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他人の言葉に翻弄(ほんろう)されない。

 先々週、そして先週のブログの内容は、どちらも人間関係で苦労している人への、チョットしたアドバイスといった感じで書かせてもらいました。ところが、何気に反響が大きかったようで。やはり、皆さん人間関係では苦労しているんだなと、つくづく感じさせられました。今も昔も、誰かが発した言葉に翻弄されたり、色々言われて嫌がらせをされたりする人は少なくないようですね。私が講師を始めて、何人の学生さんから「他人が発した言葉」が原因で泣きつかれたことでしょうか。「なぜ、そんなことを言うんだろうな」と、泣きながら相談に来る学生さんを前に、悲しい気持ちになったことも何度もあります。もちろん学生さんだけではなく、私の仲間や時には私自身が「他人の言葉」の対象となって、嫌な気持ちになったことも数知れません。悲しいかな、世の中には自分の考えや思い込み、個人的な見解をあたかも真実として流布する人がいるのです。そうやって、自分の思い通りに人を動かしたり(この「人を動かす」の中には「人を傷つける」という行為も含まれています)、自分のいいように事を運ぼうとする人がいることも、やはり悲しい現実なのです。

 では、どう対処すればいいのでしょうか?一番いい方法は「自分自身がその言葉を受け取らない」ということです(学生さんにも、そうアドバイスしています)。それが真実でなければ、なおさらです。相手の言葉を受け取ってしまうから、自分自身傷ついたり、翻弄されてしまうのです。受け取らなければ、発せられた言葉は、その効力を発揮しません。自分の耳に入ってこない陰口では傷つきませんよね?「耳に入ってこない陰口は受け取ることが出来ない」からです。もっと分かり易く言うと…道を歩いていて、悪ガキから「バ~カ」なんて言われたことが誰しも一度はあるはず。その時に「バカと言われた」って傷つきますか?言われたことを思い出しては、いつまでも悲しみますか?まず、そういう人はいないでしょう。言われた時「なんだ、このガキは!」位に思って、その後は忘れてしまうでしょう?何故、傷つきもせず、忘れてしまうのでしょうか?それは、その言葉を受け取らないからです。誰だって悪ガキの悪態なんか、まともに受け取らないでしょう?人の言葉は、あなたが受け取った時に、初めてその効力を発揮するのです。だから、あなたがその言葉さえ受け取らなければ、あなたは何ら傷つくことはありません。「でも、どうしても気になってしまう」という人。なぜ、そんなに〝あれやこれや言う人〟の存在を気に留めるんですか?〝自分の考えや思い込み、個人的な見解をあたかも真実として流布する人〟なんて、近所の悪ガキと同じ位の存在ではありませんか?いや、同じ存在だと思って、同じように対処すればいいだけの話です。受け取らない…他人の言葉で傷ついたり、翻弄されないためには、自分自身の気構えというものが大事になってくるのです。それさえしっかりしていれば、他人の言葉など、いくら浴びようとも、あなたに対して何の効力も発揮することはないのです。

 情報時代と言われる現代。情報と称する色々な言葉が飛び交っています。でも、果たしてどれほどのものが真実なのでしょうか?前述のように、世の中には自分の考えや思い込み、個人的な見解をあたかも真実として流布する人がいます。そういった〝情報とは呼べない言葉〟である流言飛語に、翻弄される人も少なくはありません。そんなご時世で大切なことは、やはり自分自身の気構えなのです。翻弄されるか否かは「しっかりとした気構えで、その情報・言葉を受け取るか否かを見極めること」が重要になってくると思います。これは、学校生活や国家試験対策だけではなく、社会の中で生きるためにも必要なことなのです。自分の目で耳でしっかりと判断する、他人の言葉に翻弄されない。これは、あなた自身の気構え一つにかかっているのです。

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2012年1月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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〝好き〟の反対は〝嫌い〟ではなく〝無関心〟

 これはマザーテレサが言った言葉です(訳し方には色々ありますが…)。講師という仕事を長く続けていると、常に対面する難題として「学生さん同士の不仲」があります。まあ、色々な立場・考え方の人間が大勢、一定空間に長くいるわけですから、多少なりとも摩擦が生じるのも致し方のないことなんですが…。で、何気に多いのが「あの人は私のことを好きじゃないみたいなんです…だから私に対して○○してきて云々」といった、いわゆる〝嫌がらせ〟の相談。もっとも、我が薬進塾は少人数制ですので、こういった苦情はありません。人数が少ないと、皆知れた仲になってしまいますので、あまり摩擦も生じないようです。私は色々な場所で教鞭をふるってきましたが、やはり人数が多くなればなるほど、上記のような〝いやがらせ〟の問題が多く起こっていたような気がします。

