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2012年の日本を表す一文字は「金」。そして2013年の干支は巳!

毎年恒例の京都・清水寺で発表される「今年の漢字」。今年の日本を表す一文字は「金」でした。日本全国より公募されたものの中から、最も応募数の多かった漢字一字が、その年の世相を表す漢字として選出されるのですが、その最も応募数の多かった漢字一字が〝金〟。今年の日本で〝金〟といって思い出されるのは…。ロンドンオリンピックでの選手陣の活躍により、日本選手団のメダル獲得数が史上最多の38個。うち金メダルは7個。もちろんパラリンピックの選手団も大奮闘。メダル数は16個。うち金メダルは5個という好成績。何やら暗い話題ばかりの今の日本に、数少ない明るいニュースとしての印象が大きかったのだと思います。

金メダルがもらえるのは、何もオリンピックに限ったことではありません。ノーベル賞受賞者に送られるメダルも、18Kを基材とし、24Kでメッキされた、重量約200g、直径約6.6cmの金メダル。京都大学教授の山中先生が、iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したことも明るいニュースでした。「(賞状やメダルは)展示はしません。大切な所に保管しておきます。もう、見る事はないと思います。また一科学者として自分がやるべき事を粛々とやっていきたいと思います」と述べるなど、その謙虚さは多くの日本人の心に残ったことと思います。

日本人の心に残った〝金〟といえば、932年前の日本人の心にも残ったであろう金環日食。もちろん、現代日本人の心にも残った、自然の一大アトラクションであることは間違いないと思います。

 こう見ると、日本が明るくなった話題に〝金〟が大きく関わっていたことは間違いないようですね。前述のように、昨今の日本は暗い話題ばかりですから、明るい話題の基となった〝金〟が今年の漢字に選出されたことは、ある意味喜ばしいこと…と言いたいのですが、どうやらそうでもないみたいです。〝金〟は「カネ」とも読めます。「今年の漢字」を主宰している日本漢字能力検定協会のホームページには、「カネ」をめぐる問題が表面化したことも、〝金〟が今年の日本を表していることとして掲載されています。年金資産運用に関連した詐欺事件の発生や、生活保護費の不正受給問題。消費税増税を中心とした財政問題に、東日本大震災の復興予算の使途をめぐる問題。せっかく明るい〝金〟で今年を締めくくる事が出来るかと思ったのですが、どうやらそういう訳にはいかなさそうです。

東洋医学の根幹でもある、陰陽五行思想。五行思想とは、自然界は木、火、土、金、水の5つの要素で成り立っているというもの。「行」という字には、循環するという意味があります。つまり、この5つの要素が循環することにより、森羅万象が成り立っているという思想が五行思想なのです。今年の漢字である「金」は、五行思想では収穫の季節である秋の象徴とされています(正確に言うならば、五行思想では「きん」ではなく「ごん」と読ませています)。今年の日本には、どんな収穫があったでしょうか?前述のようにオリンピックの選手の方々の奮闘や、京大の山中先生の功績が認められたことなど、確かに大きな実りがあったことは確かだと思います。しかし、何故か沢山の大きな収穫があったのに、その収穫に見合うだけの〝日本の明るさ〟がなかったように思えるのは私だけでしょうか?「日本が明るくなった話題」はあったのですが、じゃあ今年の日本は明るかったのかといえば、決して明るいとは言えない状況だったと思います。喜ばしき事があったから笑おうとするのだけど、何故か口元がひきつってしまう。心から笑えず、どこか寒々しい、無理矢理な笑いになってしまう。そんな笑いだから、笑いがあるのに明るくならない…。今年の日本はそんな感じだったように思えるのです。何故そうなってしまったのでしょうか?やはりそれは、大きな喜ばしき収穫の他に、大きな悲しみの収穫、大きな不安な収穫もあったからだと思います。そして無意識のうちに、誰もがそれを感じ取っている。だからこそ、誰もが腹の底から笑うことができない、笑うことで明るくなることが出来ない、そんな状況になってしまったのではないのかと思うのです。

