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いつ いかなる時も〝絶対に勝つ〟と決めた人が勝つ。

 私が「ああ、もうこんな時期になったのか…」と、痛切に思う時期があります。それは、学生さんが「不安なんです」という言葉をよく発するようになる時期、すなわち国家試験間近となった今時分です。長いことこの世界で仕事をしていますが、毎年例外なく今時分になると、しょっちゅうこの言葉を耳にするようになります。もちろん、「不安なんです」と相談に来る学生さんも、この時期には多くなります。そんな学生さんに対し、私はいつもこう言っています。「今の時期は誰でも不安なんだよ」と。早い話、国家試験を受験する誰もが、今の時期は不安なのです。その人だけが特別不安という訳ではないのです。だから「この不安をどうにかして下さい」と言われても…実際、どうしようもないのです。その人だけが不安ならまだしも、皆が当然のように抱えている〝当たり前の不安〟なのですから。

 当たり前の不安…でも、それにとりつかれて身動きが出来ないようなら、チョット困ってしまいます。「大丈夫かな?」位の不安ならいいのですが…どうも、その不安を成長(?)させてしまって「ダメだったらどうしよう…」なんて、マイナス思考に引き込まれてしまう人がいるのですが…。ハッキリ言います。そんなマイナス思考に引き込まれてはダメですよ。弱気になってはいけません。何の良いこともありませんから。よく考えてみてくださいね。マイナスの考えをしたところで、何か得することがありますか?なんの得にもならないじゃないですか。何の得にもならないことをしては悩んだり、落ち込んだりしたところで、何が解決します?何の解決にもなりませんよ。なにも解決しないどころか、心身ともに疲労困憊してしまうだけです。まさに、百害あって一利なし。利にもならない行為を行って、心身ともに疲労させるなんて馬鹿げていると思いませんか?以前書いたブログ「不安に負けるな!」にもそこら辺が詳しく書かれていますので、「不安なんです」という方は、一度読んでみることをお勧めします。

 チョット話を戻して…その人だけが不安ならまだしも、〝第98回薬剤師国家試験を受験する全ての人が当然のように抱る当たり前の不安〟なのですから、どうにかして下さいと言われても、どうしようもありません。「そんな冷たい事を言わないで、何とかしてください」と言う方も多いんですが…。じゃあ、教えましょう。不安になったらどうすれば良いか?1つでも良いから、何か覚えてください。今、目の前にある「やらなければならないこと」を処理してください。これが、試験の不安に駆られたときの最善の方法です。あなたが不安を感じて「どうしよう」と思い悩んでいる間も、時は過ぎ去っていきます。不安を感じて思い悩む暇があるのなら、その時間、1つでも良いから何か覚えてください。やらなければならないことを、何でもいいですから1つやって下さい。模擬試験の見直しでもいいし、気になっていたことを調べるでもいい。とにかく目の前にあることを一つ一つ処理していってください。そうすれば、少しでも前に進む事が出来ますから。「不安だから止まる」のではなく「不安でも進む」のです。そして、これは国家試験直前の勉強方法でもあります。「この時期何をやれば良いんですか」という学生さんにも、同じように「今目の前にある、やるべきことをやりなさい」といいます。確実に前進するこの方法を…。

 実を言うと、試験対策の一番のベースはコレなんですけどね。「遠くの山を越えようとする前に、目の前にある水溜りを飛び越える」ことが重要なのです。そうやって、水溜りを一つ一つ飛び越えていく事が、山を越える一番の方法なのです。目の前にある水溜りを飛び越えない限りは、山に到達することはできません。国家試験という山を見て「あんな高い山越えられるだろうか」と不安になったときは、目の前にある〝あなたが飛び越えなければならない小さな水溜り〟を飛び越えてください。そうやって、一つ一つ飛び越えていけば、必ず国家試験という山も越えられるのです。山の大きさに「どうしよう」と不安になるばかりで、目の前の水溜りを飛び越えもしないでいることは、愚かなことです。不安だからこそ〝目の前にあるやるべきこと〟を、1つ1つ飛び越えていくのです。

