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牛丼の美味しい時間。

 最近、牛丼を良く食べるようになりました。実は私の出身地、牛丼屋さんが極端に少ないのです。それでも最近は見かけるようになりましたが、やはりこちらと比べるとその店舗数はまだまだといったところです。「最近は…」と書きましたが、私が高校生のころは牛丼屋さんなぞ見かけたことはありませんでした。食べざかりの高校生にとって、牛丼は大好きな食べ物。高校時代は牛丼を謳歌したという人は少なくないと思います。ですが私が高校生の頃は、周りに牛丼屋さんなんかはありませんでしたから、残念ながら牛丼を謳歌する高校生活とは無縁でした。そういうこともあって、私にとって牛丼はあまり馴染みのない食べ物だったのです。

 こちらに来てからは、周りに牛丼屋さんは沢山あったのですが、前述のように私にはあまり馴染みのない食べ物だったので、ほとんどと言っていいほど食べたことはありませんでした。別に嫌いというわけではありませんでしたし、どちらかというと「美味しいな」と思っていたのですが、特に牛丼屋さんに入るということはしませんでした。友人に「自分は牛丼がメチャクチャ好きなんですよ」と、目を輝かせながら満面の笑みで言われても「そんなに好きになるもんなのかい?」と、ちょっと引き気味に感じたのを覚えています。

 我が薬進塾のそばというか、浅草橋には牛丼屋さんが何気に多くあります。そのせいもあってか、最近はよく牛丼屋さんに行くようになりました。足げに通うようになったせいか、改めて牛丼の美味しさが分かるようになりました。「なるほど、ヤツが満面の笑みで牛丼を語っていたのはコレか?」と、牛丼好きな友人の眼の輝きのその理由を知ることとなったのです。「今日は牛丼食べようかな」と考えている私も、きっとヤツのような目の輝きになっているのかもしれませんね(笑)。

 で、牛丼を食べに行くのですが…。皆さんご存じのように、一口に牛丼屋さんといってもその種類(?)は豊富。薬進塾から歩いていける範囲にも、何店舗かあります。で、その中の私が一番おいしいなと思うお店に、良く通うんですが…。最近、何回か行ったのですが、どうもお味の方が「?」。「こんな味だったっけ?もっと美味しかったような…」と思うことが続いたのです。「お店が味を変えたとか、原材料が変わったとか、何かあったのかな?」と疑問に思うこと数回。不思議に思っていたのですが…ある時、友人(前述の〝満面の笑みで牛丼を語るヤツ〟ではありません:笑)にその話をしたところ「何時ころ食べに行きましたか?」の一言。「?」と思いつつも「…14時位かな…?」と答えると「ああ、味的にはイマイチの時間帯ですね」との返答が。「エッ!?何それ?時間帯によって味が違うの?」と聞き返すと…。「昔○○屋でバイトしてたんですけど…店長候補まで行ったんですけどね」と前置きを話しながら「混んでくる時間帯を見据えて、具材等を鍋に入れるんですよ。混む時間に足りなくならないように。で、混み始める時には、ちょうど煮込みも終わって、間に合うように仕込んでるんです」う~ん、なるほど。確かに混んでいる時間帯だからといって「今、具材がないんですよ」なんて状況になっては一大事だ。で、さらに「混む時間帯、ちょうど12時くらいには、ちょうどいい煮込み加減になっているんですよ。で、その時が一番おいしいんです。それを過ぎちゃうと…煮込み過ぎて肉が堅くなったり、肉の脂が抜けちゃったりして味がイマイチになっちゃうみたいです。タレもずっと煮込んでいるわけですからね…次に肉等を入れるのは、夕方に混む時間帯を見据えた時間です。もちろん14時より後です。だから、14時位は味がイマイチなんですよ。もちろん全部の店がそうとは限りませんけど、私のいた店はそうでしたね」とのこと。う~ん…24時間やってる牛丼屋さんも多いし、もちろん年中無休だから「いつ行っても同じ味が当然!」と思っていたのですが、どうやらそうではなかったようで…。でも、まあ考えれば当たり前のことですよね。常に作っていかなければならない料理な訳ですから、作りたての時と時間がたった時では、やはり味は変わるものでしょう。ましてや煮込むものですから、時間による多少の味の違いは生じてしまうものも至極当然のこと。作っている時間によってその仕様が異なってしまうのは、致し方ないことです。名だたるラーメン屋さんで「午前中の方が角煮が大きい」なんてことで有名なところがありますから(笑)。まあこれはチョット極端な例ですかね(笑)。ただ牛丼屋さんも「それでも美味しいものを提供できるように」と獅子奮迅していることは確かです。ましてや食べられないモノを出しているわけではなく、あくまでも「美味しいけど、味がチョット異なるかな?」といった程度のもの。さらに、前述の〝店長候補〟だった友人が言うには「まあ、人によってはそっちの方(14時位の牛丼)が好きという人もいますけどね」とのこと。人の好みも十人十色。ましてや味の好みとなれば千差万別ですから、私が「ンっ?」と思った味に対して「オっ!」と思う人がいても、これまた至極当然のこと。どうやら牛丼には「人によって美味しい時間帯がある」ようですね。もちろん、いつ行っても美味しい牛丼は食べられますが…時間に余裕がある時は〝自分の美味しい時間帯〟を目指して牛丼屋に行くのもありなんじゃないかな…などと思っている次第です。

