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夏休みは国家試験の天王山!

 企業の研修で「内定者(つまり現役の学生さん)の方に対して、夏休みの勉強方法について学習指導をしてもらえませんか?」という依頼をよくされます。そういった講演でも、またウチの学生さん相手にも、私はよく「冬休みは受験生にとって〝天下分け目の関が原〟」ということを言います。それほど冬休みというものは、受験生にとっては大事な大事な時期なのです。そして、続けて話すのが「その冬休みにも負けず劣らず重要なのが、夏休み」といった内容。冬休みが〝天下分け目の関が原〟なら、夏休みは〝天王山〟といったところでしょう。天王山とは「長丁場の勝負のなかで節目」や「勝負を決める大事な今後を占う大きなヤマ場」という意味で使われます。織田信長の仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉と明智光秀の〝山崎の戦い〟で、「天王山を制した方が天下を取ることになる」ということが由来です。

 このブログを読んでいる人のほとんどが、次の国家試験を受験する人と思います。〝夏休み〟と聞くと、何やら「勉強なんかとりあえず置いといて、アレもコレも…」と思ってしまう人が多いようですが…皆さんに忘れないで下さいね。それは、皆さんが〝受験生(それも国家試験の!)である〟ということです。高校受験を控えている人も大学受験を控えている人も、皆、夏休みを有効に利用して学力UPを謀っています。夏休みというのは、受験生にとって〝受験のための最初の中継地点〟すなわち〝天王山〟なのです。当然、皆さんも受験生であるわけですから、この夏休みを有効に利用して、国家試験合格に対する学力の基礎固めを行って下さい。

 気をつけなければならないのは「休み中は規則正しい生活を心がける」ということ。よく休み明けに、遅刻が増えたり、講義に集中できなくなる学生さんがいますが、聞いてみると「夏休みは夜遅くまで起きていたから、生活のリズムが狂っちゃって」とのこと。結構多いんですよ、こういうパターンは。夏休み後の勉強のことも考えて生活することも、受験生にとってはとても重要なことですから、お忘れなく!

 もちろん勉強することは言わずもがな!しっかり試験勉強することをお忘れなく。よく「休み中全く勉強しませんでした」という人がいますが、そういう人が手痛いしっぺ返しをくらっているのを、今まで何度も見てきています。せっかく、今まで勉強し続けてきたのに、夏休み全く勉強しないと、今までの成果が水の泡になるといっても過言ではありません。「継続は力なり」この言葉を忘れないで下さい。

 前述の「規則正しい生活を心がける」「しっかりと試験勉強する」この二つをしっかりと実践していくためには、やはり計画的に生活することが重要になります。私がお勧めする一番良い方法は〝計画表〟を作成することです。そう、小学生のころ夏休みに作らされた、あの〝計画表〟です。「○時に起きて、○時から勉強して…」という計画表を作って、その通り行動するのが一番だと思います。ここで注意することが一つ!それは「出来る計画を立てる」ということ!よく「1日12時間勉強しますよ」なんて豪語する人がいますが…3日目でダウンなんてパターンが多かったりするのも事実。どんなに素晴らしい計画でも、実行できなければ意味はありません。出来る計画を立てるよう心がけて下さい。もちろん、この「出来る」には「自分として出来る範囲の」という意味がありますから「8時間くらい勉強できそうだけど、2時間くらいで良いや」というのもよくありません。「8時間勉強できる」なら「8時間の勉強」を計画してください。規則正しい生活のためには「就寝時間・起床時間」もしっかりと設定することを、これまたお忘れなく!