 「好きじゃない・気に入らないから、いやがらせをする」世間では当たり前のように思われていますが、果たしてそうなのでしょうか?もし、好きじゃない・気に入らない人がいたとして、皆さんはその人に何かけ仕掛けようと思いますか?「私はそんな人の道に外れたことは…例え好きじゃない・気に入らない人とでも仲良く…」なんていうことを聞いているのではありません。私にも当然、好きじゃない・気に入らない人はいます(神様、聖人君子ではありませんからね:笑)。でも「好きじゃない・気に入らないから○○してやろう」とは思いません。出来る限り、その人とは接触しないというか、関わらないようにします。無視もしません。無視というのも相手に関わる立派な一つの行動ですから…。好きじゃない・気に入らない人とは当たり障り無く、距離を追いて行動します…というか、とにかく関わらないようにします。本当に好きじゃなかったり、気に入らなければ、こうするのが本当ではないでしょうか?

 マザーテレサが言った「〝好き〟の反対は〝嫌い〟ではなく〝無関心〟」という言葉。私は、まさにこの言葉は核心をついていると思います。誰も、好きではないモノに関心を示そうなどとは思わないはずです。とすると「好きじゃない・気に入らない、だから○○する」…いやこの際ハッキリ書きましょう。「好きじゃない・気に入らない、だから嫌がらせをする・誹謗中傷する」という行為は、基本的におかしいいうことになります。本当に好きじゃない・気に入らないなら、関わりたくないはずですから、逆に何もしてこないはずですし、関わろうともしないはずです。ということは〝好きじゃない・気に入らない〟を理由にアレやコレやしてくる人は、〝好きじゃない・気に入らない〟から仕掛けてくるのではなく、何か違う理由をもってアレやコレやしてくるということになります。実際、私が対応した『いやがらせ相談』も、調べてみると〝好きじゃない・気に入らない〟から「嫌がらせをする」のではなく、「嫌がらせをする」ことによって、何かを解消したり、何らかの利益を得ようとしているパターンがほとんどなのです。〝好きじゃない・気に入らない〟という大義名分(?)で、嫌がらせをしていたと思いきや、実際は自分よりも成績の良い人に対する憂さ晴らしだったりとか、自分が持っていないもの(物質的なものだけでなく〝容姿〟や〝性格〟なんかも含まれます)を持っていることに対するコンプレックス解消だったりとか…。嫌がらせをしている対象の人が〝好きじゃない・気に入らない〟から嫌がらせをしていたのではなく、「自分より優れている(と勝手に思い込んでいる)相手」に対する、単なるあてつけだったという訳です。

 もし誰かが、あなたに対して〝好きじゃない・気に入らない〟という名目で何か言ってきたり、行動してきた場合はこう考えてみて下さい。「〝好きじゃない・気に入らない〟という大義名分で、自分の欲求不満やコンプレックスを解消しているんだな」と。逆にあなたに関心がある証拠ですよ。だって本当に〝好きじゃない・気に入らない〟なら、関わらないようにするのが本筋なんですから。

 「好きじゃない・気に入らない、だから云々かんぬん…」ということが身近でおこったり、または自分に降りかかってくることがあったら「〝好き〟の反対は〝嫌い〟ではなく〝無関心〟」という言葉を思い出してみてください。ちょっと違う視点から、何かを見つけることが出来るかもしれませんよ。

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2012年1月19日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:ブログ 薬進する日々!!