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2011年9月30日 | コメントは受け付けていません。 |

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使用制限が解除されれば、節電しなくてもいいのか?

 東京/東北電力管内における電力の需給状態が改善されているということから、先日、電力使用制限の適用期間が繰り上げられました。本来は平成23年7月1日から9月22日(この期間の9時から20時まで)までの制限ということでしたが、9月9日で終了することとなった次第で。この電力使用制限、東京電力、東北電力管内の大口需要家の方々を対象として、電気事業法第27条に基づくき発効されましたが、それからというもの、各企業は節電に対してあれやこれやの手を打つことに。確かに使用制限に違反した場合、罰則がかかるのですが、罰則よりも日本の一大事な訳ですから、各企業も本腰を入れない訳にはいきません。日本全国、企業・国民一丸となっての節電戦略となったのはご存じのとおりです。

 電力使用制限の適用が始まってから、駅やスーパーなどで「?」と思うことがよくありました。何かいつもと違うなと考えてみたところ…暗い。いつもなら煌々と電気がつけられている場所から、明るさが4割ほど減少している…そう、電力使用制限によって、照明の使用が控えられていたからです。「な~るほど」と思ったのですが、すぐに「確かに暗いけれど…イヤ暗いというよりは〝明るくない〟だけで、別にそんなに困ることもない。それどころか、今まではこんな〝明るくなくてもいい所〟に照明を使っていたのか。もったいないことをしていたものだ」と思いました。確かに明るくはありません。でも普通に事を運ぶには、さして不便ではないのです。逆に、そんな所にまで照明をつけていたのは〝贅沢〟や〝もったいない〟を通り越して〝無駄〟や〝浪費〟でしかないという思いの方が強かったですね。もちろん、駅やスーパーだけではなく、日中の電車の中でもそれを感じました。私は電車の中で本を読む機会が多いのですが、車内の照明を落とされていても、本を読むのにさして不便は感じませんでした。電車は窓が大きく、その数も多いですから、晴れている日はもちろんのこと、多少曇っていても車内は明るかったですから。運転席は別としても、日中の車内で照明を必要とする方は、あまりいらっしゃらないような気がします。