 「勉強ばっかりじゃあ、息抜きが出来ない!」という人。もちろん、やることさえやっていれば思いっきり遊んでも構いません!折角の夏休みなんですから、自己充電にも大いに役立ててください!何気に「勉強もやって、しっかり遊んで」という生活は爽快ですよ!やることやって遊ぶというのは心地良いものです!やってみて損はないと思いますよ!ただし〝自己充電〟である夏休みが〝事故充電〟にならないように注意することもお忘れなく!やはり「夏は開放的に行動する季節」ですからね。遊びもスポーツも、いつもよりはチョット大胆に行動することもあるでしょう。その分〝ケガ〟や〝事故〟も隣り合わせにあるということを、忘れないでおいてください。今まで、休みの間にケガをしたり、トラブルに巻き込まれた学生さんを何人も見てきています。「国家試験前の大事な体」なんですから、国家試験のことを忘れずに、行動には十分注意してもらいたいものです。

 何はともあれ「しっかり遊んで、しっかり勉強する」ことを心がけてください。皆さんの次の休みは、受験生にとって〝天下分け目の関が原〟の冬休み。これからの合戦に備えて、充実した夏休みを送ってください。

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2013年7月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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何にだって文句はつけられます!

  ヨーロッパの寓話の一つ。湖畔にすむ小動物たちが「この中で誰が一番強いのか」について話し合ったのですが、一向に「誰が強いのか?」の決着がつかない。そこで、その審判を神様に委ねることに。すると、神様はその動物たちを砂漠へと追いやりました。砂漠には当然水がありません。多くの動物たちが「こんなところでは暮らせません」と神様に泣きつきました。しかし、カメだけは神様にこういったそうです。「日光が降り注ぐ中で甲羅干しができる。私は運がいい。神様に感謝します」と。次に神様は、動物たちを雪国へと追いやりました。すると、動物たちは神様に向かって「こんな場所にいると凍え死んでしまいます。どうか、元の場所にお戻しください」と泣きついたそうです。しかし、この時もカメだけは違いました。「私は運がいい。これで冬眠することができる。ゆっくり身体を休ませることができる。神様ありがとうございます」と神様に感謝の言葉を述べたのです。その結果、神様は「カメこそが一番強い動物だ」という審判をくだし、褒美として長寿をプレゼントしたそうです。

  文句は何にでもつけることができます。前述の寓話でいうならば、砂漠へ行ったのなら砂漠への文句、雪国へと行ったなら雪国への文句。その時その場所その状況で、文句などいくらでもつけることができるのです。そもそも、文句とは何でしょう?大辞林によると「不満・不賛成などの言い分。苦情。不服」とあります。つまり「文句を言う」という行為は「不平・不満を言う行為」ということになります。何にでも文句を言うことが出来る。つまり、何事においても不平・不満を言うことができる、不平不満を見つけてきては、それを口にすることができるということになります。そう、不平不満を自分でわざわざ探し出してきては、それについてあれやこれや言う…これが、文句を言うという行為なのです。

  文句の多い人がよくいますが、前述のことからすると…そういう人はわざわざ不平不満を探し出してきている、ということになります。う~ん…そんなことをして楽しいんでしょうかね?だって、わざわざ自分の気に入らないことを、見つけ出してくるのですよ?そんなものわざわざ見つけ出してきて、それに関してあれこれ苦言を呈するなんて、決して楽しい行為ではないと思うのです。例えば、皆さんは花見に行ったらどうします?まあ、花見ですから桜を見ては、楽しい気分になるのだと思いますが…それを、花見に行って、花見会場のゴミ箱だけを見ていたらどうなります?せっかく花見に来たのに花を見ず、花見会場のゴミ箱だけをずっと見つづけては「汚い」だの「臭い」だの「なんで、こんなものがあるの」など、文句ばかり言っている人がいたらどうします?「せっかく、綺麗に桜が咲いているのに、なんでそちらを見ないの?わざわざ汚いものを探し出してきては、それだけを見つめて文句を言っている…。そんなことして、どうするの?」と、その人に言うのではないでしょうか?

