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学力が伸びない人【 前編 】

 今回は、少し予備校の講義に関する内容を、しかも若干辛口で書かせてもらいたいと思う。そのため、予備校の講義を受講するという内容に傾いてしまっていることを、ご理解いただきたい。しかし同時に、『 モノを学ぶ時の姿勢 』ということにも言及できる内容でもあることは確かである。

長い事、予備校の講師という仕事をやっているが、残念ながら『 学力が伸びない人 』というのがいる。私は薬剤師国家試験以外にも、色々な試験対策で講師を務めてきたが、これはどの試験対策にも言えることである。つまり、『 学力が伸びないタイプの人 』という人間が存在するということである。『 何をとんでもない事を言っている!学力を伸ばすのが、お前の仕事だろ! 』と一喝されてしまいそうであるが…残念ながら、こちらがどんなに学力を伸ばすためにと切磋琢磨したところで、本人にその意思が無い事には、それも叶わぬものとなってしまうのが悲しい現実である。イギリスに

 

You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.

 

という諺がある。私が多用させてもらっている諺であるが、その意味は以下のようになる。

 

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。

 

どんなに水辺に連れて行こうとも、水を飲ませることは出来ない。『 水を飲む 』ということは『 自らの意志で水を飲む 』ということである。自らその意志が無いものに、水を飲ませる事は出来ないし、同じように学力を伸ばしてあげる事も出来ないのだ。

 意志とは何であろうか?デジタル大辞泉によると『 目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き 』とある。つまり、『 実現しよう 』という行動が伴う事が示唆されている。口では『学力伸ばしたいですよ 』と言っていても、行動が伴わなければ、それは『 学力を伸ばそうとする意志が無い 』ということになる。何気にこういうタイプ、つまり口にはしているものの、その意思が見受けられない人が多いのが事実である。そしてそれが、私が述べている『 学力が伸びない人 』なのである。

 ① 教材を忘れる事が多い人。② 遅刻・欠席することに対しハードルの低い人。③ 遅刻せずとも、毎回ギリギリで講義室に入って来る人。④ 講義に出てはいるが、参加していない人。⑤ 従うことが出来ない人。このような人達は、講義に臨む姿勢が出来ていない、または受講することに対するモチベーションが低い人と言えると思う。何故、講義に臨む姿勢が出来ていないのか?何故、受講する(モノを学ぶ)ことに対するモチベーションが低いのか?その理由は、学力を伸ばそうとする意志が無い、または極めて低いからといっても、決して過言ではないと思う。そして、このような人たちが『 学力を伸ばそうとする意志が無い』=『 学力が伸びない人 』ということになる。

 ①の場合。教材というものがあって、初めて受講という事が成り立つ。つまり、教材が無ければ受講は出来ないということになる。人間だから忘れてしまうことは致し方ない。しかし、それが多いとなると…やはり受講するという事に対してモチベーションが低い、すなわち学力向上の意志がないということではないだろうか?学力向上の意志がないからこそ、受講に欠かせないものを忘れてしまうのではないだろうか?『 モチベーションが低い 』と書かせていただいたが…これは随分優しい言い方で、本来なら『 やる気が無い 』という言い方の方が適切に思われるが…。

 ②の場合も、受講という事を如何に疎かにしているかが伺える行動である。学力を伸ばすために受講している。当然、受講しなければ学力の伸びは期待できない。これも人である以上、若干の遅刻・欠席はやむをえない。しかし、怖いのは『 遅刻・欠席することに対しハードルが低い 』ことである。つまり『 遅刻・欠席をするということが、当たり前のようになってしまっている 』ことが問題なのだ。学力を伸ばすために受講をしている。なのに、講義を受講しないということが、さして気にならなくなっている。これこそ、まさに『 学力を伸ばそうとする意志が無い 』という行為ではないだろうか?学力を伸ばしたいという強い意志があればこそ、一つでも何か吸収してやろうという貪欲さが生まれるはずである。そしてこの貪欲さこそ、学力向上の必須アイテムなではないだろうか?受講しない部分がある(これが遅刻である)、全く受講していない(これが欠席である)ということは、吸収できるものも、あえて捨てているに等しい行為ではないか?それでは、とてじゃないが学力向上など望めるはずもない。