 ただエアコンが制限されていたのはチョット困りましたね(笑)。そこそこ涼しい場合もあるのですが、車両によってはうだるような暑さの場合もありましたから。駅の中でも、エスカレーターが止またのには、色々と問題があったような…。私自身がとりわけ困った訳ではないのですが…やはりエスカレーターが必要な方もいらっしゃいますからね。ご年配の方はもちろんのこと、身体的状況によってはどうしてもエスカレーターが必要な方がいらっしゃいますから。私は以前〝肉離れ〟を起こしたことがあったのですが…その時は歩くのも一苦労。普通の人の流れにのって歩くことができませんでした(何といっても歩くスピードが極端に遅いのですから)。通勤時間の駅なんぞは大変なもので、もちろん階段を一段一段時間をかけて上がって行くなんていうことはできませんから、エスカレーターを利用していました。今回、節電ということでエスカレーターが使えない状況を目にして「こんなときに肉離れを起こしていたら大変だな」としみじみ感じました。と同時に、通勤ラッシュの中を、ご年配の方が時間をかけて階段を上がって行く姿を見ると、肉離れを起こしている自分とその姿が重なってしまい、何ともいたたまれない気分になりました。やはり、ご年配の方にとっては階段の上り下りはキツイもの。ましてやラッシュ時間帯ともなれば、前から後ろから押し寄せる人波にもまれながらの登り降りですから、大変さも一入だと思います。やはり駅や公共機関でのエスカレーターは必要なものなのではないでしょうか?照明に関しても影響のあまりない所を消した訳で、消灯することにより影響のある所はちゃんと点いていました。エスカレーターにも同じことが言えると思います。たいした段数がない階段ならともかく、今は駅のエスカレーターもかなりの高さですから、必然的にエスカレーター横の階段もかなりの段数になってしまいます。やはり〝必要不可欠なモノ〟なのだと思いますよ、駅のエスカレーターは。確かに節電も大切なことですが、この場合は止めることの弊害の方が大きいような気がするのです。

 そんな物議をかもしだした電力使用制限も、前述のように9月9日で終了。街には煌々とした明るさが戻ったのですが…。どうなんでしょうかね。今回の電力制限で、皆、色々なことが分かったと思います。私も色々なことを得ることが出来ました。その得たモノの中には前述したように「〝明るくなくてもいい所〟に照明をわざわざ使う必要はない。多少暗くても不便ではないし、そういう所に照明を使うことは〝無駄〟や〝浪費〟である」といったことがあります。確かに明るい方が見栄えは良いかもしれません。でも、もともと照明というものは「明るくなければ不便である」所に使うべきものではないでしょうか?そりゃあ、照明でゴージャスに見せたり、高級そうな演出をすることもできます。そういった使い方も確かにあるでしょう。でも、それはある意味〝贅沢な使い方〟なのではないのでしょうか?何もせずとも湯水のごとく湧き出てくるモノならいざ知らず、お金も原料もかかるものですからね電気は。ましてや今回の騒動で、さしたる余裕がないものということも皆分かったはずです。使用制限が解除されたからといって、いきなり贅沢をするということは、いかがなものなのでしょうか?「必要なことに必要なだけ使用する」これは、電気にだけ当てはまることではなく、全てのことにおいて当てはまることだと思います。なにも「切り詰めるだけ切り詰めて、がめつく生活しなさい!」と言っているわけではありません。でも今の日本は、果たして贅沢をするだけの余裕があるのでしょうか?イヤ、余裕がある無いに関わらず、やはり〝無駄〟や〝浪費〟は良くないことだと思います。電力使用制限の適用などという、滅多に経験することが出来ないことを経験したのですから、解除されたからといって全てを忘れて元に戻してしまうのではなく、そこから学びとったことを基に行動したり、新しい方向性を見出していくことが重要なのではないのかと思うのです。

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2011年9月20日 | コメントは受け付けていません。 |

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冷やし中華は終わらない!?

 時は9月。ウチの半年コースも始まり、新たな学生さんも入ってきて、塾内の雰囲気もリニューアルといったところ。なのに、まだまだ暑い日は続いているようで。今年の夏は例年通りの暑さだったとのことですが、やはり夏には皆さん涼しい食べ物を好むのは至極当然のこと。今年は全国的に、冷やし中華の売れ行きが好調だったそうで、コンビニやスーパーでは販売予定数を超えたそうです。在庫が無くなった店もあるとのことで、とにかく売れ行きが尋常ではなかったそうです。今年は節電の意識が高かった夏ですから、皆さん〝電気に頼らない涼しさ〟を求めた結果かもしれませんね。まあ景気が今一つ(今九つ位か?)のこのご時世、売れ行き好調というのは悪くない話しのような気もします。

 で〝夏〟〝冷やし中華〟とくれば、お約束のように目にするのが「冷やし中華始めました」の文字。これを見ると「おっ!夏が来たな」と思うのは、お約束中のお約束。誰もがネタにする定番季節アイテムです。と同時に、これまた「何故『冷やし中華始めました』はあるのに『冷やし中華終わりました』は無いんだ?」というのも、お約束中のお約束ネタ。言っている方はドヤ顔で言っているのですが、聞いているこちらとしては「お前もか…」といささか呆れ気味になってしまいます。まあ、寒い中に冷やし中華を食べる人もあまりいないでしょうから。あえて終わりを告げなくても、季節や気候がその終わりを告げてくれるようなものなのでしょう。