人に左右されない〝自分は自分〟が大切です。

 学校や企業研修などで国家試験対策のアドバイス等を依頼され、受験生に対して色々とお話をすることがあるのですが、近年チョット気になる事があります。実はその「気になること」、私の教え子にも最近よく感じることなんですが…。それは「自分の意志で行動できる人が少なくなってきている」ということ。もっと単刀直入に言うと「一人で何かをする事が出来ない人が多い」ということです。当人の意見や考え方を聞いているのに、どうもその話の陰に友達や周りの人間の影がチラホラと見え隠れしているんですよね。見え隠れしているだけならまだしも、中には「あなたの意見は?というよりも、あなた自身はどこにいるの?」と問いただしたくなる学生さんもいます。「友達が良いって言ったんで、この本を買いました」(おいおい、あなたが勉強するために買った本じゃなかったのかい?)、「試験勉強は1ヵ月くらいあれば間に合うって聞いたんで…」(その人が間に合っても、あなたはどうか分からんぞ?)、「友達が行くっていうので私も○○予備校に通うことにしました」(フィットネスクラブに通うんじゃないんだから!)…。どうして、自分で考えて物事を判断しないんだろう?って思ってしまいます。自分が使うものは自分が選ぶ、自分の状況に合わせて計画を立てる、自分が見て聞いて調べて選んでいく…っていうことは、当然のことだと思うんですが…。もちろん、他人の意見をある程度参考にすることは大切なことです。でもそれはあくまでも補足的な部分であって、最終的には自分の判断というものが必要になってくると思います。う~ん、どうも今一つその人の意志というものが見えない…自分で判断して行動していくという事が出来ない学生さんが多いような気がするのです。中には「皆と一緒じゃないと勉強できなくて…」なんていう学生さんもいまして「確か私は薬剤師国家試験の予備校講師だよな…保母さんになったつもりはないんだけどな…」なんて、私自身というものを再認識をしなければならなくなるような学生さんもいたりします(笑)。

 私はよく学生さんに「一人になれる強さを持ちなさい」といいます。国家試験は一人で受験します。残念ながら、隣に誰かが座って「この問題はこう…」なんて具合に教えてもらうことは出来ません。試験はもちろんのこと、勉強も基本的に一人で行うものです。一人であろうとも勉強できなければならないのです。「でも皆でやった方が…」という学生さんもいるのですが…。確かに〝グループ学習〟というものはありますが、あれは基本的に皆で1つの目的を遂行するために、協力して何かを学んだり調べたりするものであって、国家試験対策の勉強とはベースが全く異なる勉強方法なのです。もしグループ学習が試験対策に向いているなら、全国各地の受験予備校は、どこも皆グループ学習になっているはずですよね?ご存知のとおり、そんな予備校は一つもありません。どこの受験予備校も、講義から自分で学び自分で勉強して、学力をつけていくスタイルではありませんか?試験対策としては、その勉強スタイルの方が効率良く、確実に学力が身につく方法だからです。もちろん、友達等に分からないことを聞いたり、教えたりすることは良いことです。しかし、それが試験勉強の主流になってしまうことは、望ましいことではありません。本来、試験勉強は自分一人で実行していくべきものだからです。周りの人は全く関係ありません。もちろん友達の○○さんも、先輩の△△さんも関係ありません。何度もいいますが、周りの人の意見を参考にしたり、教えてもらったり、教えてあげたりすることは悪いことではありません。ただし、それはあくまでも補足的なことであり、主流となるのはあなた自身が自分を管理しながら、自分一人で勉強していき、合格を勝ち取ることなのです。そして、それを手助けしてあげるのが、我々講師の仕事というわけです。

 毎年何人かいるのですが、他の学生さんとほとんどコンタクトを取らない学生さんがます。別に無視しているとか・されている訳ではなく、話しかけられれば話し返すし、用事があるときは普通に話をします。しかし、それ以外の時はほとんど一人でいます。休み時間も一人、ご飯を食べるのも一人、自習するのも一人、もちろん質問に来る時も一人。ほとんど一人で行動しています。そういう学生さんは例外なく成績優秀、非常に安定した高い学力を持っている場合が多いのです。私が知る限りでは、全員が合格しています。そりゃあそうでしょうね。そういう学生さんは知っているのですよ、自分が何をしに来ているのかということを。友達を作るためでも、みんなと仲良くなるためでもなく、合格するために勉強しに来ているんだということを。そして、自分が合格するためには「周りは関係ない、自分で学んで、自分の分からないことを質問して、自分の足りない部分を補っていくことが必要」ということを無意識のうちに自覚しているのです。自分をしっかりと見つめるシビアさ、そして周りに振り回されないだけの力強さを持っているのです。「一人でも行動できる強さ」が、間違いなく成績向上の後ろ盾になっているのです。「一人でもやり抜く:自分は自分」という力強さは、試験だけではなく物事を成し遂げるには必ず必要なものなのです。

 早いものでいつしか年も明け、国家試験まであと少しという時期になってきました。気のせいか、年が明けると、寒さもぐっと強まったような感じがします。寒いときには皆で固まっていた方が確かに温かいのですが…勉強は固まらないで出来るようでなければ困ります。「自分で考え、自分で判断して、自分で遂行していく」という、一人で成し遂げる強さを持ってください。それは、皆さんのこれからの人生にも大いに役立つことになりますから。そういう意味では、今がチャンスですよ〝一人になれる強さ〟を身につけるには…。

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2012年1月12日 | コメントは受け付けていません。 |

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2012年は龍の年!

