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玉子かけご飯と日本の文化。

 以前ブログで、浅草橋は何気に飲食店が多く、そのせいかリーズナブルで美味しいランチが多いと書かせてもらったことがある。そのブログの中で、「ご飯お代わり自由」「みそ汁・スープおかわり自由」なんていう店があるということも書かせてもらった。私が最近よくいくお店などは、生玉子食べ放題(食べ放題という表現が適切なのか?)、味付けのり食べ放題、ふりかけかけ放題 (笑) である。私は玉子大好き人間なので、毎回必ずと言っていいほど〝玉子かけご飯〟にして玉子を食べている。食べている時は至福の時である。あの、白身+黄身+醤油が織りなす味わいはまさに絶品!そして、ご飯にあう!そんな玉子かけご飯を堪能している時、何気に周りを見回すと、同じように玉子かけご飯を食べている人は結構多い。玉子の殻入れを見ても、かなりの人が玉子を食べていることが伺える。玉子かけご飯以外に生玉子を使う料理が無いので、皆、玉子かけご飯にして食べているのだろう(生玉子をそのまま食べる人は、ランチ時にはあまりいないだろう)。そう、日本人は玉子かけご飯が大好きなのだ。

 玉子かけご飯は、日本人には馴染みの深い食べ物であり、その愛され方たるや本が出るほどの人気者。「玉子かけご飯専用醤油」なるものがあったり、「日本たまごかけ飯シンポジウム」が行われたりで、中々奥の深いものなのだ。そんな人気物の〝玉子かけご飯〟だから、個人のこだわりも相当のモノらしく、その作り方から食べ方から、百花繚乱のあり様。「混ぜてからご飯にかけて…」「イヤイヤ、ご飯に玉子をかけて、その上からご飯をかけて蒸して…」なんて具合に、ネット上では「玉子かけご飯うんちく」が溢れかえっている状況にある。「玉子かけご飯は日本の文化!」としている記述も見かけるくらいである。

 そんな「皆が大好き玉子かけご飯」なのだが・・・。最近、サルモネラ食中毒のこともあり、厚生労働省からは「玉子かけご飯、すき焼き、納豆にかけるなど、玉子を生で食べる場合には、破玉子やひび割れ玉子は使用せず、食べる直前に殻を割ること」などという、指導が出されている。日本ではGPセンター(鶏玉子選別包装施設)で次亜塩素酸ナトリウムにより玉子が殺菌処理されていたり、鶏玉子農家が衛生管理に気を使ったりしているそうだが、やはり、記述にあるように適切な保存方法・調理方法を守って食べるに越したことはない。ご注意をば!

 今、「日本では…」と書いたのだが…実はここには驚愕の事実が隠されている。読者の皆さんは、玉子が自分の手元に届くまでの管理過程を知っているだろうか?まず玉子を産む鶏に関して。「鶏は定期的に血液検査をして健康診断をし、健康管理にも十分注意している」と厳しい管理体制となっている。生まれた玉子は「GPセンター(鶏玉子選別包装施設)に集められ洗玉子、検玉子、選別などの厳しい品質管理が行われる」「容器包装はほとんど人の手に触れることなく完全な衛生管理のもとに進められている」「賞味期限の徹底」etc…(西川養鶏場様のホームページを参照させていただきました)。何気に厳しい日本の玉子管理…。そう、諸外国と比べて日本の玉子流通管理は、かなり厳しいものなのだ。

 では、その理由は?もちろん様々な理由があるのだが、大きな理由の一つと思われるのが…それは「日本人が玉子を生で食べる世界でも数少ない民族だから」ということである。皆さんは何気に玉子を生で食べているが、世界的に見ればそれはとっても稀有なこと。いや、諸外国の方から見れば〝ゲテモノ食い〟と思われているらしい!確かに調べてみると、日本と近い台湾や韓国では生玉子を食べる習慣があるみたいなのだが、どうも日本人ほどは食べないみたいだし、当然〝生玉子を使用する料理のバリエーション〟も多くはないみたいなのである。欧米なんかでは「生玉子を食べるのは、ヘビと日本人だけである」とさえ言われているそうだ。玉子かけご飯も、納豆に玉子を混ぜて食べるのも、月見そばも月見うどんも、すき焼きで玉子を絡めて食べるのも、牛丼に玉子をかけて食べるのも、諸外国から見ると〝ゲテモノ食い〟…なんか悲しい気分になってしまうのは気のせいだろうか?