 でも果たして終わっているんですかね、冷やし中華?メニューにはしっかり載っていたりしますけど…。確かにメニューの〝冷やし中華〟の文字の下に(7月~9月)なんて書いてあるところもありますが、書いてない店の方が圧倒的に多いような…。実は以前、私がよく行く中華料理屋さんで、冬に冷やし中華を食べている人を見たことがあるのです。で、お店の人に「まだ冷やし中華やってんですか?」と聞いたところ…お店の人曰く「別に出来ない訳じゃないから、冬であっても頼まれれば出すよ。材料は揃ってるんだから。ただ、冷やしたりやたら手間暇かかるからね。だから、忙しい時なんかは断るし、まあ、馴染みのお客さんにしか出さないかな。夏はよく出るから、多少手間暇かかっても採算取れるからやるんだけどね」。つまり、出来ないことはないけれど、手間暇かかるから夏限定にしているとのこと。もちろん、これはこのお店の話だから、全ての中華料理屋さんにコレが当てはまるとは限りません。が、このようなお店が他にもあることは十分考えられます。

 冷やし中華の対極的(?)食べ物といえば〝鍋焼きうどん〟。こちらも、そば・うどん屋さんのメニューでは、その名の下に(冬季限定)とか(11月~2月)なんていう、限定期間が書かれていたりします。まあ、暑い盛りに鍋焼きうどんを食べる人がいるのかといえば…いるのですココに!そう、私は真夏にも関わらず鍋焼きうどんを良く食べていたことがあったのです。以前勤めていた職場のある教室で、お昼をとることになったのですが…持ってきてくれたメニューはお蕎麦屋さんのものでした。で「今日はみんなでここから昼食をとろうということになったのですが、先生は何がいいですか?」と聞かれたのです。メニューを見ながらどれにしようか悩んでいると〝鍋焼きうどん〟の文字が。「そういえばしばらく食べていないし、ボリュームあるよな鍋焼きうどんって…」と思い「じゃあ、鍋焼きうどん」と答えたところ、周りにいた人たちはチョットしたフリーズ状態に。それもそのはず。季節は夏、7月の暑いさなかでしたから。「エッ!鍋焼きうどん食べるんですか?っていうか、やってるんですかね?」となったのですが、私曰く「冬限定とか何月から何月までと書いていないから、大丈夫なんじゃないの」。で、ちょっと困惑気味にその人は電話で注文してくれたのですが…「はい…鍋焼きうどん…大丈夫ですか?…」なんていうやりとりを電話口で行うこと数回。電話を切ると同時に「鍋焼きうどん大丈夫だそうです」との一声が。聞くところによると、一瞬お店の人も躊躇していたそうです。が「大丈夫ですよ」との返答があったとのこと。で、数分後、鍋焼きうどんがやってきたのですが…これがなかなか美味しかったのです。で、そこの教室に行った時は、毎回鍋焼きうどんを食べていました。もちろん夏だろうが、春だろうが季節に関わらず食べていました。

 鍋焼きうどんには「鍋焼きうどん始めました」がありません(あるのかもしれませんが、私はお目にかかったことがありません)。もちろん「鍋焼きうどん終わりました」もありません。逆に考えれば、「始めました」も「終わりました」もありませんから、(特に期間が限定されていない限り)1年中食べられるということになるのではないでしょうか?また「大部分の店は冬期間のみの提供」ですが〝大部分の店〟ですから、年中食べられる店がないわけではないのです。もしかすると、冷やし中華もコレに近いのかもしれませんね。まあ、割合的にいったら冷やし中華の方が〝季節限定度〟は高いのかもしれません。でも、実は冬でも食べられる店は、思いのほかあるんじゃないでしょうか?私が行った中華料理屋さんのように「別に出来ない訳じゃない。手間暇かかるから、忙しい時なんかは断る」なんていう店が多いのでは?もしかすると、こちら側が勝手に「冬だからやっていないだろう」と思いこんでしまっているのでは?前述の鍋焼きうどんのように、店側も食べる人はそういないだろうと思ってはいるものの、作らないわけではないのかもしれませんね。そう考えると「冷やし中華終わりました」をあえて出さないことも理解できます。何と言っても〝終わってはいない〟のですから。やはり、これは調べてみなければ…とは思うのですが、冬に冷やし中華を頼むというのは、いささか勇気がいるような気がするのです。「夏に鍋焼きうどんを頼んだやヤツが何を言っている!」とお叱りを受けてしまいそうですけど(笑)。

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2011年9月13日 | コメントは受け付けていません。 |

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受け止めなければ効力は発揮しない!

