分の学力向上の妨げになるモノに、どう対応していくのか?その本人の対応が、学力を上げる・下げるに結びつくという意味でもあるのだ。お気楽・極楽、付き合って損をするのは誰なのか?そこのところを、しっかりと認識することが必要なのではないだろうか?

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2014年12月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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目指せ!町のラーメン屋!

  私は、本ブログを書くにあたっていくつかの決め事をしている。その中に『 ラーメンのことを書かないこと 』というのがある。それを書いてしまうと、単なる私の趣味だけの話になってしまう可能性が大であり、とてもじゃないがものすごい執筆量となってしまうことが目に見えているからだ(ちなみに、私はラーメンが大好きである。好物というレベルではない。ソウルフードといっても決して過言ではないと思っている)。だから、ラーメンのことは書かないようにしている。『 …と言っても、今、ラーメンのことを書いているじゃないですか 』という人。今回のブログで私が書きたいのは、ラーメンのことではなくラーメン屋のことなのである。それも、お店の名前を出して云々ではない。ラーメン屋というもの自体、強いて言うならば『 町のラーメン屋のあり方 』について書かせていただきたいと思っているのである。

  現在、私は薬進塾の塾長という立場にあるが、よく『 どういう予備校にしたいんですか? 』等の質問を受けることがある。その時私は、こう答えている『 町のラーメン屋みたいな予備校を目指しています 』と。これを聞くと、大抵の方は面食らった顔をされるのだが…私はこう言う。

  店の中は、せいぜい7、8人位しか座れない。メニューもラーメン以外は何もなく、そのラーメンも醤油、味噌、塩に、いいところチャーシュー麺があるくらい。派手なトッピングもないし、今言ったようなベーシックなラーメンしかない。店構えも小さいし、派手な宣伝もしない。でも、何故か毎日お客さんで溢れている。『 あそこのラーメンは美味しい 』と評判で、色々な所から、たくさんのお客さんが来てくれる。そして、食べた人は皆『 美味しかった 』と笑顔で帰っていく。そういうラーメン屋みたいな予備校にしたいのです。

この私の話を聞くと、皆さん一様に『 あぁ… 』と納得してくれる、それも笑顔で…。伝わったことも嬉しいのだが、そんな私の話を聞いた方の笑顔を見るたびに、まんざら悪い発想でもない…イヤ、むしろいい発想であると確信している。

  実際、私は薬進塾をそういう予備校にしたいと思っている。派手な食材を使うわけでもなく、何十種類もの料理があるわけでもなく、豪華な内装や食器があるわけでもない。あちらこちらに支店を構えるわけでもなければ、派手な宣伝もしない。でも、人が人を呼び、客足が途切れない、町の小さな一軒のラーメン屋。皆が『 美味しい 』と喜んでくれる。そしてそれを見て、作った人が微笑むことが出来るラーメン屋。作る方も食べる方も笑顔になる。これが、私が目指す『 町のラーメン屋的予備校 』なのだ。

  正直、薬進塾に関してはあまり大きくしようとは思っていない。大きくすることにより、仕事が雑になったり、細かいことが行き届かなくなったりするのもイヤだからだ。大きくして、信用を落とすようなことになっても仕方がないと思っている。『 いい講義をして、皆の学力を上げて、合格してもらう 』ことが要であり、そこを極めたいと思っている。よく『 もっと大きくして… 』的な発言をしてくださる方がいらっしゃるが…逆に聞いてみたいのだが、何故そこまで大きくすることにこだわるのだろうか?私としては、いい講義をして、学生さんの学力が上がって、合格して喜んでもらう。こちらの方が、よっぽど大切なことであり、こだわらなければならないことだと思うのだが…。

  ラーメン好きな私は、前述のような街のラーメン屋を結構知っている。店の中はせいぜい7、8人位しか座れず、店構えも小さい。でも、何故か毎日お客さんで溢れている。そういうお店に行くと、私が馴染みの客だからなのか、店主(兼調理人)が時折話しかけてくれたりする。で、色々と話をしたりもするのだが…店構えの話をすると、どの店主も私と同じように『 大きくする云々はあまり考えていない 』と言う。その理由も、私が前述したのと同じような内容である。そして、やはり同じように『 お客さんに喜んでもらうことが一番 』という。さらに店主曰く、小さい店だからこそお客さんの顔が見えるという。美味しそうに食べている顔が見えるのが嬉しいのだという。同時に『 この人がお金を払って来てくれているから、自分たちはやっていける 』ということも見えるのだという。だからこそ、お客さん一人ひとりが大切なのだという。何とも心強いというか、嬉しい限りではないか?我が薬進塾のコンセプトである『 一人ひとりを大切に。一人ひとりをしっかり育てる。だから少人数制 』と同じ内容が、その根源にあるのだから…。自分と同じ考え・目線の人物がいるだけでも嬉しいのに、それが私が美味しいと唸ってしまうラーメンを作っている人物ともなれば、嬉しさも一入である。自分が手間暇かけたことで、人が笑顔になってくれることは、本当に嬉しいことである。そして『 そんな〝喜んでくれる人たち〟がいるからこそ、自分はこの仕事をやっていけるのだ 』という思いこそ、それが天職であることの証ではないのだろうか?大きな想いを馳せる人間がやっている小さなラーメン屋。何とも壮大な〝小さいラーメン屋〟ではないだろうか?目指すべきはそこだ、と思っている次第なのである。

※ 本来『 ラーメン屋さん 』と書くべきですが、文字数の都合上『 ラーメン屋  』と書かせていただきました。ご了承ください。

 