 欧米では玉子を生で食べることが習慣化されていない(すなわち必ず火を通して食べる)。だから、それほど(生)玉子の管理を厳しくする必要がないみたいなのだ。もちろん食品としての最低限の管理はしている。ただ日本に比べると、そんなに細かく厳しくはないようである。そのせいか〝生玉子大好きな日本人〟が、海外旅行でいつものように生玉子を食べて、大変な目にあうことも少なくないとのこと。〝生で食べることを前提としていない食べ物〟を〝生で食べる〟訳だから、そりゃあ大変な目にあってしまうことだろう。海外に行く方は「玉子は生で食べるものではない」としっかりと認識して、行かれた方がいいみたいである。もっとも、海外で生玉子を食べる機会も無いだろうし、生玉子を食べようとしても地元の人から止められることになるのは必須であろう。

 国や育ちによって、好き嫌いがあるのはしょうがないことである。しかし、もったいないような気がするのは私だけであろうか?生玉子は、食べ方にバリエーションもあるし、美味しい食材なのだから…。私なんかは、月見そばが大好きである。牛丼にかけるのも大好きだし、すき焼きなんかで具材と絡めて食べるのも大好きである。もちろん、玉子かけご飯も大好きであることは、前述のとおりである。そして、日本人の多くが玉子かけご飯が好きであるということも、前述のことから分かっていただけることと思う。ここまでくると「玉子かけご飯が日本の文化」というよりも「生玉子を食べるのが日本の文化」といった方が、適切な表現なのではないか?と思う今日この頃である。

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2012年9月27日 | コメントは受け付けていません。 |

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人の噂は…無視してしまえ!

 噂に関しての諺(ことわざ)ですが…〝噂〟という言葉を直接使ったものは何気に少ないようです。「噂をすれば影」「人の噂も七十五日」位なものでしょうか。しかし、直接〝噂〟という言葉は使っていないにせよ、〝噂〟に関する諺は多いようです。「人の口に戸は立てられぬ」「見ると聞くとは大違い」「流言は知者に止まる」なんていう諺は、直接は噂という言葉は入っていないにせよ、噂に関しての諺といえるでしょうね。まあ他にも、直接〝噂〟いった言葉は使っていないにせよ、〝噂〟に関する諺はたくさんあるはずです。それほど、我々人間の生活には、噂というものは切っても切れないものだといえるのでしょう。

 私が小学生の頃、給食時間中にクラス内でなぞなぞをやるということをやっていた(今から考えれば〝なぞなぞ〟っていう言葉も、すごい言葉だ…)。詳細は忘れてしまったのだが、ある女の子(Kちゃん)がこんなかんじのなぞなぞを出したのを覚えている。「伝染病よりも早く伝わり、あっという間に人に感染して、時には人を殺してしまうものは何だ?」。誰も答が分からずにいたところ、その女の子が言った答が「噂」。小学3年生の私にとっては「何のこっちゃ?意味が分からん!」と思っていたのだが(ちなみにほとんどの人がそんな感じ)、先生(女性)だけが神妙な面持ちで「そうね」と答えていたのを覚えている。小学3年生にしては、ずいぶん、ませたなぞなぞ…いや〝ませた〟で済まされる話ではないぞ!内容的にはかなりシュールだ!とても小学校3年生の女の子が出題するなぞなぞではない!イヤ、ココまで来ると〝なぞなぞ〟とも呼べないのではないか?ましてや、出題内容が的確なのがすごいところだ。「伝染病よりも早く伝わる」…確かだ。確かに早く伝わることに関しては、噂は最速かもしれない。「あっという間に人に感染して」…ここでいう感染とは「人を支配してしまうこと」を指しているのだろう。確かに人を魅了し、真偽はさておいても、あっという間にその人を支配してしまうことは確かだ。そして「時には人を殺してしまう」…悲しいかな、これも事実である。単なる噂にしか過ぎないことで、いったいどれだけの犯罪が起こっているだろう?どれだけの人間が、苦渋を強いられていることであろう?そして、どれだけの方が命を亡くしているのだろう?間違いなく噂は、人の命を奪うだけの力を持っているのだ。これが、なぞなぞで出題されることもさることながら、このなぞなぞを作成した人間も、かなりの人物であろう。もちろん、前述のKちゃんが作成者じゃないことは確かだ。もし、こんななぞなぞを作成する小学校3年生がいたら、ある意味歴史が塗り替えられていたはずである。