 前回のブログは講師の仕事の一つである〝学生さんからの相談対応〟についての内容でした。講師の仕事は、もちろん講義をすることですが、それだけかというと、そうではありませんよ…ということで、学生さんからの相談対応ということについて、云々かんぬんといった内容。ちなみに、講師の仕事は「講義をすることだけ」と思っている人は何気に多いようで…。私は以前勤めていた職場で、新人講師(すなわち講師として入社してきた人たち)の研修を担当していたことがあります。違う職場では、薬学以外の新人講師の研修を依頼されたこともあります。そんな研修の中で、講師の仕事について話していくと、曇り顔になる新人の方が時々いるのです。「どうしたんだろう?」と思い聞いてみると…「講師の仕事って教えるだけじゃないんですか…」と少々悲しげな顔で答えるのです。その人曰く「講師は、講義(とその準備)だけやっていればいいと思いました」。もっと強者(?)になると「講師は、講義(とその準備)だけやっていればいいから、楽な仕事だと思っていたのに…」なんて方もいらっしゃいました(笑)。講義(とその準備)だけでも、それはそれはもちろん大変なんですが、もし講義(とその準備)だけやっていればいいなら、講師の仕事は大分楽にはなるかもしれませんね(笑)。でも講師の仕事は、残念ながらそれだけではないのです。では、他にどんな仕事があるかというと、前回書いた学生さんの相談対応を初めとして、色々な仕事があるのです。ましてや仕事というのは「コレとコレやれば終わり。あとは何もしなくていいや」なんてものじゃあありませんからね。色々な仕事が次から次へと出てくるのです。まあ、これは講師の仕事以外にも言える話ですけど…。

 で、前回は「○○さんがこんなことをしてくるんです」なんて相談に対し「じゃあ『止めて』とか『困っている』って言ってみたら」とアドバイスをする…けれども「エッ!そんなこと言ったら嫌われそう…」という力ない答が返ってくる場合が多い。どうも、そういうことを言ったら嫌われてしまいそうで心配という学生さんが多い。嫌われてしまうことに、異様に恐怖心を持っている学生さんが多い。嫌われてもいいじゃないですか、自分らしくしっかりとしていれば…といったことを書きました。

 もちろん、アドバイスは通り一遍のものではありません。学生さんや時期により、臨機応変に色々なアドバイスをしていきます。前回書いたような〝困ったことをされて、困っている学生さん〟に対してのアドバイスも然りで、「じゃあ『止めて』とか『困っている』って言ってみたら」といったアドバイスの他に、こんなアドバイスをすることもよくあります。「気にしなくていいよ。放っておきなよ」というアドバイス。すると「そんなこと出来ない」と、やはり力ない返答が返ってくることが、これまたよくあります。そこでいつもこう言うのです。「何で?相手がどう出てこようとも、どういう態度で接してこようとも、あなたがそれを気にしなければ、あなたが反応しなければ、その行為はあなたに対して何の作用も及ぼさないんだよ?」と。確かにそういった行為に対して、揺らいでしまうのは致し方ないことでしょう。それを、放っておくことなんかできないから、相談に来ていることも分かります。でも、自分が不愉快になるような、時には傷ついてしまうような行為なんか、わざわざ受け止める必要はないのです。他人が行う行為は、あなたが受け止めることで、初めてあなたに対して効力を発揮するのです。残念ながら〝あなたを困らせる態度をとってくる人〟は、あなたに対して負の効力を発揮させるために、そういった態度で接してきたり、あなたを悩ませる行為をしているのです。はた迷惑な行為ではありますが、悲しいかな、そういう人がいることは事実です。でもそんな人が、あなたを狙って投げてきた球に、わざわざ当たりにいくことはないのです。ヒョイと避けてしまえばいいだけの話なのです。ウ~ッと唸ってこちらを睨んでいる犬に、皆さんわざわざ寄っていきますか?誰もがそんな犬は見過ごすでしょ?それを受け止めて「なんで私を睨むの?私にうなり声をあげるの?」なんて悩む人は、まずいないと思います。第一、そんなこと探して受け止めていったら、きりがないでしょ?「コンビニの店員さんの態度が悪かった?私何かしたの?」とか「車にクラクション鳴らされたけど、私が迷惑かけた?」とか、そんなことやっていったら、たまりませんよ。誰かがあなたに対して、不愉快な行動をしてきたり、そういう態度で接してきているのも、「コンビニの店員さんの態度が悪かった」こととさして変わらないのです。確かに、一時は不愉快になるかもしれません。しかし、いつまでもそれを引っ張ることではないのです。いや、それさえも受け止めさえしなければ「一時は不愉快になる」ことさえもないのです。相手が出してきたナイフの、わざわざ刃の方を持つことはないのですよ。

