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生兵法は怪我のもと

生兵法は怪我のもと・・・

 少しばかりその道を心得た者は、これを頼って軽々しく事を行うから、かえって大失敗をする。

という意味です(広辞苑より)。英語では

      A little learning is a dangerous thing. A little knowledge is a dangerous thing.

      日本語:わずかばかりの学問はかえって危険である。

となるそうで、私的にはこちらの方がピンと来るような感じがします。

どうも世の中には、少しばかり知識がついただけで、全てを知ったような気になる輩がいるみたいで。表面をチョット撫でた位の知識しかないのに、いかにも「こうやった方が…」なんて指図してくる人、皆さんの周りにもいませんか?そういう人が、なかなか厄介な輩であることは、言うまでもありません。理屈が通じないですからね。「えっ?そういう人って理屈が通じないんですか?」と言う方。通じないですよ。だって、理屈って言うのは、全体像が見えて初めて通るものですから。一部分しか見てないくせに、全部を見た気になっている人間に、理屈なんか通じませんよ。

例えば…茶碗蒸しを作るのにはダシが必要ですよね?まあカツオダシということにしておきましょう。理屈が通じない〝生兵法は怪我のもと人間(?)〟は『自分が見て食べた、出来上がっている茶碗蒸しこそが全て』になってしまうのです。そして、それで茶碗蒸しの全てを心得たと思ってしまうのです。ですから「茶碗蒸しを作るには鰹節が必要ですよ」と言っても「私は茶碗蒸しを食べたことがあるけれど、鰹節なんか入ってなかったぞ!鰹節なんか必要ない!」となってしまうことに…。もちろん、そんな〝生兵法は怪我のもと人間〟の指図で茶碗蒸しを作るとなると大変なことに…イヤ、茶碗蒸しの作成は断念せざるを得ないでしょう。出来たとしても、おぞましい味の『茶碗蒸しもどき』を食べるという、痛い思いをすることになるのは間違いありません。まさに〝生兵法は怪我のもと〟…。

一見、意味が無いと思われるような行動であっても、実はソレが大切な行動であったりすることは多々あります。一見、必要が無いと思われるモノでも、実はソレがとても大切なモノであったりすることも良くあります。先週のブログでも、職人さんのことを書かせていただきましたが…先人からの教えを受け継いで、その高い技術を身に付けている『職人』と呼ばれる人達が、世界には沢山います。世界中にいる訳ですから、『職人』と一言にいっても千差万別、本当に色々な職人さん達がいます。そんな千差万別な彼らなのに、同じような内容を口にすることがあります。それこそが「一見、意味が無いような作業だったり、必要が無いと思われるモノだったりするけれども、コレが非常に重要なのです」といった内容。素人から見れば「なんで、わざわざそんなこと(モノ)を…」と思ってしまうのですが、それが素人の浅はかさというもので、実は立派に意味がある作業(モノ)だったりするのです。それは先人達が試行錯誤をくり返して、幾多の失敗を経験してきて掴みえた作業(モノ)なのです。気の遠くなるような時間と、多くの人達によって導き出された知恵と技の結晶ともいえる作業(モノ)なのです。職人さん達は、それを身にしみて感じているのでしょう。だからこそ〝生兵法は怪我のもと人間〟に言わせれば「そんなこと(モノ)は必要ない」となってしまう、一見、無意味と取れるようなこと(モノ)にも手を抜かず、伝承された技を一部の狂いもなくしっかりと受け継いでいくのだと思います。そして、『職人技』と呼ばれる、至高の技術を会得して、その腕を思う存分振るうことが出来るのだと思います。

少しばかり頭が働くからといって、チョットかじっただけで「これはね…」なんてことをやっている限り、職人の域には達し得ないでしょう。いや、達し得ないどころか、痛い思いをすることになるやも知れません。何と言っても「怪我のもと」なんですから(笑)。やはり「知らないことは知らない」と謙虚に振舞い、知っている方たちのご意見・指示を仰ぐ方が良い方法だと思いますよ。少なくとも怪我をしたくないという人は…。

 

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2014年6月29日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