来年の干支は巳(ヘビ)。蛇は何度も脱皮を繰り返すため、古来より再生の象徴とされています。今の日本には再生させなければならないことが、どれほどあるでしょう?東日本大震災の被災地域。放射能により立ち入りを制限されている地域。落ち込んだままの経済状況。上向く兆しが見られない雇用問題。その他にも再生させなければならないことは山のように…イヤ、今の日本は〝再生させなければならないこと〟ばかりではないでしょうか?今の日本は、どれ一つとっても〝再生させなければならないこと〟ばかり…これは決して過言ではないと思います。来年は、再生の象徴である巳(へび)の年。何としても〝再生させなければならないこと〟が再生される一年であってほしいものです。そして、我々の笑顔も再生するような一年になってもらいたいと思います。

ちなみに、薬学のシンボルであるヒュギエイアの杯。ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの娘のヒュギエイアが持っていた〝ヘビの巻きついた杯〟です。調べてみると、医療・医術の象徴であるアスクレピオスの杖と並び、世界的に広く用いられているシンボルマークとのこと。薬学のシンボルマークに登場している蛇。その巳(ヘビ)が干支となる2013年。これは、何とも薬学にとって目出度い話ではありませんか!きっと2013年は、薬剤師を目指す薬学生が脱皮して、薬剤師へと生まれ変わる、そして合格の笑顔となる年であることは間違いありませんよ!

何はともあれ、今年も一年ありがとうございました!皆さんのおかげで、今年一年、薬進塾は進んでいくことができました。心より感謝申し上げます。どうぞ、来年も薬進塾をよろしくお願いいたします。それでは皆さん、良いお年を!

 

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2012年12月27日 | コメントは受け付けていません。 |

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サンタクロースの見る夢は?

 時はクリスマス前。サンタクロースをあちらこちらで見かける、華やかな季節となりました。もちろん我が浅草橋も例外ではありません。クリスマス近くなると、この街も華やかさがいつも以上に増すことになります。実は浅草橋は、人形やビーズアクセサリーのお店、店舗用品等を取り扱うお店、店舗用ディスプレイのお店など、色々なお店がひしめき合っている街。そんな浅草橋、薬進塾に来るまでの道のりに何気に多いのが店舗用ディスプレイのお店。店舗用ディスプレイというのは、モール(紐やら針金に細長い金銀キラキラしたのがついているヤツ)やら、造花やらポップバルーンやら、まあ、お店の飾り付け用品ですね。薬進塾に来るまでの間、そういった店舗用ディスプレイを販売しているお店の前を、何件も通ることになります。店舗用ディスプレイなんていうものを販売するとなると、お店の中でひっそりと箱に詰まって売られている…なんていうことはまず無く、当然ながらこれ見よがしに、お店の中所狭しと飾りつけられて販売されることとなります。お店によっては、店の外にまでそのディスプレイがはみ出して・・・イヤ、確信犯的にあえて「見せつけてやろう」と言わんばかりに、外に置かれているものもあります(笑)。

 店舗用ディスプレイというモノは飾った時に、いかに華やかに見えるか、いかに人目を引くか、に重きを置かれているもの。地味な店舗用ディスプレイなどというモノは、全くもってその存在意義を成さないものである。もちろん前述のように、それを販売するお店ともなれば、店自体が華やかになるのは言うまでもない。という訳で、そんなお店が多い浅草橋では、クリスマス近くなると何とも華やかな店舗用ディスプレイが、氾濫することになるのだが…。店舗用ディスプレイというモノは、なにもクリスマスに限って使われるものでないことは、ご承知のことと思う。得てして、店舗用ディスプレイが必要とされる時は、イベント事がある時。そして、そのイベント事とは、季節に根付いているものがほとんどである。正月から始まって、節分、ひな祭り、子供の日、夏休み、お盆、ハロウィン、クリスマス、大晦日…もちろんこれ以外にも、季節のイベント事は沢山ある。そのイベントの数ほど店舗用ディスプレイがあると言っても決して過言ではないだろう(まあ、だからこそ店舗用ディスプレイのお店はやっていけるのだろうから)。そうなると店舗用ディスプレイのお店は、年中と言っていいほど、これ見よがしにお店の中、所狭しとディスプレイを飾りつけて販売していることになる。もちろん、店の外にまで「見せつけてやろう」と言わんばかりに、ディスプレイを置くことにもなる。年中、ディスプレイ…。そう、年中華やかなのである、店舗用ディスプレイのお店は!販売商品の宣伝が、店の華やかさにも一役買ってくれることになるとは、まさに一石二鳥!そういう訳で薬進塾に来るには、季節ごとに異なる煌びやかさを装っている店舗用ディスプレイのお店の前を通ることになる訳で、まあ、ある種なんとも贅沢な通学路(講師にとっては通勤路か?)となっているのである。