  文句ばかり言っている人は、わざわざ面白くないもの・気にいらないものを探し出してきては、それについてとやかく言っているだけなのです。綺麗なものがあるけれど、そんなものは見もしないで、汚い部分だけを見つけ出してはとやかく言っている。精神的に非常によろしくないと思うのですが…。だって、そうじゃありませんか?何にでも文句はつけることは出来るのです。見つけようと思えば、どんなものにも汚い部分というか、ネガティブな部分は存在するのです。わざわざ、それを見つけ出してくるんですよ?あえて「汚いものがないか?」と探しているんですよ?気分良くなる訳がないじゃありませんか。そういえば、文句ばかり言っている人はいつも不機嫌な人が多いような…。そりゃあ、そうでしょう。あえて自ら気分が悪くなるようなものを探し出してきているのですから。美しい花が咲いていても、それに見向きもせずゴミ箱を見て不平・不満ばかりを言っている。あんまり楽しい生き方じゃないと思うのですが…。だからこそ、いつも不機嫌になってしまうのでしょうが…。

  当ブログでもよく書いてきましたが、どうせ生きるなら楽しく生きた方が、ご機嫌に生きた方がいいと思います。イヤ、良いに決まっています!そのためには、文句なんか言わずに過ごした方がいいのです。「文句を言う」ということは「楽しくないことを探す」ということですから。楽しくないことばかり探していても、ご機嫌になれるはずがありません。楽しくないことばかり探していたら、自分の周りは楽しくないことばかりになってしまいます。楽しくない状況にその身を置いて、はたしてその人は幸せなのでしょうか?いや、幸せであるはずがありません。どうせ探すなら、ご機嫌になるもの、楽しくなるものを探してみたらどうでしょうかね?ゴミ箱ではなく、咲いている桜を探してみる方が楽しいと思います。「でも咲いている桜が無かったら…」そういう時は、別の楽しいこと、美しいことを探してみたらいいんですよ。どんなものにも汚い部分、ネガティブな部分が存在するのと同じように、どんなものにも美しい部分、ポジティブな部分も存在するのですから!どうせ目をやるのならば、そっちの方に目をやった方が楽しいんじゃないでしょうか?美しい部分、楽しい部分を探し出すようにしていれば、自ずと口から出てくる言葉も、ご機嫌な言葉になるのではないでしょうか?そうすれば、ご機嫌な言葉を発している自分もご機嫌になれるし、回りの人たちもご機嫌になれるし、こんな良いことはないと思うのです。よく言われている言葉ですが「不平・不満は不幸を呼ぶ」という言葉。私は、この言葉通りだと思っています。

 

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2013年7月18日 | コメントは受け付けていません。 |

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じっくりと考えていたい。

 小学生のころ、やたらクイズ番組を見ていた時期がある。あの頃はクイズ番組全盛期だったのだろうか?何気に毎日のようにクイズ番組があったような気がする。どれも欠かさずみていたものだ。面白いもので、ずっと色々なクイズ番組を見ているうちに、結構バッティングする問題があることにも気がついた。大人でも首をひねるような問題で、答を聞いた時にはその内容が分かりもしないのに「そんなモノがあるんだ」などと思ったものだ。で、それが他のクイズ番組で出てきたりするもので、当然、こちらは答を分かっているので、それを口にすると…周りの大人たちは不信の目で見ているのだが、はたしてそれが正解であったりするものだから、よく驚かれたものだ。今でもよく覚えている問題が「地球の地殻とマントルとの境界面を何というか?」といった問題。答は「モホロビチッチ不連続面」。そして、これが違うクイズ番組でも出題されたのだが…。私は問題を聞くや否や「モホロビチッチ不連続面」と答えた。いざ答を聞いてみると…正解。大人たちは大騒ぎして「何で知っているんだ」的に騒いでいたが、何のことはない。以前クイズ番組で見て答を知っていた。ただ、それだけである。

 私はクイズが嫌いではない。イヤ、どちらかというと好きな方である。しかし、好きであるとは公言したくないし、人からクイズ好きと思われるのも嫌いだ。人からクイズを出されることなんか大嫌いなのである。正確に言うのなら「人からクイズを出されることが大嫌い」。それが結果として「人からクイズ好きと思われるのが嫌い」であり「クイズ好きであると公言したくない」ことへとつながっていく。人からクイズ好きと思われたり、クイズ好きであると公言すると、とたんにクイズを出してくる輩がいる。これがイヤなのだ。では、何故「人からクイズを出されることが大嫌い」なのか?