 噂が厄介なのは、前述のように「真偽はさておいて」というところに尽きると思う。もっと、ぶっちゃけて話してしまえば「正確じゃない場合がある」…イヤもっと正確にぶっちゃけるなら「ほとんどの噂話が嘘である」ということ。全部が全部嘘であるとは言わない。しかし私的に言わせてもらえば、噂というのは90%が嘘。真実ではあっても、誇張しすぎるくらいに誇張された内容である場合が9%。そして残り1%が、かろうじて真実といえるかな?といえる内容であると思っている。つまり、噂の大部分は眉唾物であるということだ。しかし…ここが怖いところなのだが、前述のように噂は「人を支配してしまう」のだ。その真偽がどうであろうとも、あっという間にその人を支配してしまうのだ。これが、とてつもなく恐ろしいことなのである。何が恐ろしいのか?たとえその噂が虚偽のものであろうとも、その噂のターゲットとなった場合、逃れられないからだ。ターゲットとなった本人がどんなに弁明しようとも、まず聞き入れてもらえない。噂は人を支配してしまうのだから。「我こそが真実」と、人を魅了してしまうのだから。しかし、こんな悲しい話があるだろうか?本人がどんなに真実を訴えたところで、虚偽である噂の方が真実としての価値を与えられるのだ。なるほど、前述のようにあまたの犯罪を引き起こし、数え切れないくらいの人たちが苦渋を強いられる状況に陥らされるのも、納得はしたくないものの納得してしまう話である。

 往々にして、噂は媒介するのは〝噂好きな人種〟である。もちろん、ここでいう人種とは「地球上の人類を、骨格・皮膚の色・毛髪の形など身体形質の特徴によって区別した種類(大辞林より)」といわれるところの人種ではない。単なる「人の種類」であり、「好み・性質による人の分類」であるところの人種である。つまり、噂好きな人間とは「噂を好み、噂を広げていく性質を持つ人」ということになる。さらに悪いことに、この噂好きな人間、往々にして〝噂を作り上げる人間〟でもあるから性質(たち)が悪い。そう、噂とは作られるものなのだ。それも意図的に、悪意を持って。作っている本人は悪意を感じてはいないかもしれない。しかし「人の不幸は蜜の味」よろしく、蜜を味わうがためだけに、人の不幸を演出してしまうこともあるのだ。そこに「真か?偽か?」の判断などあるはずもない。とにかく蜜を吸いたいのだから。自らが美味しい蜜を吸うために、虚偽である人の不幸を作り出してしまう。そして、そんな噂はさらに美味しい蜜となり、虜となる多くの噂好きを引き寄せることになるのだ。そして噂は、ウイルスと同じように感染を繰り返しては、その内容をより凶暴なものへと変化させていく。正確に言うならば、媒介する者の卑しい好奇心や下品な想像力が、噂というウイルスをより凶暴なものへと変異させていくのだ。こんな悲しい、そして下劣で非人道的なことが、悲しいかな日常生活にはあふれていることを、読者の皆さんは痛感していることと思う。

 では、どう対処すれば良いのか?無視するのが一番である。なぜなら、噂は感染するのだから。少しでも接してしまうと感染してしまう、そしてあなたを支配してしまうのだ。そんな危ないものには関わらないことが一番なのである。かまってもらわなければ、噂は感染もできず、増殖もできなければ、より凶悪なものへと変貌を遂げることもできない。確かに噂は気になるものである。それが、自分に関することであれば、なおさらである。しかし、そこで関与してしまえば…結局は噂の凶暴化を助長してしまうことになってしまう。たとえ自分に関する噂であり、それが真実ではないことを声高に訴えたところで、凶悪さの成長を助長するだけであり、決して噂を真実へと変貌させる行為にはなりえないのだ。いやはや噂とは、何とも性質の悪い厄介なものである。やはり無視するのが一番の手であろう。そして、噂を根絶する一番の方法は…己が噂好きな人種にならないこと。これに尽きると思う。

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2012年9月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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「和室なんですけど…幽霊が出るんですよ…」そんな所に泊れと言われても…。

 世の中には霊というモノを信じる人と信じない人がいます。私は信じる人です。だからといって「信じなさい」と無理強いする気は毛頭ありません。信じない人を否定することもしません。「信じない人なんだな」、そう思うだけです。でも私が知る限り、信じない人は、信じる人を否定します。「そんなものいるはずがない」といった考え方を押しつけようとします。中には信じる人の人格そのものを否定する人さえいます。人それぞれ何を信じるか・信じないかは、その人の自由だと思います。しかし、何故か信じない人は、信じる人を否定する行動に出ます。霊の存在を信じている私が、信じない人を否定しないのに、何故信じない人は、私のその考えを否定しようとするのでしょう?そんな行為は、アンフェアだと思うのです。