 では③以降は…それは、次回の講釈ということで…<次回ブログに続く>。

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2014年11月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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ピンはね

他人の手に渡るべき金銭などの一部を取って自分のものとすること。上前をはねること。

大辞林 より

  私はよくこんな問いかけをします。『 0から1作るのと、5から10作るの、どっちが大変だと思う? 』と…。皆さんはどちらだと思いますか?私的に言わせていただければ『 0から1作る方が圧倒的に大変 』となります。そりゃあ 『 5から10作る 』のも大変と言えば大変でしょう。一概に『 どっちが? 』と比べられないのは分かります。私が言いたいのは『 「0から1作る」ということは「無から有を作る」ということであり、それは並々ならぬ大変なことである 』ということなのです。まったくの何もない状態から、新しいものを生み出す…これはオイソレとはできることではありません。もちろん、大変な苦労を伴うものです。『 5から10作る 』場合は、初めに5があって、それを元に10にする訳ですから 『 新たなるモノを生み出す 』という苦労は伴いません(もちろん『 5を10にする 』にも大変な苦労は伴いますが…)。世にある芸術作品は、どれもが人を魅了する美しさを持っています。それは『 他の誰かが創った何か 』をモチーフにしたのではなく、全て芸術家が己の力一つで0から生み出した作品であるからではないでしょうか?

ところが、世の中には狡猾な輩が多く、『 他の誰かが創ったモノ 』を平気でピンはねする輩は何気に多いのです。自分では0から生み出す力がないくせに、人が作ったものを自分の目印を付けるが如くチョット手をつけて、いかにも『 私が作りました 』みたいに堂々と振舞う輩が、横行しているように思えます。しかも、そういう輩に限って、言うに事欠いて『 改良した 』なんて大法螺を吹いたりするのだから、性質が悪いことこの上ありません。改良というのは読んで字の如く『 悪いところを改めて、前よりよくすること 』です。つまり『 悪い所があって、それを正した 』というのが〝改良〟ということになるのです。ところが、どうも狡猾な人というのは変にプライドだけは高いらしく『 ○○さんのモノを使用しました 』などとは言えないようで(プライドが高いというよりは、謙虚さがないんでしょうね)、チョット余計な細工を一つ二つ施して『 私が作りました 』『 私のオリジナルのものです 』なんて平気な顔をして言う有様。『 盗んだんだろ? 』『 マネしたんだろ? 』なんて、問い詰めると…『 イヤ、(○○さんの作ったモノを)改良したんですよ 』なんて誇らしげに語るわけです。聞こえはいいんですが、やっている内容と言えば…。まあ、モナリザに髪の毛一本描きたして『 これは私が改良した作品です 』なんて言っている様なもんです。モナリザは、アレで完成された最高の作品です。自分が作ったと主張せんがために、髪の毛一本であっても描き足すなんて、芸術性の欠片もないったら、ありゃあしない!そのままで完璧なモノを、自分が作ったと主張せんがために〝改良〟と称して、余計な手を加えてダメなものにしてしまう…愚の骨頂も甚だしい限りです。しかし…結構多いんですよね『 私が改良して作ったんだ 』という似非開発者が…。それで評価を得て、その人は満足なんでしょうかね?『 自分の力で0から作り出す 』っていうことの方が、よっぽど高きプライドだと思うんですが…。