 私は、じっくりと考えるのが好きである。分からないことを、分からないままとして〝保留〟にしておきたいのだ。そして、事あるごとに思い出しては「何だろうなぁ」と考えるのが好きなのである。確かに、答は知りたい(だから考えているのだ)。しかし、早急に知ろうとは思わないし、知りたくもない。自分で考えて答を出したいのだ。別に時間がかかることなぞ問題ではない。試験問題ではないのだ。ゆっくり、じっくり考えればいい。ゆっくり、じっくり考えれば、あの手この手で色々な方法で問題を考えることができる。それが好きなのだ。自分で考えたクイズの答が正答であり、さらに一般的な解法とされているやり方と異なる解法で答を導きだしていた時なぞ、言葉にできない嬉しさがあったりする。そんな時が、まさに至福の時なのだ。

 しかし…私の周りにはそうさせてはくれない人が多い。イヤ、私の周りではなく、世間にはそういう人が多いのかもしれない。クイズを出してきては「何だと思う?」「答は?」と矢継ぎ早に聞いてくる人が圧倒的多数。大体、クイズを出されて、ものの数秒で答えてしまったのなら、そのクイズはクイズとしての存在価値が無いのではないだろうか?話は横道に逸れてしまったが…クイズを出されても、まあ一般的なものならばおいそれとは答は出ない。で、こちらが考えていると…「で、答は?」とか「何だと思う?」とか「早く、早く」などと急き立ててくる。何故、そんなに早く答えなければならないのだろう?見ると出題者は、ウキウキした目でこちらを見ている?う~ん…何を期待しているのだろう?私が正答を出すことを、そんなに心待ちにしているのだろうか?いいや、どうやらそうではないらしい…。何故なら彼らの〝ウキウキした目〟の顔つきが、今で言う〝どや顔〟になっているからだ。クイズを出して、何故〝どや顔〟ができるのだろう?考えるに答は一つ。「私は答えを知っているのよ。あなたは知らないでしょ?ほら考えて!悩んでいるけど、私は答えを知っているのよ」といった優越感に浸っているからではないか?そう、人にクイズを出す人間の99.9%が、この〝知っていることに対しての優越感〟を味わいたいがために出題しているようなのだ。だから、私は「人からクイズを出されることが大嫌い」なのだ。出題者の自己満足、知っていることに対する優越感への浸り…その材料にされているだけであり、その時の出題者の顔といったら…まあ、人間の心の卑しさがにじみ出ている、そんな〝どや顔〟になっているのだ。見ていて気持ちのいいものでは…イヤ、身の毛もよだつほどの顔なのだ。そんな顔を見る不愉快さゆえに「人からクイズを出されることが大嫌い」となってしまったのである。

 知っているということは、何か人より偉いことなのだろうか?知っているということは、何か人より優位に立てることなのだろうか?私はそんなことはないと思う。人間知っていることもあれば、知らないこともあって当然なのだ。知らないことを恥じるべきでもなければ、知っていることでいい気になることもないのだ。そんな下らない見栄というか、一時しのぎの自己満足に浸るのは勝手だが、こちらがゆっくりと考えて得ることができる、あの至福の時・・・その至福の時を得るチャンスだけは、潰してほしくないのである。私はじっくりと考えていたい。ただ、それだけなのだから・・・。

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2013年7月11日 | コメントは受け付けていません。 |

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感謝の気持ちを忘れずに。

 日々、感謝して生きているだろうか?最近、よく考える。世の中には、今日食べるものにも困っている人がいる。自分は、とりあえず毎日普通に食べることができる。世の中には、住む場所も寝る場所もなく困っている人がいる。自分は、住むところもあり、ゆっくりと寝る場所もある。何気なく身の回りにある、当たり前のこと。ところが前述のように、世界にはまともに食べる事が出来ない人が大勢いる。住む所も寝る所も無く、安住の地となる場所が無い人も大勢いる。自分は当たり前と思って、普段気にも留めていないことが、実は当たり前のことでなかったりする。現在、自分は恵まれている環境にあったのだ。以前、話題になった書籍『世界がもし100人の村だったら(著作:池田香代子、翻訳:C.ダグラス・ラミス、マガジンハウス出版社)』にこんなことが書いてある。「もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら…あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています」。世界の75%の人より裕福で恵まれている…。自分が裕福で恵まれているなどと考えたことがあっただろうか?それも、世界の75%の人よりも…。それだけではない。

・ もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが

 できたなら…あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人達

 より恵まれています。

・ もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を

 一度も体験したことがないのなら…あなたは世界の5億人の人達より恵まれて

 います。

何気に送っている日常…実はそれは当たり前のことではなく恵まれていること。それも、とてもとても恵まれていることなのだ。自分はそれを、その恵まれていることを認識したことはあっただろうか?そして、その恵みに対して感謝したことはあっただろうか?なに不自由なく日常を送れることに対して、感謝したことはあっただろうか?

 感謝の気持ちを忘れてはいけない。昔からよく言われた言葉である。祖母や両親から、何度となく言われた言葉。しかし、その言葉の意味を噛みしめたことは、あっただろうか?その言葉の真意を捉えようとしたことは、あっただろうか?上辺だけの、言葉の上だけの理解で済ませていたのではなかっただろうか?祖母や両親は、色々と苦労した人間だ。だからこそ、この言葉の真意を理解しているのではないか?だからこそ、この言葉を何度も言い聞かせたのではないか?感謝をすれば、如何に自分が恵まれているかが分かる。その恵みが分かったなら、不平不満など出てくるものではない。不平不満が出てこなければ、楽しく生きられる。人の気持ちも分かってあげることができる。いいことばかりではないか?

 『謙虚とは、控えめのことではない。おかげさまと「感謝」できること』は、心学研究家である小林正観さんの言葉。「おかげさま」と感謝できることが〝謙虚〟ということ。私の武道の師匠が「謙虚じゃない人にモノを教えても、何も会得できない」と言っていた。武道において、謙虚でない人間が破門になる理由は色々あるが、一番の理由は、そのような人間が道場に来て稽古しても、何にもならないからだそうだ。師匠や兄弟子に対する態度、道場の中での作法や決まりの順守、稽古仲間への接し方、etc…。そういったことに対し〝謙虚に振る舞うこと〟が、実は物事の会得にはもの凄く重要なことなのである。武道とは、直接関係ないことのように思われるかもしれないが、実は〝謙虚さ〟というキーワードを介し師匠から、兄弟子から、仲間から技を会得しているのだ。〝謙虚さ〟は、技を会得するということに対し、もの凄く大きい役割を果たしているのである。

 なるほど、その通りである。講師という仕事を長くしているが、謙虚じゃない人間はいい結果になっていない場合がほとんどである。講師を批判する、学校を批判する、他の学生や講師に嫌がらせをする、他人を考えない行動を取る等、いずれも〝謙虚さの無い行動〟である。そんなことが国家試験対策に何か関係があるのかと言えば…前述のように〝謙虚さ〟は物事を会得するのに大きい役割を果たしているのである。自分が批判している講師からモノを教わっても、それが身につくだろうか?自分が批判している学校で学んでも、それで何かが身につくだろうか?自分が嫌がらせをしている人間と一緒に学んで、落ち着いて講義を受けることができるだろうか?そう考えれば、謙虚さというものがいかに薬剤師国家試験対策に必要であるか、お分かり頂けると思う。そして、その謙虚さを持つためには、感謝の気持ちが必要なのだ。不平不満ばかり言っているようでは、謙虚さなど身につくはずもない。まずは、今あることに感謝して生きねば…他人事ではなく、わが身を正してそう思う次第である。

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2013年7月4日 | コメントは受け付けていません。 |