 先日、2日間に渡りある仕事をしていたのですが、初日の仕事が思いのほか長引くこととなってしまいました。2日目は仕事の開始時間が早く、このままでは十分な睡眠時間も取れずに、仕事に臨まなければならないような状況。私の先輩が「宿泊することは出来ないのか?」と、その仕事の担当者に話したところ、上と掛け合ってくれたらしく、宿泊OKという返事をもらいました。で、私の仕事のチームで宿泊する人を調べたところ、先輩2人と私の計3人が宿泊希望ということで、その旨担当者に伝えました。しばらくすると、私の後輩がホテルの予約の件に関して、担当者の方から言付かってやってきたのですが…後輩の口から出たのが「3つ部屋が取れたそうです。ツインが2つと和室が一つなんですけど…和室の方、幽霊が出るらしいです…」という言葉。私の仕事チームの人間は、それを聞いて大爆笑。まあ、先輩二人にそのような部屋に泊らせる訳にはいきませんから、必然的に私がそこに泊らなければならないのですが…。皆はそれが面白いらしく、やいのやいのと囃したてる状況。困惑した私は、その担当者の所に行き、事の真相を確かめることにしました。「和室に(幽霊が)出るという話しですが…」と聞くなり、担当者の方、顔をしかめながら「そうみたいなんですよ…」とのこと。「ホテル側が言ったのかな?随分非常識なホテルもあったもんだ…というか泊ってもいいですよとしておきながら、そういう部屋をあてがうというのは、どういうことなんだろ?」と思いつつも「じゃあ、泊るのはやめて帰ります」と言った途端…周りにいた仕事関係者たちが大爆笑。「(霊出るから)泊らないで帰るんだ」と、これまた騒ぎ立てる始末。担当者の方は、申し訳なさそうに「そういうのダメな方ですか…」と聞いてきたので「そっちの感が強い方なので…」と伝えたところ「ああ、じゃあやめた方がいいですよ」とのこと。まあ、その後も紆余曲折あったのですが、結局その日は泊らずに帰ることとなりました。

 私は、霊というモノを、ズバリ直接視たことはありません。世に言う心霊体験的なモノも、衝撃的に体験したこともありません。しかし、ちらっと視たり、心霊体験と言えるかどうかといった軽い体験をしたことは何度もあります。「幽霊を視たことがないなら、その和室に泊ってもいいんじゃない?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが…私が宿泊をやめたのは、幽霊が出て怖いのが嫌だからではないのです(もちろん、幽霊を視て怖いのも十分嫌ですけど)。そういう体験をした後、調子が悪くなるのが嫌なのです。頭が痛くなったり、だるくなったり、小さな事故が続いたり、あまりいい目に合わなかったり…そんなことを経験するのが嫌だったのです。霊の存在なんか信じない人達は「そんなの気のせいだ」というかもしれません。しかし、今までそういうことが起きてきたのは事実なのです。前述の「そっちの感が強い方なので…」の意味は、「そういう体験をした後、調子が悪くなる」ということなのです。

 私の知人の中には、いわゆる霊感があるといわれている人が沢山います。幽霊というモノをズバリ見たり、心霊体験といわれているものを、何度も経験している人も沢山います(もちろん薬剤師の中にも、医療関係者の中にもそういう人は沢山います)。そして、それに関して嫌な思いをしたり、余計な気遣いをしたり、私と同じように調子を崩してしまう人も少なくないのです。そういう人達と話をしていて、彼らがよく言うのが「この苦しみを分かってくれない人が多い」ということ。つまり、霊の存在を信じない人達に、どんなに視たことや体験したこと、そして調子が悪くなることを伝えても、頭から否定されてしまうのです。「そんなの気のせいだ」「科学的にありえないと」一笑に付されてしまう。そして、それが彼らの苦悩の一つになっているそうなのです。現在、大ヒットしているホラーコミックエッセイ〝視えるんです〟を執筆されている伊藤三巳華さん。彼女も〝視える人〟とのことで、そんな彼女が体験したことが面白おかしく描かれているのが、この〝視えるんです〟という作品。その中で伊藤三巳華さんは「霊が視えるなんて言うと、引かれるのが当然と長年の経験で思っていた」と語っています。作品の中で、言葉として直接は表現されていませんが、〝視える人〟であることによる苦悩が、何気に描かれています。やはり「分かってくれない人達からの対応による苦悩」というのがあるのでしょう。