 国家試験が近づいてくると、私は学生さんにこういう名言を伝えます。「いついかなるときも〝絶対に勝つ〟と決めた人が勝つ」。〝出来る〟とか〝勝利〟には、自分の「出来る!」「勝つ!」といった気力が大きく作用します。当然のことながら、試験でも一番重要なのは〝気力〟です。気力とは「力むこと」や「気負う」ことではありません。「気持ちの力」です。「合格するぞ!」という気持ち「薬剤師になるぞ!」という気持ちの力が〝薬剤師国家試験に対する気力〟なのです。その気持ちをしっかりと持って薬剤師国家試験に臨む。それが合格を掴み取る必須条件なのです。

 

強い人が勝つとは限らない。すばらしい人が勝つとも限らない。私はできる、と考えている人が結局は勝つのだ。        

by ナポレオン・ヒル(成功哲学の祖)

 

 薬進塾講師一同、皆さんの合格を心よりお祈りしています!〝薬剤師国家試験に対する気力〟をしっかりと持って、薬剤師国家試験に臨んできて下さい!

 

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2013年2月27日 | コメントは受け付けていません。 |

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運は自分が作り出すもの。

「どうして捨てちゃったの?あなたの幸運のコイン」

「もう必要ないからさ。運は自分が作り出すものだってわかったんだ」

 2008年公開のイギリス映画「スラムドッグ$ミリオネア」を知っている方は多いと思います。ストーリーはインドのスラム街で生まれ育った少年が、テレビのクイズ番組に出演し、数々の問題を解いていくのですが…。まあ、ネタばれとなってしまいますので、興味のある方はご鑑賞ください。実はこの「スラムドッグ$ミリオネア」には原作があります。原作はインド人外交官のヴィカス・スワラップさんが執筆した「ぼくと1ルピーの神様」という小説。実は、映画と原作では異なる部分があります。小説の方は、1枚のコイン(占い師からもらった幸運を呼ぶとされるコイン)を頼りに生きてきた主人公の話。スラム街に住むこの主人公が、テレビのクイズ番組に出演し…と内容的には映画と似ているのですが、題名にもあるように原作の方には、彼の人生に欠かすことができなかったアイテムとして、1ルピーのコイン(インドで使用されている通貨)が登場します。ちなみに、映画の方にはこのコインは登場しません。小説の中の主人公は、このコインだけを頼りに生きていました。そんな大切なコインなのですが…ブログ冒頭にある会話は、この小説のなかでのやりとりなのです。

 この主人公の「もう必要ないからさ。運は自分が作り出すものだってわかったんだ」という言葉。この言葉には、非常に重たいものがあると思います。運は自分が作り出すもの…。国家試験も間近に迫った今日この頃。国家試験受験を控えている方は、運の良し悪しという事にはかなり過敏になっていることと思います。「運よく受かってくれれば…」なんて思っている人も多いことでしょう。

 運の良し悪しとは何でしょう?もっと突き詰めて考えるならば、国家試験における運の良し悪しとは何でしょう?私はン十年、薬剤師国家試験予備校で講師をしてきましたが、試験後の学生さんから「いや~運が良かったですよ」なんていう言葉をよく聞きます。では、何が運が良かったのかと聞いてみますと…往々にして学生さんが言うのが「気になって質問したところが出題された」「何か気になって調べたところが出た」「たまたま講義で聞いて、覚えていたことが出ていた」といった内容。なるほど、本人としては特に気合を入れていた訳でもなく、何気に目にしたことや耳に入ってきたことが出題された…それを「運が良かった」としている場合が多いようです。ガチンコでにらみ合って覚えたり、ねじり鉢巻きで必死に理解したことではなく、チョットしたことでたまたま入ってきた知識が、国家試験に出題された。なるほど、そう聞けば「運が良かったのかな?」と捕えられなくはないのですが…果たして、それは「運が良かった」のでしょうか?私はこれらは「運が良かった」とは言わないと思います。