見た目とは違って…おいそれと出来るわけじゃないんですよね。

  以前、こんな4コマ漫画を見たことがあります。

  子供が床屋で髪を切ってもらっている。お父さんが、床屋さんの腕を褒めながら、散髪の様子をビデオカメラで撮っている。「いい腕をしている」「ココまで来ると神業だ」「素晴らしい腕前だ」と誉めながら、色々な角度からその様子を撮影している。しかし、何故か誉められている床屋さんは冷めた顔。更に褒めまくって撮影を続けるお父さんに一言。「ビデオに撮って、ソレを見ながら(お父さんが子供の散髪を)やって、散髪代浮かそうと思っても無理ですよ。そんな簡単に出来るもんじゃないんだから」。

  そのお父さんはビデオで撮って、その通りやれば散髪なんか出来るだろうとふんだのでしょう。で、散髪代を浮かそうと。4コマ漫画としては傑作だと思います(笑)。

  見た目には簡単そうに見えても、実はオイソレとは出来ないものが世の中には沢山あります。いや「沢山ある」ではなく「全てのものがそうである」といっても過言ではないでしょう。携帯でメールを打つにしても、初めは上手くはいきませんでしたよね?テキパキと打っている人を横目で見て「良いな、あんなに打てて。簡単そうなんだけどな…」なんて思いをした方は多いんじゃないでしょうか?

  私が学習指導を20年以上に渡って行ってきていることは、このブログの読者の方はご存知のことと思います。20年以上、毎年毎年、何十人、時には百人以上の学生さんを相手に、マンツーマンで指導してきました。学生さんは十人十色。ですから学習指導と一言にいっても、それは、それは中々大変なものがあるのです。以前勤めていた職場で私が学習指導をしていたところ、ある講師が「オレだって学習指導なんてできるよ」なんて、勇んで発言したことがありました。で、その職場の上司が「じゃあ、あなたにもお願い」となったのですが…その内容たるや、とてもじゃないけれど〝学習指導〟などと到底呼べる代物ではなく、見ているこちらが赤面してしまうような内容でした。「勉強した内容は20分後には42%も忘れてしまう。1時間後には56%、1日経てば74%、1週間経ったら77%、1ヶ月後経ったら79%も忘れてしまう。だから復習は早めにやりましょう」なんて、どや顔で話しているんですが…そんなものは学習指導でも何でもありません。こんなことくらい、ほとんどの人は知っていますし、ネットかなんかで調べればすぐに出てくることです。じゃあ、これを聞いたからといって、学生さんの勉強にどういう影響が出ますかね?これを聞いたことにより、勉強の内容がどう変わるのでしょうか?おそらく何も変わらないでしょう。

  学習指導に関わらず〝指導〟と呼ばれるもの全てにおいて言えることなのですが…〝指導〟というものは、その指導を受けたことにより、具体的な「変化」と「成果」が現れなければなりません。これが〝指導〟と呼ばれるものなのです。指導を受けて「ああ、そう…」で終わってしまう内容では、指導後に当然得られているはずの「変化」と「成長」を手にすることは出来ません。要するに、先のどや顔で語られた「勉強した内容は20分後には…」なんていうものは、とてもじゃないけれど、指導と呼べる代物ではないということです。余談ではありますが、前述の勇んで「オレだって学習指導なんてできるよ」と発言した講師。1週間も経たないうちに、学習指導は止めにしたようです。指導と言うものは、1回きりのものではありません。成果が出るまで(薬剤師国家試験対策で言うなら、合格するまで)行わなければなりません。もちろん、対象にする学生さんが多ければ、次から次へと学生さんは指導を受けに来ることになります。それに対応するのが面倒くさくなったのでしょうか?それとも、勇んで言ってみたはいいけれど、自分が考えていた以上に難しいことだと思ったのでしょうか?はたまた、その両方なのでしょうか?以後、その講師から「学習指導をする」といった言葉を聞くことはありませんでした。