 今回、このブログを書くかどうか、大変悩みました。仮にも学校として科学的・医学的知識を教える場のブログとして、霊のことなど(ましてやそれを信じているなど)書くことは、それ相応のリスクを背負うことになると思ったからです。前述のように、世の中には霊云々の話を、頭ごなしで否定する人が大勢いるのです。「薬剤師国家試験対策予備校ともあろうものが、そんなものを信じる内容を書くなど、もってのほか!」という人がいても、全然おかしくはないからです。では、何故書こうと思ったのか?それは、このブログを読んでくれる人の中にも、同じような悩みを持っている人や同じように苦悩をしている人が、いるかもしれないと思ったからです。そんな「誰もこの苦しみを分かってくれない」と悩んでいる人が、このブログを読むことによって「他にもそうやって悩んでいる人がいるんだ」と、少しでもその悩みから開放されたらいいなと思ったのです。

 前述のように、私は霊の存在を信じない人を否定することはしません。だから、霊の存在を信じない人も、信じる人を否定する行為は止めて欲しいと思います。それで、悩んでいる人もいるのですから…。以前『「食べ物の好き嫌いがある」=「悪いこと」なのか?』というブログを書いたときに、「嫌いなモノがある人のことも、分かってあげることが大切」ということを書いたことがあります。〝霊を信じる・信じない〟〝視える・視えない〟〝体験がある・ない〟に関しても、同じことが言えるのではないかと、私は思うのです。ちなみに、同僚講師に前述の宿泊の話をしたところ…「私はそういうのを視たことないし、そういうのも分かんないんですけど…その部屋に泊まれと言われたら、遠慮しますと断りますけどね…」正直な意見だと思います。

 

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2012年9月12日 | コメントは受け付けていません。 |

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語呂が無いのに語呂合わせ!?

ご‐ろ【語呂/語路】  言葉や文章の続き具合、調子。「―がいい」  デジタル大辞泉より

 講師をしていると、学生さんはホントに語呂合わせが好きなんだなぁ…とよく思います。以前、薬剤師以外の国家試験対策で講義をしていたことがあるのですが、そこでも語呂合わせを伝えると、学生さんの目の色が一瞬にして変わるのが分かりました。まあ、試験対策というものには、語呂合わせはつきもの。おそらく、すべての試験対策に語呂合わせというものが存在しているはずです。ご多分にもれず、薬剤師国家試験対策においても、沢山の語呂合わせが存在しますし、私自身も自分で作成したオリジナルの語呂合わせをいくつも持っています(門外不出の語呂合わせです:笑)。私が薬剤師国家試験を受験する時にも、いくつか語呂合わせを活用した覚えがありますし、その当時にもいくつかの有名な語呂合わせが存在していました。私は合格してすぐに講師として教鞭をふるうことになったのですが、教えるにあたり、やはりいくつかの語呂合わせを作ったことを覚えています(その語呂合わせは現在も健在です)。

 そんなこんなで巷には、星の数ほど語呂合わせが存在するのですが、時には「先生、こんな語呂合わせがありますよ」なんて教えてくれる学生さんもいます。誰かから聞いたり、自分で作った語呂合わせなのでしょうか、色々な語呂合わせを多くの学生さんから聞かせてもらいました。中には「オッ!いいね」なんていう語呂合わせもあるのですが、じゃあ、その語呂合わせを講義中に伝えるのかといいますと…伝えることはないのです。私にも講師としての意地というかプライドがありますからね。誰かが作成した語呂合わせを、講義で伝えるなんていうことは、プライドが許しません(笑)。人が作った国試対策の語呂合わせを、自分の国試対策講義に、その試験対策法の一環として取り入れることなぞ、私には出来ないのです。「○○さんから聞いたんですが…と断ればいいんじゃないですか?」という人がいるかもしれませんが、それもしたくはないのです。「でも、いい語呂合わせなら学生さんに伝えた方が…」というのも、ごもっともな意見かもしれません。しかし、それもイヤなのです。自分の国試対策講義である以上、自分が作成したモノ以外のことを使用するということが、私には許せないことなのです。では、どうするのか?それ以上の語呂合わせを作ります(笑)。実際、そうやって幾つもの語呂合わせを作ってきました。実は語呂合わせ、作るというのはなかなか困難なものでして。一つの語呂合わせを作るのに、あれやこれやと頭を痛めることは、語呂合わせ作りにはつきものの話。ましてや、前述のように既存の良き語呂合わせがある場合、それを超える語呂合わせを作るなぞ、至難の極み。だからこそ、「珠玉の語呂合わせか!?」なんて思える良き語呂合わせが出来上がった時には、至上の喜びとなるのです。ましてや、それで学生さんが納得している顔なぞ見た日には、嬉しさも一入。「本当に作って良かった!」となるのです。