 前述の如く、店舗用ディスプレイのお店は年中華やかなのだが、クリスマスの時はその華やかさも一入。それは、昨年も思ったのだが…昨年よりも華やかさが増しているよう思えるのは気のせいだろうか?イヤ、クリスマス用ディスプレイが、年々華やかになっているのは間違いないことだと思う。私が子供の頃のクリスマスは、こんなにも華やかなものではなかったはずだ。子供の頃の〝サンタクロースがクリスマスにプレゼントを持ってやってくる〟というイメージは、質素な部屋の中、暖炉の前のベットで寝ている子供がいて、そのベットに靴下がぶら下げられている。そこにひっそりとサンタクロースがやってくるというものだった。明りの少ない街の上を、トナカイに引かれたソリに乗ってサンタクロースがやってくるというものだった。そのイメージには、ギラギラした電飾に飾られた街とは正反対の、夜の帳が下りている静かな街があった。今のクリスマスと違い、昔のクリスマスは〝静〟であったように思えるのだ。少なくとも、喧噪ある今のクリスマスのイメージとは程遠い、静寂なる、そしてある種、厳かな雰囲気が漂っていた神聖なるクリスマスであったような気がするのである。

 サンタクロースも、そろそろ書き入れ時(?)である。何と言っても一年の総仕上げ、一番の働きどころ、腕の見せ所である。我々講師が、何年講義をやっていようとも、講義前は緊張するように、やはりサンタクロースもクリスマス近くなると緊張するのではないのだろうか?プロとはそういうものである。当日のことを思うあまり、クリスマス当日を夢見たりすることもあるだろう。その時のサンタクロースの夢は、どんな夢なのだろう?華やかな電飾に飾られ、色とりどりのディスプレイに満ち溢れた、喧噪の街の上を飛びかう夢なのだろうか?それとも、夜の帳下りた静寂なる街の上を、プレゼントを配る子供たちのためにと、鈴の音を共にソリを静かに滑らせている夢なのだろうか?

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2012年12月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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まだまだ間に合います!でも、そろそろ間に合わなくなります!でも、まだまだ諦めない事! Ⅱ

 十人十色とはよく言ったもので、国家試験対策の予備校講師なんていう仕事を長く続けていますと、本当に色々な学生さん達に出会います。何気に多いのが、学習指導や個人面接で「毎日勉強するように」と口すっぱく指導しても、どこ吹く風で勉強しない学生さん。そういった学生さんに限って、2月位になるといきなり泣きついてくるのです。「勉強…全然なんですけど、どうしましょう?」と…。

 そういう学生さんを、今までに何人も見てきました。6月や9月から講座が始まっているのに、更にその時点から学習の指導をしているのにさっぱり勉強せず、2月位に泣きついてくる学生さんを…。おそらく本人としては「まだまだ時間がある」なんて思っていたのでしょう。でも、ですね…何度も何度も学習指導で伝えたんですよ。「自分の勉強方法を身につけるには時間がかかるよ」ということを。このことは、外部から依頼される学習指導等の講演でも、口をすっぱくして言い続けている事なのです。何事もそうであるように、勉強も「さっぱりやっていませんでした。ハイ今から始めます」といっても、オイソレと始めることなど、中々出来るものではないのです。自分のやり方(前述のように、私は『自分の勉強方法』という言い方をしています)を確立するまでには、それ相応に時間がかかるのです。勉強だけではなく、何事も自分のやり方を確立するまでは、やり難い状況を続けなければなりません。「そうなんですか?」という方。思い出してみてください。初めて自転車に乗った時や、パソコンを始めたばかりの時を。すんなりと、出来ましたか?ほとんどの人が、四苦八苦しながら「難しいなぁ」「思い通りに行かないなぁ」なんていう〝やり難さ〟を感じたのではないですか?やり難い状況に耐えながらも、何度も何度も自転車に乗ったり、パソコンをいじったりしていませんでしたか?そんな状況を繰り返しているうちに、やがて〝自分のやり方〟で出来るようになっていく。物事を身につけるということは、そういうことなのです。始めたばかりの時の『やり難い状況』を続けなければ『自分にとってやり易い状況=自分のやり方で出来る状況』は生み出されない。ここなんですよ、一番のポイントは!