  物事一つ習得するには、それ相応の手間隙が費やされることになります。そうやって技術というものは身についていくものなのです。最近は、職人さんと呼ばれている方が、テレビでその技術を見せてくれる機会が増えているようです。もちろん、その技術は、それは、それは目を見張るものばかり。一見、簡単にやっているように見えるのですが…もちろん、素人にはおいそれと出来るものではありません。レポーターの方が「じゃあ私も挑戦」なんて具合でやってみるのですが、てんでダメ…というパターンがお約束。〝手間隙を費やして身に付けた技術〟ですから、素人がオイソレとできるようなものでないことは、言うまでもありません。一見、簡単な作業に見えるけど、それは手間隙費やして初めて身に付くものであることも言わずもがな。それが分かっていない人にとっては、物事全てが簡単に捕らえられるんでしょうね。「私だってアレくらい…」「学習指導くらい私だって…」なんて具合に。まあ、おめでたい人といえば、おめでたい人なんでしょうが…。そのうちビデオカメラ片手に、散髪している様子なんか撮り始めたりするんじゃないでしょうかね(笑)。そうなったら、例えおめでたい人であっても、周りは笑うに笑えない状況になってしまうと思うんですけど…。

 

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2014年6月22日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

至福の時

  ご存知のように薬進塾は浅草橋にあります。薬進塾が浅草橋にあるのはご存知の方も多いようなのですが、ご存じない方も多いのが、浅草橋が何気にサラリーマンが多い街ということ。大企業というよりは『ビルの一室でオフィスを構えている』というような会社がたくさんあるのです。そんな街ですから、それはそれは飲食店がたくさんあるのです。飲食店が多いのは確かなのですが…どちらかというと、〝昼飯屋〟〝定食屋〟という「ランチ狙いの飲食店がたくさんある」といった方がいいでしょうかね。どうみても「サラリーマンの昼食狙いがメインと思われるお店」がたくさんありますから。数もさることながら、和食、洋食、中華、イタリアンからラーメン、そば、ファーストフードはもちろんのこと、台湾料理やエスニック料理まで、その種類というかバリエーションもなかなか豊富なもの。私なんかも「今日はいったい何を食べようか?」と目移りしてしまう次第で。あれも食べたい、コレも食べたい…で一軒ずつ制覇していっているんですが…。全制覇は言わずもがな、目ぼしいお店ですら、まだまだ半分も制覇できていない始末。もう5年近く浅草橋に厄介になっているんですけどね(笑)。未だ征服(?)していないお店は何気に多いのです。「今日こそは…」などと粋がってみてはいたものの…いざ、食べるとなるといつもの店に…なんていうことは日常茶飯事のこと。さらに厄介なことは、そんな〝ランチ過需要な街〟だからなのか、お持ち帰りの弁当も豊富なこと!「あの弁当、チョット美味そうだな…」なんてなると、それを食べるのが楽しみで午前中を過ごしてしまう有様で(笑)。一日一回の昼食が『弁当orランチ』の選択となるのですから、制覇もなかなか難しい次第で。まあ「何食べようかな?」なんていう悩みは、贅沢な悩みですから、それはそれで良いんですけどね(笑)。

 以前ある講師が「なんか、ここら辺、牛丼屋が多くないですか?」と言っていたのですが…。それは、すなわち、ここ浅草橋がサラリーマンの街であることの証なのです(笑)。サラリーマン街は牛丼屋が多いのです!あとサラリーマン街に多いのは〝中華料理屋〟と〝ラーメン屋〟。誰もが大好きな料理ということもありますが、いずれも「安くてボリュームたっぷり」を設定しやすい料理ですからね。「手ごろな価格で大好きな料理をボリューム満点で食べられる」というのは、サラリーマンにとってもうれしい限りですが、わが薬進塾の学生さんにとっても強い味方であること間違いなしなのです。「手ごろな価格で大好きな料理をボリューム満点で食べられる」のがサラリーマンにとっては嬉しいランチ…。そう考えると…必然的にファーストフード系のお店がサラリーマン街には多くなるのもお分かりいただけるとことかと思います(まるで講義ですねコレは:笑)。

 もっとも最近はご時勢なのか、「手ごろな価格でボリューム満点」といったお店はサラリーマンに限らず、色々な方にとって強い味方のようです。ちょっとお店を除くと、スーツ姿のサラリーマンだけではなく、学生と思しき人や作業着姿の人、OL風な人から店舗販売業の様な方まで、それはそれは色々な職業と思われる方が、それこそ肩を寄せ合ってカウンターで昼食をとっている姿を目にします。どんな格好であれ、皆、美味しそうな顔して食べている姿を見ると、見ているこちら側としても、つい笑みが出てしまう始末で。「何食べようかな?」と迷っているときも至福のひと時ですが…やはり誰にとっても食べている時は、もっともっと至福の時であることは間違いないようです。