 話をしていて、チョット面白いことをいうと『 面白いですね。ソレもらった 』なんていう人が時たまいますが…。そのたびに『 ? 』となってしまいます。『 もらった 』ってなんですかね?『 面白いから、自分もそれで笑わせよう 』ということらしいのですが…。別に『 私の友人の○○さんが言ったんだけどね… 』と言えば、ソレですむんじゃないでしょうか?なぜ『 もらって 』自分が発案者であるように振舞って、笑いを取る必要があるんでしょう?そんなにまでして人気者になりたいんでしょうか?人が作ったものを、あたかも自分が作ったもののように振舞ってでも…。まあ、前述の似非開発者も、人の作ったものを盗んででも、自分の評価を上げたいんでしょうけどね…。

 そういうことをするということは、裏をかえせば『 私には作り出す能力が無いのですよ 』と宣言しているようなものだと思うのですが…。まあ、変なプライドの高い、そして評価されることばかり気にしている人間には、そんなことは分かりもしないでしょうし、自分がピンはねしているなんて夢にも思っていないんでしょうけど…。

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2014年11月17日 | コメントは受け付けていません。 |

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見ない、読まない、困るのは誰?

 以前、わが薬進塾のドアを修繕することがあった。修繕後、業者の方曰く『 2時間位は、ドアの開閉を行わないで下さい 』とのこと。まあ、午前中の2時間位なら、さほど支障も来すことはないだろうと、取り急ぎドアに『 修繕中につき開閉できません。裏口へお回りください 』という貼り紙をして、鍵をかけておくことにした。

 我が薬進塾のドアはガラスドアで、外が見えるようになっており、私の座席からも外の景色が見える状況にある。で、仕事をしていると、学生さん(男)がやってきたのだが…一生懸命にドアを開けようとしている。「?」となる私。何故なら、ドアを必死で開けようとしている彼の目の前には、件の貼り紙がしてあるのだ。さらに…私の坐っている席からは外が見える。ということは、外からも坐っている私が見えることは言わずもがな(まあ室内ということで、若干はこちら側より見え難いであろうが…)。なのに、私に『 どうなっているのですか? 』というそぶりを見せることもなく、必死にドアを開けようとしては「?」を繰り返している。『 貼り紙が見えないのかな? 』と思い、ドアまで行きガラス越しに貼り紙を指差したところ…読んで理解したらしく、裏口へと回っていった。…チョット待て?指差した貼り紙を見た彼は、頷きながら裏口へと回っていった。ということは、貼り紙が見えているわけであり、その内容も読んで確認できたということになる。ますます「?」となる私。そこへ、件の学生が裏口から回ってやってきた。『 貼り紙に、開閉できないから裏口に回ってと書いてなかった? 』と尋ねると『 ああ、見てなかったです 』との返答が?さらに「 ?? 」となる私。彼はドアの前に立って、ドアを開けようとした。その目の前に貼り紙がしてあるのだ。しかも、普段は何も貼っていない透明なガラスドアである。立った時点で気付かなかったのだろうか?さらに…ドアを開けようとしたが開かない。この時点で『 アレ? 』という気持ちは起きなかったのだろうか?おかしい…と思い、何かあるのかなと見回すということを何故しなかったのだろう?そして、ドアが開かないということに対し、中にいる私に何らかのアピールをするということを、何故しなかったのだろう?私は不思議でたまらなかった。

 不思議がっている私をよそに、別の学生さんがやってきた。と…いきなりドアを開けようとする。『 オイ!オイ!オイ! 』となっている私を尻目に、必死になって開けようとしている。しまいには…怒り気味の顔つきで、力任せに開けようとしているではないか!ドアが壊されてはたまったものではない。急いでドアに行き、先ほどの学生さんと同じように貼り紙を指差す私。初めは怒り気味の顔つきで私を見ていたが…貼り紙を読むと、おとなしく裏口へと回っていった。裏口からやってきた学生さんに、早速、先ほどの学生さんと同じ質問をしてみると…またまた驚愕の返事が返ってきた。『 ああ、見てなかったです 』…同じ返事が…。より一層、私は『 何故だ? 』に悩まされることとなった。