 泣きついてくる学生さんのほとんどが、この状況で泣きついてくるのです。つまり「年も明けたし、そろそろ勉強でも始めようか」なんて始めては見たものの…やり難いわ、効率悪くて進まないわで、にっちもさっちもいかない状況になって、泣きついてくるのです。前述のように、年明け1月くらいから始めても、しばらくは『やり難い勉強』が続くことになります。勉強はしているものの、どうにもしっくり進まない。時間をかけて勉強している割には、効率も悪い。もちろん、『自分の勉強方法が確立されていない状況での勉強』ですので、すぐには成績だって向上しません。焦るんですよ。周りの皆はバリバリと勉強している。自分は今一つ、イヤ、今五つくらい進みが芳しくない。ましてや勉強していなかったから、分からないことばかり。気は焦るものの、時間だけが過ぎていく状況。「こんな状況で国家試験に受かるのかな?」「あと何ヶ月?」で、我々のところに泣きながらやってきて「もうダメです」やら「受験は諦めます」となるのです。それも見越して、ず~っと前から言っているんですけどね「毎日勉強しなさい」って。「自分の勉強方法を確立するには時間がかかるよ」と…。

 よく「どれくらいで自分の勉強方法は確立されるんですか?」という相談を受けます。これはかなり個人差がありますから、一概に「○日」とはいえません。10日ぐらいで、ある程度自分のペースに持っていける人もいれば、それこそ何ヶ月もかかる場合もあります。個人差もありますが、まあ1ヶ月~1ヵ月半位あれば何とかなるといったところでしょうかね…(何度も言いますが個人差があります。もちろん、適切な指導のもとでは、もっと期間は短くなります)。ということは…今から勉強を始めても、自分の勉強方法が確立されるのは1月下旬位ということになります。2月の一ヶ月間を「自分の勉強方法」で一心不乱に取り組めば、何とか追いつくことが出来るはずです。

 となると…もし、まだ勉強を始めていないという人がいましたら、悪いことは言いません。今すぐ始めてください。まだ、間に合いますから。よくこの時期に「もう間に合わないと思ったから、やめちゃいました」という話も耳に入ってくるんですが…チョット早すぎるんじゃないでしょうかね?イヤイヤ、まだまだ諦めるのは早すぎますよ!試験対策をヒートアップさせなければならないのは、これからなんですから!こんなところで諦めてはいけません!試験というものは、試験終了の合図があるまで決して諦めてはいけないものなのです。勉強している人も勉強していない人も、そろそろ鉢巻きを締めなおして、試験勉強に取り組んでみてください。

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2012年12月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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つり革の下は誰のもの?

 最近、電車に乗っていて、やたら気になるのだが…座席に座っている人が、自分の脚の前や脚の下に荷物を置いていたりする。自分の脚の前にキャリーバッグをドンと置いて座っていたり、自分の脚の下に荷物を置いて座っていたりする。足の間に挟んで置いている場合もある。こういった光景を、最近よく目にするのだが、これが気になってしょうがない。

 電車の吊皮(つりかわ)を利用したことがない人など、現代社会では皆無だろう。電車の中で「立つ」という行為は「吊皮を利用する」ということとほとんど同義なのだ(もちろん、吊皮無しに車内で立っている場合もあるのだが)。電車に乗る度に毎回毎回座れるということは、そうある話ではない訳で、そう考えるならば電車を利用している人のほとんどが、毎日のように吊皮のお世話になっているということになる。私も毎日のように吊皮を利用している。ご存じのように、吊皮が存在するのは座席の前の上部。吊皮を使用するということは、当然ながら座席前に立つことになる。これも、皆さんご存じの通りである。ところが、座っている人が自分の脚の前にドンと荷物を置くと…その荷物は吊皮の下にくることになる。吊皮とは、手で掴むべきものであるから、当然、吊皮の下には吊皮を掴んでいる人の身体がこなければならない。その身体が本来くるべき場所にカバンが置いてあると、吊皮を使用する人の身体を置く場所が無くなってしまうことになる。すると、吊皮を掴むということができなくなってしまう。たとえ、その状況で吊皮を掴んだとしても、荷物が邪魔している以上、本来身体を置く場所に身体を置くことができず、何ともぎこちない姿勢を強いられることになってしまう。