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2014年6月15日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

ブランド

私はあまり身なりには気を使いません。世に言う〝ブランド物〟という物にもさして興味はありませんし、口角泡を飛ばしながらそのブランド物とやらの素晴らしさ、質の良さを説く話にもてんで興味がありません。しかしながら、世の中にはブランド物に身を包むことに、目の色変える人が多いようで。なんかいかにも「ブランド物を身に付けています」っていう振る舞いで、ブランドの名前を前面に出して行動されている、つまり〝質〟よりも〝名〟が先に出てしまっているような振舞いの方が少なくないような気がします。人を身なりで判断する訳ではないのですが…私はどうも〝ブランド物〟で身を包んだ方が苦手でして(まあ興味がありませんから)。さらに気になるのが…全員がそうという訳じゃないんですが、私が知る限りそういう方は今一つフットワークが重いような気がするのです。職場で、荷物があるから運ぶ、汚れているから掃除する…そういったことに対して、行動が遅いんですよね。行動が遅いというよりは、そういうことには無関心といったほうがいいのかもしれません。まあ、致し方ないですかね。そんなことに関わってしまったら大事な、大事なブランド物が汚れてしまうわけですから。

〝肩書き〟というものも、ブランドの一種と考えることが出来ると思います。〝肩書き〟は、ある種「人をブランド物にしてしまうアイテム」と言っていいのかもしれません。しかし、〝肩書き〟というブランド名が付いたブランド人(?)は、前述の身にまとうブランド物より、ちょっと性質が悪いような気がします。なんと言っても〝肩書き〟といったブランドは『一人間を、いかにも価値ある人間であるかのように仕上げてしまう』ものなのですから。

以前、こんな方がいました。「私が大学の先生を訪ねても、相手にしてくれなかった。大卒くらいでは相手にしてくれないと分かって、私は大学院にいった。卒業して院卒の肩書きで先生方に会いに行くと、以前とは態度が違って、皆快く接してくれた。院卒の肩書きがなきゃダメなんだ」なんて、苦労話(?)を語ってくれたのですが…。「へ~誰も貴方自身を評価はしてくれず、貴方自身と対峙してくれようとはしないんですね。快く接してくれるのは〝貴方自身〟にではなく、貴方の〝院卒〟という肩書きだけに対してなんですね」と内心思ってしまいました。「 『大学の先生を訪ねても、相手にしてくれなかった』というのは、貴方自身や貴方のやり方に問題があったからじゃないんですか?何故、そこで『大卒だから相手にしてくれないんだ、院卒じゃなきゃダメなんだ』という考え方になるんですかね?」とも真剣に思いました。私は院卒ではありませんが、大学の先生方は皆、普通に接してくれますよ。もちろん、中には難しい先生もいらっしゃいますが(笑)、逆にこちらが恐縮してしまうくらい気遣ってくれたり、気兼ねなく接してくれる先生も沢山、沢山いらっしゃいます…というか、そういうタイプの先生のほうが多いような気がしますけどね…。

ブランド物が好きなことは悪いことではないと思います。個人の趣味ですし、当然、質がいいモノであることは間違いないわけですから。でも〝質〟よりも〝名〟が先に出てしまうような扱い方はよろしくないと思います。先ほど「肩書き〟というものも、ブランドの一種」と書かせてもらいましたが、人間の肩書きに対しても同じことがいえると思います。肩書きがある人間を〝ブランド人間〟とするならば、やはり〝質〟よりも〝名〟が先に出てしまうような扱い方はよろしくないと思います。「○○大学出身だ」とか「肩書きが○○だ」とか「○○という会社に勤めている」とか、そういったことを、あからさまに前面に出すのは、ブランド物をこれ見よがしに見せびらかしていることと、なんら変わりないことだと思います。ブランド物の場合はそうすることで「私って凄いでしょ」と言いたいのでしょうが、えてしてブランド人間はその肩書きというブランド名を見せることで、自分のいいように事を運んだり、人を畏怖させたり、尊敬の念を抱かさせようとする場合が多いような気がします。私としては「○○だから凄いだろ?だから、こちらの言うことを云々…なんて肩書きというブランドを振りかざすのではなく、あなた自身の魅力や実力で人を動かしてみたらどうですか?」と言いたいのですが…。

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2014年6月7日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

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