 と、私が悩んでいると、今度は非常勤の先生がやってこられた。ハッとする私の視界に入ってきたのは…ドアに手をかけるまでもなく、立ち止まって貼り紙を読み、裏口へ回る非常勤の先生…。『 見えてんじゃん、読めてんじゃん! 』と、本来は当たり前の動作に、なぜか驚愕する私。その非常勤の先生が入ってくるや否や『 どうして裏から入ってきたんですか? 』と質問すると『 だって、開閉できないから裏口に回ってと書いてあるじゃない 』と呆れ顔で答える先生。そう、そうである。その通りなのである。イヤ感激してはいけない。これが当たり前のことなのだから…。

 配布物に連絡事項を書いてあるのに、はたまた連絡事項を掲示してあるのに、その内容の通り行動してくれない学生さんが増えてきている。聞くと『 読んでませんでした』『見ていませんでした 』という。読んでもらう必要があるから配布物に記載してあり、見てもらいたいから掲示してあるのだ。それも、知らなければ本人が困ってしまうような内容ばかりである(連絡事項とはそういうものである)。近年、『 見ない・読まない 』学生さんが増えてきているのは確かである。私としては非常に心配である。『 この橋は壊れています。渡らないで下さい 』と書いてあっても、読まずに渡ってしまいそうだからだ。冗談ではなく本気で心配している。無事に生きていけるのだろうかと?それはそうであろう。世の中に、どれほどの警告や危険通知の掲示や記載があるであろうか?彼らは、そんなことお構い無しに日常を過ごしているのではないか?心配するのもまっとうな話である。が、こちらが心配したところで、こればっかりは本人達の意識が変わらなければ、治しようがないのも事実である。この意識を変えることは、なかなか難しいことのようだ。なぜなら、どうも彼らの中には『 誰かが教えてくれる・誰かがやってくれる 』という他力本願的な意識が根付いているようなのだ。将来、薬剤師になろうとしている人間が、それではチョット困ってしまう。医療従事者というのは『 誰かが教えてくれる・誰かがやってくれる 』の『 誰か 』にならなければいけない仕事だからだ。『 この橋は壊れています。渡らないで下さい 』という橋を渡ってえらい目にあうのは本人かもしれないが、『 この橋は壊れています。渡らないで下さい 』ということを教えないで渡らせてしまった場合、ひどい目にあうのは誰なのか?医療従事者となるからには、そこの所をしっかりと考えて、普段から生活していってもらいたいと思う次第なのである。たかが貼り紙の一つ…などと、あしらえない深いものがあると私は思っている。

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2014年11月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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メシ食ったら、とっとと帰れ!

 先日、定食屋に昼食をとりに行った時の事。14時30分も過ぎていた頃なので、もうお店も空いているだろうと高をくくって、遅い昼食を取りに行ったのだが、思いの外、店の中は混んでいた。二人掛けのテーブル席は満席。といっても、2人がけしている所はほとんどなく、大部分が1人で座っている状態。まあ、とりあえず席は埋まっている…という状態である。やむ終えず、座席が空くのを待つことに。で、座席が空くのを待とうと玄関脇に移動して、ふとテーブル席に目をやると…目に入るだけでも3人ほどの人(つまり3テーブル)が、食べ終わった食器を前に座っている。私から一番近くに坐っているのは、30代くらいのサラリーマン風男性であったが、食べ終えた食器を前に、スマホに夢中のご様子。食べ終えてから、ある程度時間が経っているのが伺えるご様子。彼の目線からは、私が待っているのが目に入ると思うのだが…イヤ、スマホに夢中なのだから、視界にさえ入らないかもしれない。待つこと数分、やっと座席が空いたと言うことで、そこに案内されることになったのだが…いまだスマホに夢中な彼の前を横切って、座席に案内されることとなった。