 座っている人が自分の足の下に荷物を置いたり、足の間に挟んで置く場合も同じである。そういった荷物の置き方をする場合、往々にして脚は自然と前に出ることになる。座席に浅く座って、脚が前方にかなり出ている状態である。今度は、吊皮の下に〝荷物〟と〝脚〟の二つが存在することになる。やはりこうなると、吊皮を利用しようとした時、身体を置く場所が無くなってしまう。結果、吊皮を掴むという行為ができなくなってしまうか、たとえ吊皮を掴んだとしても、前述のようにかなり苦しい姿勢を強いられることになってしまう。

 何故、吊皮があるのだろうか?座れなかった人は立つしかない。最近は、中高生が車内の床にデンと座っているのを見かけるが、あれは明らかにマナー違反である(JR九州では「床に座らないでください」というステッカーを車内に貼っているそうだ)。マナー違反はともかくとして、車内で立っている人が身体の安定を図るために、吊皮というモノは存在しているはずである。前述のように、吊皮を利用するためには、当然その下のスペースに身体を持っていかなければならない。しかし、そこに荷物が置いてあると身体を持っていくことができず、吊皮を利用することができなくなってしまう。ということは、座席に座って脚の前にカバンを置いている人は、一人で「座席+吊革」を使用しているということになるのではないか?

 空いている座席に、カバン等の荷物を置いていたら何と言われるであろう?「そこは荷物を置く場所ではありません。人が座る場所ですよ。荷物をどけて、座らせて下さい」おおよそこういった内容のことを言われるのではないだろうか?そう、座席というスペースは、本来、人が座るためのスペースである。そこに、荷物を置くということは、一人で二人分のスペースを使っていることになるのだ。一人で二人分の座席を使うなら、立っている人に座ってもらい、二人で二人分座る。これがマナー、イヤ常識なのではないか?一人で「座席+つり革」を使用しているということも、二人分使用していることになるのではないだろうか?本来、吊皮の下は「吊皮を利用する人のためのモノ」なのだから。そこに荷物を置いて、座っている人がそのスペースを使用するということは「吊皮を利用する人のための場所を使用している」、すなわち二人分使用しているということになるのではないだろうか?この場合も、前述のような言い方をされても、致し方のないことではないだろうか?すなわち「そこは荷物を置く場所ではありません。吊皮を利用する人が立つ場所ですよ。荷物をどけて、吊皮を使わせて下さい」と…。

 私は基本、車内で座る時は、荷物は膝の上に置くものだと思っている。網棚の上は、立っている人が荷物を置く場所だと思っている。インターネット等で色々調べてみると、やはり私のような考え方の人が多いようだ。もちろん、チョット大きめのカバンを持っている時などは、座りながらも網棚を利用させてもらうことはある。しかし、混んでいる時などは、やはり膝の上に置くようにしている。場合によっては座席を利用しないで、車両の隅に立ち、荷物をその横に置いたりもする。これが、混んでいる電車の中での、大きな荷物を持った人間のマナーだと思うのだ。もちろん、車内が空いている時は別である。座席に空きが多い場合は、荷物を座席に置くことも許されるであろうし、もちろん網棚の上に乗せることも構わないと思う。今回の主題である「脚前に荷物を置くこと」も、ある程度は許されることだと思う(その分、通路は狭くなってしまうが…)。しかし、それはあくまでも「空いていて、スペースに余裕がある場合」の話である。やはり混んでいる車内では、原則として〝人のためのスペース〟が最優先されるべきではないだろうか?

 座席が全て埋まっていても、吊皮に余裕があるようなら…すなわち立っている人が少なく、吊皮を利用している人が少ない状況なら、脚の前に荷物を置くことも許されであろう。しかし、その場合も「2人分使用している」という意識は持つべきではないか?「あくまでも余裕があるから2人分使用している」という認識は必要なのではないか?そして、当然ながら人が増えてきた場合には、人優先でスペースを空ける配慮が必要なのではないか?配慮…デジタル大辞泉によると、配慮とは「心をくばること。心づかい(あれこれと気を配ること)」とある。「大きい荷物を持っているんだから仕方がないでしょ」「どこに置こうが勝手だろ」ではなく、立っている人のことも考えて、やはり荷物を脚の前や下に置くことは控えて欲しいと思う。例え自分が座っていようとも、立っている人のことも考えるべきであり、考えていて欲しいと思うのだ。それが配慮、すなわち「心をくばることや心づかい(あれこれと気を配ること)」というものではないのだろうか?

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2012年12月6日 | コメントは受け付けていません。 |

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