 「気になって質問したところが出題された」ということは、自分が納得いかないことがあったから、そこを質問したということになります。これは、試験対策においては当然のことではありませんか?悲しいかな、気になっても質問しない人の方が多いのが現実なのです。「何か気になって調べたところが出た」というのも同じこと。試験範囲で気になることがあれば、調べるのは当たり前の話。つまり、この2パターンは試験対策としての正当なる行為を行っているということなのです。「たまたま講義で聞いて、覚えていたことが出ていた」に関しても同じことが言えます。講義というものは、知識(今回の場合は国家試験合格に必要な知識)を与えるためにあります。そこで得た知識から試験問題が解けたということも、至極当たり前の話ではないでしょうか?しかし、これさえも講義に出席していなかったり、ただボーッと講義を聞き流していただけでは、成し得ないことなのです。

 「たまたま調べたことが出た」「たまたま気になったところが出題された」と聞けば、何やら運が良かったようにも聞こえますが、それは運ではなく「調べる」とか「質問する」という行為を行ったことによる、当然なる結果なのです。確かに数ある中から、そういうところが出題されたということを運と呼ぶなら、運と呼べるのかもしれません。ならばこそ、前述の主人公の発した言葉は、真をついているということになるのではないでしょうか?運は自分が作り出すもの…そう、たまたま調べたからこそ、気になって質問したからこそ、いい結果を得ることができた。自分で調べたり、自分が質問したりという行為が運を作りだしたのです。調べたり、質問しなければ、その運を逃すことになったのです。国家試験まで、残りわずか。このわずかな期間をどう過ごすのか?気になったことを調べたり、質問したりするのか?それとも放置しておくのか?そのどちらを選択するかで、その人の運が決まってくるのだと思います。

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2013年2月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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合格への必須アイテムは〝十分な睡眠〟!

 薬剤師国家試験まで1カ月を切りました。国家試験を受ける皆さんは、ここが正念場。受験勉強に一心不乱に励んでいることと思います。私は講師の仕事をン十年していますが、この時期になると学生さんから色々な相談を受けることになります。「今は何をすればいいんでしょうか?」「この時期、大切なことは何ですか?」「試験までの間、何に気をつければいいでしょう?」等、「どのように過ごせばいいのか?」といった、普段はあまり相談されない内容が多く持ち込まれます。やはり国家試験まで1カ月を切ったとなると、今更ながら何をすればいいのか、どう過ごせばいいのかということが気になるのでしょう。

 この時期にやって来るそんな学生さん達に、私が言うことは「とにかく体調管理をしっかりしなさい」ということ。これを聞いた学生さん、何気に「?」という顔をする場合が多いのです。「勉強のことだろ?この時期大事なのは?」と思っているのでしょう。確かにこの時期には、勉強のことも大事なことですよ。しかし、勉強以上に大事になってくるのは体調管理なのです。「そんなことは分かっているよ!健康に気をつけろということでしょ!」と思った方もいると思いますが…では、お聞きしたいのですが、体調管理、具体的に何をすればいいのでしょう?健康に気をつけるためには、何に留意しなければならないのでしょう?こう尋ねてみると、何気に黙ってしまう学生さんが多いのも事実です。では、改めてお尋ねしますが…体調管理、具体的にどうしなければいけないのでしょうか?「身体に気をつける」くらいは皆さん言うのですが…。私が学習指導の時によく言うのが「学習指導もそうだけど、何事においても、具体的でなければ物事は進みませんよ」ということ。世の中には〝具体的ではない学習指導〟が溢れかえっているのです。それを憂いての発言なのですが…。話はちょっと横道に逸れましたが、体調管理という言葉は知っていても、では具体的に「どういうことをしなければならないのか」ということを知らなければ、体調管理は不十分ということになってしまいます。