 どうも、他人から影響を受けてしまわれる学生さんが多いようで。多少は致し方ないとしても、やはり〝国家試験合格を目指して勉強している〟ということを忘れないでいて欲しいですね。「受かるために、何を優先しなければならないのか」をしっかりと考えるべきでしょう。まわりなんか気にしている場合ではありませんよ!「○○さんがどんな態度であろうが関係ない。勉強しなきゃ、覚えなきゃ!」と進んでいかなければならないのです。何度も言いますが、他人が行う行為は、あなたが受け止めることで、初めてあなたに対して効力を発揮するのです。あなたが受け止めなければ〝あなたを悩ませる行為〟は存在しないも同じなのです。〝あなたを困らせる態度をとってくる人〟の空振りとなるのです。あまりに困ったことをされているなら、いっそのこと受け止めずに放っておいてみてはどうですか?意外とスッキリとするものですよ。

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2011年9月7日 | コメントは受け付けていません。 |

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嫌われてもいいんですよ!

 講師の仕事の一つに〝学生さんからの相談対応〟というのがあります(我々の仕事は講義だけではないのですよ)。もちろん、勉強以外の相談もよく受けます(勉強の相談も、もっともっと来てほしいんですが:笑)。やはり多い相談は〝人間関係〟。薬進塾は少人数制でやっていますので、そういった人間関係の悩みはほとんど相談されません。まあ、人数が少なければ、皆知れた顔というか、良いも悪いもひっくるめての付き合いになりますから、あまり人間的摩擦は生じることがないようです。私が以前勤めていた職場は、学生さんの数が多かったので、それに伴ってか人間的摩擦も多かったようで、皆さんなかなか人間関係に悩んでおられていたようです。こっちとしては「そんなことより勉強に専念してちょうだい!」と言いたいところですが、まあそれぞれ色々な事情があるのでしょう。ましてや限られた空間の中、大人数で、おまけに長い期間過ごす訳ですからね。人間関係の摩擦が出てくるのは至極当然のこと。そんな相談対応も仕事の一環ですから、こちらは全てを受け止めてアドバイスしていたのですが…。ただ一つだけ気になることがあったのです。それは「嫌われないようにしよう」という人が多いということ。もっとズバリ言わせてもらうなら〝嫌われないようにと無理をする人〟が多すぎるということ。

 「○○さんがこんなことをしてくるんです」とか「○○さん、私に対していつもこういう態度なんです」なんて相談を、よく受けていたのですが…こちらも相談を受けた以上は、解決の方向へと導いてあげなければいけませんから、当然その対処法をアドバイスすることに。で「じゃあ『止めて』とか『困っている』って言ってみたら」とアドバイスするんですが…「エッ!そんなこと言ったら嫌われそう…」という力ない答が返ってくることがしばしば…。別に「お前なんか嫌いだ!って言え」といってる訳じゃないんですよ(笑)。「(勉強に支障を生じるから)それは困る」とか「(迷惑だから)止めてほしい」という自己表示をしろというか、自分の意見を伝えたらと言っているのです。ましてや「どうしましょう?」と悩み相談に来ている訳で、その解決法としてアドバイスしているんですけど、結局は「そんなこと言ったら嫌われる」と言ってうつむいてしまうばかりなのです…。中には、そういった威圧的言動を浴びせてくる人に対して、相手にしなきゃあいいものを、面と向かって罵声を受けてあげている(?)人もいるみたいで…。まあ世の中には、反論してこない相手と知ったうえで、威圧的言動を浴びせてくる人間がいるのは確かですけどね。そんなチョット困った人たちに対しても、嫌われないがために、あえて相手になってあげて、相手の攻撃を受けてあげている人を見ると、人の良さにも程があるなぁ…とつくづく感じてしまうのです。 