 

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2014年12月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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学力が伸びない人【 後編 】

 前回は、『 学力が伸びない人 』がいるということで、若干辛口で書かせてもらった。その『 学力が伸びない人 』というのが、大まかな分類で ① 教材を忘れる事が多い人。② 遅刻・欠席することに対しハードルの低い人。③ 遅刻せずとも、毎回ギリギリで講義室に入って来る人。④ 講義に出てはいるが、参加していない人。⑤ 従うことが出来ない人 の5タイプということで、前回は②、すなわち『 遅刻・欠席することに対しハードルの低い人 』まで書かせていただいた。

 この②に近いと言えば近いのだが…③ 遅刻せずとも、毎回ギリギリで講義室に入って来る人。こう言う人も、学力を伸ばすには、なかなかハードな人といえる。『 間に合って来ているんだから、いいじゃない 』と思われた方…事を行うには、何事であれ『 事に取り組む姿勢 』というものが必要になってくる。ギリギリで入ってくるということは、『 事に取り組む姿勢が出来ていない 』ということになるのは必然である。『 ギリギリに入ってきても、事に取り組む姿勢というのが出来る人はいるんじゃないですかね 』という人がいるかもしれない。だが残念ながら、ギリギリに入ってきて、すぐに事に取り組む姿勢が出来る人など、凡人にはいない。出来ると思うかどうかは個人の自由である。しかし、指導する立場の人間として言わせていただくならば『 ギリギリに入ってきもて、事に取り組む姿勢というのが出来ると本人は思っているけれど、実際は出来ることがなく、さらに厄介なことに本人は出来る気になっている、または出来ている気になっているから性質が悪い 』となる。慌てた心で物事を成そうとしたところで、成せるわけがないことを分からずして、国家試験対策に挑もうなど笑止千万である。何か事を成そうとするならば、ましてやそれが人からモノを教授することならば、ギリギリにやって来るような落ち着かない心ではなく、落ち着いた心でなければならないことは言うまでもない。慌しい心では、決して物事は身に付かない。その前に…ギリギリで慌てて入ってくるということ自体、何かを学ぼうという意志が低い証拠ではないだろうか?

 ④ 講義に出てはいるが、参加していない人。…意味はお分かりだろうか?講義中、講義室にはいるのだが…見ているのか、聴いているのか、どこ吹く風と講義を流している人である。そういう人を『 出席はしているけれど、参加していない人 』という。ほとんどと言っていいほど、講義を聴いていない(「 聞いていない 」ではないどころがポイントである)。残念ながら、講義というものは、ただ座席に坐ってボ~ッと聞いているだけで、頭の中にスイスイト入ってくるものではない。物事を習うということに関して言うならば、全てにこのことが当てはまるはずである。つまり、何事においても習得するためには、ただ聞いているだけではダメということである。人の言うことを理解して、受け入れる。受け入れ、従って行動することが『 聴く 』という行為である。そして『 講義の内容を聴く 』ということが『 受講している 』ということである。ただ座席に坐っているだけでは、受講している事にはならない。受講していないのだから、学力だって延びるはずがない。

 そして最後の、⑤ 従うことが出来ない人。指導するという立場上、最も困ってしまうタイプの人である。『 習う 』ということは『 知識や技術を他人から教わる(大辞林より) 』ことである。『 教わる 』は受動詞である。つまり、『 教える 』ということを受け入れることであり、『 教えに従う 』ことである。『 従う事が出来ない 』ということは、教えを受け入れられないということになる。学力を向上させるために、講義を通じて色々な知識等を教えているのに、それが受け入れられないとなると、やはり学力向上は難しいと言わざるを得ない。実は、最近、何気にこの⑤のタイプの人が増えてきているのが事実である。講義はもちろんの事、勉強のやり方一つ指導するにしても『 私はこのやり方なんで… 』と従ってくれない人が多い。そのやり方でやって結果が出ているのならば問題はない。しかし、そのやり方で結果が出なかった以上、違うやり方をしなければならないのではないか?こちらも素人ではない。そのやり方が、良いやり方か悪いやり方かなどすぐに分かる。そして、それを治してもらうために指導をしているのだ。それに従って頂けないとなると…少なくとも、玄人の目から見ての『 芳しくないやり方 』であるのだから、そのやり方に固執している限り、やはり学力向上は難しいと言わざるを得ない。ちなみに、勉強をしない行為は、国家試験対策というものに従っていない最たる行為であることは言うまでもない。

 随分、辛口で書かせて頂いたが…①~⑤に当てはまるからといって、何も悲観することはないし、落ち込む必要もない。単に①~⑤に当てはまらないように行動すればいいだけの話である。それが『 学力が延びる人 』へと生まれ変わる道である。そしてこの5つ、決して難しいことではないはず。よく考えてみれば、どれもが小学生でも出来ることであろうし、実際、小学生が実践している内容ではないか?それはそうであろう。高度な事であろうが、内容がどうであろうが、モノを習うということは基本的に同じことなのだ。そして、モノを習う上での基本的姿勢が成っていない人というのが、前述の①~⑤に当てはまるタイプの人ということになる。モノを習う上での基本的姿勢が成っていなければ、当然、学力だった伸びるはずはない。国家試験対策も佳境に入ってきたが、受験生はこの事をしっかりと肝に銘じて、試験対策に臨んでもらいたいと思う次第である。

 

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2014年12月4日 | コメントは受け付けていません。 |

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