 この時期の体調管理において、何よりも気をつけなければいけないのは睡眠時間です。つまり「十分な睡眠を取る」ということ。皆さん、1日何時間寝ています?十分な睡眠を取っていますか?「何を言っているんですか?国家試験まであとわずかというこの時期に、ゆっくと寝てられますか?睡眠時間を削ってでも勉強しなければ!」という人。この時点で、試験対策としては不十分どころか、試験対策自体が瓦解していると言っても過言ではないと思います。私は学生さんに「必ず6時間以上の睡眠時間を確保するように」と指導しています。眠るということは、脳を休ませることです。睡眠時間を削るということは、「脳が休む時間を削る」ということなのです。果たして、そんな疲れ切った脳で、モノを覚えたり、理解したりすることができるでしょうか?さらに、睡眠不足が身体にとっても大敵であることは言うまでもありません。睡眠不足は脳機能の低下だけではなく、循環機能の低下や免疫機能の低下、脂質代謝機能の異常等、様々な〝不健康〟を招くことになるのです。睡眠不足は体調を崩す大きな原因の一つ。体調を崩した状態で勉強をして、はたして効率良く学力が身につくのかといえば…それはチョット難しい話でしょう。ましてや、崩れた体調を元に戻すには休養が必要。この時期にゆっくりと休養するだけの時間を取ることができるかというと…これまたチョット難しい話なのではありませんか?体調不良を引きずりながら勉強して、さらにそれを癒すことも出来ないとなると、肉体的・精神的にもかなりキツイ状態になってしまいます。こんな状況が国家試験の日まで続いたとしたら…肉体的・精神的にも、かなりキツイ状態で国家試験を受けることに。これが、どれほど大変なことなのかは、私がここで書くまでもなく、十分お分かりいただけることと思います。

 睡眠不足が、いかに試験というものに対して悪影響を与えるものか、お分かりいただけましたでしょうか?体調管理と一口に言っても、様々なものがありますが、やはり何と言っても気をつけなければいけないのは、「十分な睡眠を取る」ということなのです。体調管理が試験にとっては重要なことであり、体調管理で大事なことは十分な睡眠を取ることなのです。睡眠は健康の基本。そして健康な状態で試験を受けること。これが、試験合格を掴み取るのに最も大切なことなのです。

 

「休めない」という人は、どこかで休息や睡眠を無駄な時間だと思っているところがあります。しかし、健康でなければ仕事はできません。「仕事のひとつとして、健康に投資する」という意識を持っていただきたい。「休むのも寝るのも仕事のうち」ということです。  

  by 西多昌規(日本の精神科医、医学博士、日本精神神経学会専門医、睡眠医療認定医)

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2013年2月14日 | コメントは受け付けていません。 |

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殴れば選手は強くなるのか?

 私は二十数年に渡って、武術関係の指導を受けている。師匠は、御年70歳を越えているが、半端なく恐いし、強いし、凄い。その技術を身につけるために、心身ともに切磋琢磨したはずである。だからこそ、その道に関しての甘さは許さない。弟子の我々がミスをした場合は、躊躇なく怒る。自分が切磋琢磨して会得したからこそ、そして師匠であるという責任があるからこそ、その目は当然厳しいものとなる。怒られることなぞ、しょっちゅうだ。二十数年に渡って指導を受けているが、誉められたことなぞ片手位だ。ただでさえ恐い師匠である。怒ったとなると、恐さも一入…何も言えずに俯くしかなくなる。それほど恐いし、厳しいのだ。しかし…殴られたり、蹴られたりしたことは一度もない。怒鳴られることはしょっちゅうである。しかし、手を上げられたことは一度もない。