 別に〝自分に対して困った行動をする相手〟から嫌われても構わないと思うんですけどね。イヤイヤ、嫌われれば寄ってこなくていいと、せいせいした気分になれると思うのですが…。もっと嫌われると、もっとヒドイことをされると怖がっているんでしょうかね?でも、そんな困った人たちにとっては〝チョット嫌い〟も〝すごく嫌い〟も同じもんだと思いますよ。チョット嫌いであっても、すごく嫌いであっても、結局は威圧的言動を浴びせてくるんですから。嫌いさの度合いで、いやがらせを調整するなんていう器用なまねはしないと思いますよ(笑)。残念ながら世の中には、おとなしくしている相手に対しここぞとばかりに威圧的言動を浴びせてくる人間や、陰で人を罵り嘲笑するような人間がいるのです。そんなチョット困った人たちにわざわざ付き合ってあげる必要はないと思いますよ。

 もちろん、そんなチョット困った人たちじゃない、良識ある人間から嫌われてしまうこともあります。残念なことに人間同士の付き合いの中では、人から嫌われてしまうということもあるのです。それが人と人とのコミュニケーションというものなのです。それで嫌われてしまっても、それは仕方のないことではありませんか?いや、もっとズバッと言いましょう!別に嫌われたから何だというんですか?嫌われたら嫌われたで別にいいじゃありませんか?別に一生その人のそばで一緒に生きていくわけでもないんですから。嫌われないよう嫌われないようにしている人を見ると、見ているこっちが居たたまれなくなります。自分を抑えて、無理して無理して…。そんなことをしているうちに、倒れてしまう人にもしばしばお目にかかります。嫌われてもいいんですよ!嫌われないよう嫌われないようとしている人より、自分の意見や考え方を通して、嫌われている人の方がよっぽど素晴らしい人だと思います。前述のようなチョット困った人たちに取り行って、あっちの困った人に良い顔、こっちの困った人に良い顔とやっている人も良く見かけますが、そんなコマネズミのような人よりも、嫌われようが媚らない生き方をしている人の方が、よっぽど大らかな人間だと思いますよ(まあ、このコマネズミさんの行動も、嫌われないがためのものなんでしょうけど…)。あなたがどんなに嫌われないようにと頑張ったところで、誰かからは嫌われてしまうのが悲しい現実なのです。でも、しょうがないことなんですよ、そんなことは!まさか、世界中の人間から好かれようと思っていませんよね?お分かりかとは思いますが、そんなことは不可能です。そういうのを〝狂気の沙汰〟と言うんですよ。

 私の知人(Dさんとします)に「俺はこう思うから、こう言ってるし、こうしているんだ。嫌われようが関係ないよ。良いんじゃないの嫌わせておけば」という生き方の人がいます。何にも臆せず、豪快な生き方ですよ。貫禄というか何ていうか、常に威風堂々としています。ものすごい存在感があるというか〝生命〟をずっしりと感じますし、付き合っていると「魅力ある、すごい人だな」と実感します。確かに、Dさんを煙たく思っている人も沢山います。敵もたくさんいますよ。でも、Dさんのことを好きだという人も沢山います(私もそんな人間の一人です)。「Dさんのことを好きな人と嫌いな人、どっちが多いのか?」は分かりません。でも、そんなことはどうでも良いんです。Dさんのことを魅力的と考えて、近寄って来る人がいることは確かなんですから…。〝嫌われないよう嫌われないよう取り繕って成り立つ人間関係〟よりも、Dさんのように〝嫌われようとも自分の意思で生きて、例え人数は少なかろうとも、その魅力で成り立つ人間関係〟の方が、比べ物にならない位、素敵なものだと思いますよ。

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2011年9月1日 | コメントは受け付けていません。 |

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