 では、学生さんが教えてくれる語呂合わせが、全ていい呂合わせかというと…一概にしてそうでない場合の方が多いのです。教えてくれたのに申し訳ないのですが、「?」と思える語呂合わせの方が多いのが実状なのです。そんな「?」という語呂合わせに、私が一番感じることは「語呂になっていない」ということ。冒頭にあるように語呂とは「言葉や文章の続き具合、調子」ということ。つまり「語呂合わせ」とは「言葉や文章の続き具合、調子が合っている」ということ。なのに、私が耳にする語呂合わせの多くが「語呂があっていない:言葉や文章の続き具合、調子が合っていない」「語呂がない:言葉や文章の続き具合、調子がない」ものなのです。「おいおい、どこが語呂合わせなんだい?」なんていうものに、めぐり合うのは日常茶飯事。中には「ただの文章つなぎ合わせじゃないんかい?」というものもあります。もちろん教えてくれる人には罪はありませんし、その好意には感謝している次第です。私が言いたいのは、あくまでも〝語呂の無い語呂合わせ〟自身についてなのです。そして、語呂合わせなのに語呂が無いことが、そして、そんな語呂合わせが〝語呂合わせ〟と称して跋扈(ばっこ)していることが、非常に不思議に思えてしまうのです。

 以前、ある学生さんが「先生これ使って下さい!」とカセットテープを渡してくれたことがあります。なんでも、国家試験対策で覚えなければならないことを、曲に乗せて歌っているとのこと。俗にいう「歌で覚える」という手法のヤツですね。友達と作成したとのことでしたが、60分テープのA面B面にたっぷりと歌ったテープのその本数5本。ざっと計算しただけでも、5時間近く〝国家試験で覚えなければならないことを歌っている〟計算になります。で、そのテープを聞いてみたのですが…。音楽に乗せて歌って覚えるというのも、「音の調子で覚える」といえるので、ある意味語呂合わせと言えるかもしれません。しかし、件のテープに入っているその歌とやらは…曲に乗せて、覚えることを羅列しているだけ。曲には乗せているものの、調子には乗っておらず、間もてんでバラバラ。これじゃあ、歌詞を覚えるべくして覚えようとしても、次の歌詞、すなわち覚えるべきことが出てこないのでは…。そんな心配をよそに、歌っていらっしゃる本人は、いたって心地よいらしいく、酔いしれて歌っていましたね、5時間近く。まあ、あれで覚えろと言われても無理でしょうね。いや、歌っている本人でさえ、覚えているかどうか眉唾ものの歌でしたから(笑)。あれで覚えるなら、覚えるべきことと〝にらめっこ〟しながら覚えていく方が、まだ覚えられると思いますよ。まあ、カタストロフィ級のインパクトはあったんですけどね(笑)。

 語呂合わせもいいのですが、やはり理屈から覚えた方がいいことも沢山あります。「急がば回れ」というように、実際、時間がかかってしまうように見えても、理屈から覚えた方がとても効率よく覚えられることも沢山あるのです。それを「語呂合わせの方が手っ取り早いから」といって、理屈抜きで語呂合わせで覚えてしまわれる方も多いのですが、感心できる方法ではありません。もちろん、中には語呂合わせで覚えた方が効率よく覚えられることもあります(だから、沢山の語呂合わせが存在しているのですが…)。語呂合わせで覚えられることは、語呂合わせで覚える。理屈から覚えるべきことは、理屈から覚える。「物事に取り組む場合は、それ相応の道具を駆使することが大切である」ということは、当然ながら試験対策にも言えることなのです。それを間違ってしまうと…前述のような、カタストロフィ級のインパクトある、語呂合わせとは言えない語呂合わせが誕生してしまうことになりますよ(笑)。

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2012年9月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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