 師匠が恐ければ、兄弟子達だって半端なく恐い。さらに、口よりも手足の方が早く出る人達ばかりである。もちろん普段は、後輩思いの優しい先輩達である。しかし、師匠に教わっている武術関係のこととなると、その真剣さは、師匠同様これまた半端ではない。ミスをしようものなら、師匠と同じように先輩達の怒号も飛び交う。はっきり言わせてもらうが、マジで恐い。怒られている時は、俯きながら、ただただ「ハイ」と「すいません」の繰り返しである。自分で自分が悪いことは分かっているのだ。反省をしなければならないのは当たり前である。これまたハッキリ言わせてもらうが、先輩達からは叩かれたことはある。「何やってんだよ!」と頭をベシッと叩かれたことは何回かある。「ちゃんとやれ!」と足にローキックをもらったこともある。しかし、10人近い先輩達がいて、さらに二十数年の付き合いをしていて、叩かれたり、蹴られたりしたことは、両手で余る位である。口よりも手足の方が早く出る恐い先輩達10人位と、二十数年の付き合いをして、叩かれたり蹴られたりした回数が両手で余る位・・・。これは、数的には限りなく0に近いといっていいのではないだろうか?

 さらに、師匠や先輩達は怒鳴ることはあるが、それはあくまでも技術不足、理解不足を指摘することに関しての厳重注意である。「何やってんだ!」とか「下手だな!」「こうすれば、いいだろ!」「分かってんのか?」「ダメだなぁ!」といった内容である。人間性を否定するようなことは言わないし、脅すようなことも言わない。もちろん「死ね!」などと言われたことは一度もないし、言ったのを聞いたこともない。

 何故、それほど厳しい師匠や恐い先輩達なのに、ミスをした時、殴ったり蹴ったりしないのだろうか?人間性を否定するような罵声を浴びせないのだろうか?単純に、そうする必要がないからだと思う。殴る蹴るしたところで、罵声を浴びせたところで、それが技術力向上につながるかといえば、そうではないことを知っているからだと思う。殴る蹴るして、人間性を否定するような罵声を浴びせて、技術力が向上するなら、そうするであろう。先ほど「自分で自分が悪いことは分かっているのだ。反省をしなければならないのは当たり前である」と書いたが、人間ある程度の年齢になれば、ミスをしたときには、自分自身が一番それを痛感するはずである。指導を受ける側としては、ミスをした自分自身が悪いことを認識させられることの方が、よっぽど応えるのだ。師匠や先輩から「もうチョット、○○すればいいんだけどなぁ…どうしてそうなるかなぁ…」としみじみと、そして困惑した声でミスを指摘されることが多々あるが、こっちの方が下手に殴られるよりもよっぽど応える。「いけない」ことが、身にしみて分かる。そして「直そう」「次回からは気をつけよう」と心から思うのである。人を育てるとは、こういうことではないのか?私は予備校講師という、学生を育てる仕事をしているが、二十数年に渡る講師生活の中で、殴る蹴るしたり、人間性を否定するような罵声を浴びせたことなぞ一度もない。殴る蹴るして、罵声を浴びせて、学生の成績が上がるなら楽なものである。人を育てるとは、そんな簡単なことではないのだ。おそらく、私の師匠や先輩達もそう思っているはずである。

 昨今、世間ではスポーツに関する指導が問題になっている。高校での指導であったり、大会に出場する選手団の指導であったりと、場や条件こそ違え、指導するときに暴言・暴挙があったということが、問題として取り上げられている。選手を強くするためには、育てなければならない。育てるということは〝殴る・蹴る〟〝罵声を浴びせる〟そんな簡単なことではないと思う。「それ(暴言・暴挙)も必要だ」という意見も耳にするが、ではどうしてそれが必要なのか説明してもらいたい。実際、私の師匠や先輩達はそれがなくとも、立派に後輩たちを育て上げているのだから。人を育てるということは、暴言・暴挙で何とかできるほど簡単なことではないのだ。指導する立場の人間はそれを分かっていたのだろうか?一連の事件の一番の問題点は、そこにあるのではないかと思うのである。

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2013年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |

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