謹んで新年のお祝辞を申し上げます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

本年も相変わらず、よろしくお願いいたします。

皆様のご健康とご多幸、そして薬剤師国家試験合格をお祈り申し上げます。

 

 昨年の最後のブログに、ブータン国王のことを書かせていただきました。2011年の日本にとっては、数少ない嬉しい出来事の一つでしたね。震災した日本への数々の心温まるご厚意には、ただただ頭が下がる思いです。そんなブータン国王、その御厚意もさることながら、滞在中に〝名言〟ともいえる、様々なお言葉を発せられていました。国会でスピーチをされましたが、心温まる内容であったことはもちろんのこと、凛とした気高き人物であることが、ひしひしと感じられる内容でした。さらに、私は被災地を訪れた国王のこの言葉が印象的でした。

 

皆さんは龍を見たことがありますか?私はあります。皆さんそれぞれの中に龍はいます。龍は「経験」を食べて大きくなります。年をおうごとに龍は大きくなるのです。皆さん、自分の中の龍を大切にしてください。なお、ブータンは「雷龍の国」と言われており、国旗にも雷龍が描かれています。

 

 この龍が何を意味するのか?この言葉を受取めた一人一人、その思いは違うことでしょう。でも、ブータン国王のお言葉の中に『自分の中の龍を大切にしてください』とあるように、一人一人にとって大切なものであることは確かなようです。さらに『龍は〝経験〟を食べて大きくなります』とも言われています。2011年、日本は本当に多くの事を経験しました。この経験により、日本人一人一人の中にいる龍は、大きく大きく成長したのではないかと思っています。以前に比べ、自らの龍を大きく大きくした日本人は、これからどう歩んでいくのでしょうか?2012年という年を、どのように生きていくのでしょうか?もちろん歩み方は人それぞれ違うと思います。でも「経験を食べて大きくなる大切な、そして今までよりもはるかに大きくなった龍」を持っているのなら、責任ある、そしてブータン国王のような凛とした、そして力強く温かい姿勢で、物事に向かっていくことができるのだと思っています。

 奇しくも2012年の干支は龍。龍は日本の古典神話では、水神・海神として崇められています。2011年、日本を含め、世界中いたるところで人間は〝水〟に泣かされました。干ばつ、大雨、洪水、津波…。原子炉内の冷却水が消失なんていうことに泣かされたこともありました。〝悲しみの水〟である涙も多く流されました。2011年は世界にとって〝水の年〟であったかもしれません。水に泣かされた年、2011年。来るべき龍の年である2012年を前に、水神・海神である龍が、何らかの警告を発したのかもしれません。しかし、これを経験に自らの龍を大きくして、2012年は進んでいかなければならないと思います。

 昔から、龍は大変恐ろしいとされる一方、多くの人を救い崇められています。今年の干支である龍は、果たして日本を救ってくれるでしょうか?日本人を救ってくれるでしょうか?昨年の日本を表す一文字は「絆」でした。我々日本人は、2011年の経験から「絆」というものを再認識させられました。そして、今まで以上に固い絆を得ることが出来ました。「龍の水を得るが如し」という言葉があります。「竜が水を得て雲を呼び天にも昇る様な勢いのこと」「力を秘めていた強いものが機会を得ていよいよその力を一層発揮すること」です。今まで我々が秘めていたものが、〝水に対する経験から得られた固い絆〟を得て、いよいよその力を一層発揮することになるのではないでしょうか?イヤ、そうなる年であると信じています。

 ちなみに龍は成長する生き物であると知っていましたか?「水にすむ虺(き:まむしや小型の蛇)は五百年で蛟(みずち:4本の足を持つ体長3mほどのほっそりした蛇)となり、蛟は千年で龍となるそうです。鰤(ブリ)なんかは成長して名前が変わることから〝出世魚〟として縁起の良いものとされていますね。龍自身、縁起のいいものとされていますが、これに出世魚よろしく成長していくという過程がつけば縁起の良さも一入!やはり2012年はいい年になりそうですね。これを読まれている皆さんも〝薬剤師国家試験受験生〟から〝薬剤師〟へと、出世出来る目出度い年になることは間違いありませんよ!

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2012年1月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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