 それから一週間ほどして…同じ定食屋にまた行くこととなった。今度は、若干の空席はあるものの、やはりテーブルは全体的に埋まっている感じ。で、私が座ると満席状態になったのだが…私の横の席にはOL風の女性が一人。どうやら食事は食べ終わったらしく、空いた食器を前にやはりスマホを操作している。さして気にも留めてはいなかったのだが…。私は席に着くと、食事が来るまでの間、チョット本を読んで待つことに。思いのほか早めに来たことに驚いたものの、その美味しさを堪能。ご飯をおかわりし、美味しさをしっかり堪能しつつも完食。「喰った、喰った」といわんばかりに一息ついて、座席を後に…。と思い立ち上がると…私の横の席のOL風の女性が、先ほどと変わらぬ様子でスマホを操作しているではないか!確かに、私は食べるのが速いほうだ。しかし…。いくら食べるのが速い私とて、いっぱしの定食を平らげるのに10分やそこらではという訳にはいかない。しかも、今回に限ってはご飯のおかわりもしている。ということから考えても、私が食事をするにあたってそれ相応の時間…まあ通常の私の時間から考えて20分近くかかっているということになる。なのに、隣の女性は私が食べ終わった次点でも、スマホをやっていたのである。もっと細かく言わせていただくならば、私が着席してから店を出るまでの間、ずっとスマホをいじっていたのであるから、その時間はゆうに30分は超えていると思う。前述のように、私が着席する時点で彼女は食事を終えている。定食屋で、食事がすんでいるのに30分以上スマホをやり続けるとは…。

 『メシ食ったら、とっとと帰れ!』と私は言いたい。食事を取ることを目的としている店なのだから、それを終えたらとっとと席を立つべきではないか?ましてや、待っている人がいるのだ。スマホなど、どこででもできるのではないか?往々にして愚か者は「会社でやれ!」→「会社じゃやり難い」、「喫茶店行け!」→「お金がかかる」等、自分の都合ばかりをほざくパターンが多い。おそらく、今回のスマホ迷惑人間達もこの部類であろう。人の迷惑よりも、自分の都合のほうを優先する人間たちなのだ。「店側だって、それで客が来ることを認識しているだろう」なんていう愚かな声も聞こえてきそうだが…店側はスマホが出来ることで生業を立てているのではなく、食事を提供することで生業を立てている。そりゃあ、ある程度スマホをやっていたところで、どうのこうのは言わないだろう。お客さんだからである。しかし、お客さんであることをいい気に、他のお客さんのことも考えずに好き勝手に振舞っているとなると、店側もさぞ迷惑していることと思う。そういうことすら考えられないような輩だからこそ、人の迷惑顧みず、自分のスマホ都合を優先させているのだ。己ただ一人のスマホ世界の独裁者として君臨しているのだ。己が世界以外の都合など目にも入らないだろうし、他人ことなぞ考えないのも当然であろう。

 彼らに言いたい。あなたがあなたの世界の独裁者たるのは構わない。しかし、社会に生きる上では、それでは支障を来すことになると…。なぜなら、社会で生きるとなれば、様々な人間と関わって生きていかなければならないからだ。人と人との関わりこそが、社会の成り立ちの根幹である。だからこそ、社会で生きるということには『他の人のことを考えて行動する』という義務が課せられることになる。『自分がスマホをやりたいから、やっている』別にそれは悪いことではない。誰に迷惑をかけているわけでもない。しかし、そればかりが優先されるようであれば、なおかつ、それで他人のことが考えられなくなっているようであれば、それは間違いなく社会にとって害悪となるのではないか?私は、何も難しいことを言っているわけではないと思う。『座席を待っている人がいます。食べ終わったら、早く席を譲ってください』と言っているだけである。もっとも、こんなまともな台詞でさえも、己が優先される世界の住人達からは、『こちらが何をやろうが、お前には関係ないだろ!』となじられるのかもしれないが・・・。

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2014年11月3日 | コメントは受け付けていません。 |

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