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薬進塾 実務 専任講師インタビュー

 新しくなった国家試験でウエイトが大きくなったのが実務。現場での知識が直接問われる科目ということで、気になっている人も多いはず。そんな、実務を分かりやすく教えてくれるのは、今も現場で薬剤師としてその腕を振るっている実務専任の貝和講師(薬剤師歴12年)。今回はそのベテラン薬剤師である貝和講師に、針ヶ谷講師がインタビューしてみました。

 

※ 針:針ヶ谷講師  貝:貝和講師

 

 「ぶっちゃけ、現場で働いている薬剤師としてみた場合、実務の問題はどう?」

 

 「ぶっちゃけ…満点は取れる気がしないですね(笑)」

 

 「エッ?」

 

 「現場でも知られていない、重箱の隅をつつくような問題が何題かあるのは事実ですよ」

 

 「例えば?」

 

 「添付文書の隅にある一文から出るとか…」

 

 「なるほど」

 

 「だから、実際に国家試験で出来ない問題に遭遇した時、例えば全く知らない薬などが出た

   時は、それにはこだわらないことも重要ですよ。解ける問題から進みましょう」

 

 「それは国家試験の鉄則だよね。最近の学生さんはそこの所が苦手な人が多いから…」

 

 「度胸の問題なんですけどね(笑)」

 

 「この前の国家試験で、吸入器の図の問題が出題されていたけど、ズバリ当てたよね。同じ

   図を使って講義していたのにはびっくりしたよ」

 

 「来ると思いましたから(笑)」

 

 「学生もびっくりしていたよ。講義でやったのと同じ図が、同じ内容で出題されているって」

 

 「良かったです(笑:ガッツポーズ)」

 

 「240題の時に比べて、実務は変わったと言われるけど、どう?」

 

 「(考えて)うん、変わったと思いますね。実務に関しては、より現場に近くなった気がし

   ます。現場寄りの問題というか…前は、現場から離れた問題が多かったですから」

 

 「じゃあ、現場の知識と国家試験の相関性は?」

 

 「国家試験で見る処方内容が、実際に患者さんに使われている処方内容に酷似している…

   沿っているといいますか…そうなってきていますね」

 

 「やっぱり現場の知識が問われるようになってきている?」

 

 「ですね」

 

 「題数的には増えているよね」

 

 「題数的には増えていますよね」

 

  「内容的にはどう?」

 

 「思った感じとしては…出題される薬の種類も増えたし、薬1個1個について突っ込んで聞い

   てくるようになりましたね」

 

 「ということは、難易度的には以前と比べて変わった?」

 

 「難易度…上がったと思います」

 

 「上がった?」

 

 「ええ、過去問題では対応できない問題が増えましたから…」

 

 「例えば?」

 

 「う~ん…新しい薬を聞いてくるようになりましたから」

 

  「なるほど」

 

 「今まで出題されている薬でも、過去には問われていないところを聞いてくることも

   多くなりましたね…」

 

 「対策としては?」

 

貝 「現場とかでよく出ている処方や薬で、注目されている内容はチェックしないといけませんね」

 

 「まさに、現場の情報が重要っていうこと?」

 

貝 「そうですね。病院や薬局で話題になっていること…使い方や効能・効果、そういったことにも

   目を向けなきゃいけませんね」

 

 「その点(貝和講師は)現場のベテラン薬剤師なんで安心だよね」

 

 「いえ、いえ(笑)」

 

 「この前の国家試験で合格した学生さんが『現場の情報を、なまで聞けたのが良かったです。

   4年制の薬学卒で実習には行っていなかったんですが、しっかりと対応することが出来ま

   した』とお礼を言っていたよ。ぜひ今年度も、現場の知識を盛り込んだ講義をお願いします」

 

 「はい、分かりました…と言いますか、もう盛り込んで講義していますけど(笑)」

 

 「私としても、教え子がこんなに立派になってくれるとは、うれしい限りだよ(貝和講師は、

   針ヶ谷講師の元教え子)」

 

 「(学生時代は)私、あんまり成績よくなかったですからね(笑)。」

 

 

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2013年7月2日 | コメントは受け付けていません。 |

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