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良くやった!と褒めてあげたい!

 我が薬進塾には申込特典がいくつかあります。その特典の中に「講座が始まるまでの〝個人学習〟を指導する」「講座開始まで、教室を自由に利用できる」という2つがあります(もちろん質問対応も可能です)。この二つの特典を利用して、4月から毎日(といっても月~金ですが)教室にきて、私の学習指導のもと勉強している学生さんが数名います。上記特典を希望した学生さんは、マンツーマンで私が面接をして、現在の学習状況をもとに学習計画を立てていくのですが…。その時「これは特典だから強制ではないよ。でも、勉強を始めるとなれば時間を決めてやらなければならないので、何時から来て勉強するのか決めないとね。何時から勉強始めることにする?」と私がきいたところ、いずれも「10時から来てやります」との返答。ちなみに特典の〝個人学習の指導〟は、分析によりその人に合った学習計画(何を学習するか、時間はどうするか)を作成して、講座が始まるまで、どのように勉強していけば良いのかを指導していくものです。学生さんはあまり気にしていないようですが、時間を管理することは勉強を始める上での最重要課題なのです。まずはそこの所をしっかりと決めなければ、勉強は進められません。

 学生さんは、いざ勉強をするとなると〝勉強をすることだけ〟に一生懸命になりますが(もちろん、それも大切なんですが)、実はそれ以外にも大切なことはいっぱいあるのです。例えば「枝豆を育てて収穫しよう!」となった時、皆さんはどうしますか?種を買ってきて、そこら辺に穴を掘って埋めて終わりですか?違いますよね?まずは畑を確保しなければなりません。もちろん砂利と岩ばっかりなんていう土壌ではダメですよね?水はけや日照も考えて、良い状況の畑でなければならない。じゃあ、そういう畑を見つけてきて、穴を掘って種を埋めれば終わりですか?毎日、畑の状況を確認しなければならないし、もちろん水だってあげなければならない。病気や害虫にも注意しなければならないし、生育状況もチェックしていかなければならない。生育状況が芳しくなかったら、肥料を与身えたり、水の与え方を変えたりしなければならないし、「何故生育状況が悪いのか」が分からなかったら、調べなければならない。場合によっては支柱を立てなければならないこともある。実がなっても、あまり大きくなりすぎると硬くなり、味も悪くなってしまので、良い時に収穫しなければならない。もちろん、種をまいたからといって、すぐに実をつける訳ではありません。当然時間だってかかります。

 大抵の学生さんは「勉強をする」というと「ただ勉強やっていけばいいんでしょ?」と思っているし、その方向性で進めていくのですが、それでは「枝豆を育てる」といって「種蒔いて水やっておけばいいんでしょ?」というのと同じことなのです。「勉強をする」ということは、あくまでも「育てる」ということだけを指しているのであって、実は「育てる」ための環境や条件が非常に重要になってくるのです。環境や条件をしっかりと定め、適宜対応していくというのが、勉強の正しいやり方であり、実は重要な部分でもあるのです。ただ、それを見定めるというのはなかなか難しいこと。「大学時代は、試験の前だけ勉強していました」という方なら、なおさらです。で、私がマンツーマンで指導をしながら学習を指導していくということになります。

 前述のように、今回数名の方が、特典を利用して毎日決められた時間に来て(多少遅刻はあるんですけどね:笑)、私の指導通りに勉強をしているわけですが…。ときどき状況を聞いたり、ノートのチェック等をするのですが、確実に「勉強を行う」ということに対し、力がついているなと実感させられる次第です。当塾に来た時などは、勉強をするなどということはもちろんのこと、満足に机に向かっていることもできない状況。それが今や、自分で自分の勉強をプロデュース出来るまでになっています。時には「今日は皆で分からないことを調べて、教え合って勉強したいんですが、いいですか?」なんて、積極的に勉強に取り組む姿勢を見せたりとかで、嬉しい限りです。もちろん、質問に来ることにも抵抗がなくなったようで、質問にも良く来ます。まあ、人数も少ないですから、講師との距離も近い訳で、質問にも来やすいのでしょう。質問に関しても以前とは違い、いったん自分で筋道を立てて考えて、それで分からないなら調べてみて…それでもわからない場合は質問に来るという、非常にいい状況となっています。もちろん、質問の内容も日が経つにつれ、的確な所をつく質問となってきており、指導するこちらとしては嬉しい限りです。〝継続は力なり〟もう2カ月近く、指導通りに勉強しているわけですから、それなりに力はついたのでしょう。「よくぞ頑張った!」と褒めてあげたいものです。

 いよいよ来週からは、薬進塾一年コースの始まり!これからは、講義の復習を行っていかなければなりません。その為の指導は、もちろんしっかりと行っていきますが、彼らにはこの2カ月の自己学習能力の手腕を思う存分発揮してもらいたいなと願っている次第です。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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明るく考えましょう!

 ちょっと前、私の叔母から「口内炎がひどい」という連絡を受けました。連絡を受けたというよりは、私の母を通して「口内炎がひどいので、ちょっと聞いてみてくれないか」とうことで、連絡が届いた訳で。私の一族に医療関係の人間は私しかいないもので、何やら体調不良でチョット困った時には、良く親族から相談を受けています。まあ、前述のように母を介しての相談が多いのですが…。相談を受けてどうするのかと言うと、もちろん、診断するようなことはせず「すぐに病院に行った方が良いよ」とか「もうチョット様子見た方が良いんじゃない」とか「そのことは、お医者さんにちゃんと言わないとダメだよ」「薬、ちゃんと飲まないとダメだよ」と言ったアドバイス的なことを言うだけです。それでも、皆さん安心してくれるらしく、何気にチョコチョコ相談してくれます。で、前述のように私の叔母から口内炎の相談が入ったのですが…母曰く「(叔母さん)やたら落ち込んでいる」とのこと。すっかり元気をなくしてしまっているらしく、それこそ蚊の鳴くような声で話すとのこと。まあ確かに聞いてみると、口内炎としては「おっ!ちょっと大変そうだな」という感じではあるのですが〝蚊の鳴くような声で話す〟ほどの重症ではないはず(まあ、痛くて快活にしゃべることが出来ないというのもあるのでしょうが…)。何故、そんなに元気がないのかと母に聞いてみたところ…。叔母は自分の友達に口内炎の症状を話し、痛くて大変だということを伝えたそうなのです。するとその友達は「ガンだわ、それ」と一言言ったそうです。ガンと言われてショックだった叔母は「ガンなの?」と聞き返したところ「そんな症状はガンしかない」と言われたそうです。ちなみに、叔母のこの友人は医者でもなければ、医療関係者でもありません。それでもガンと言われた叔母はショックでショックで塞ぎ込んでしまったそうです。もちろん、そんな状況で口内炎も良くなるはずもなく、日々悪化していく状況の中、私の相談することとなったそうです。

 私はこの話を聞いたときに非常に憤慨しました。何故、医療の素人の方が簡単に「あなたガン」などと言えるのでしょう?誰だって、そんなことを言われて気持ちのいいものではありません。私が一番頭にきているのは「自分の友達が口内炎で困っているのに、何故優しい言葉の一つもかけてあげないどころか、知識もないくせに不安になるようなデマカセを言うのか」ということなのです。どうして「病院に行ってみた方が良いんじゃないの」とか「大丈夫だよ」とか、相手を思いやる言葉の一つも言ってやれないのかということなのです。

 困っているから人に相談するのです。なのに何でそんな気持ちを理解しないどころか、余計に不安にさせるようなことを言うのでしょうか?私はそのことに対して憤慨しているのです。「困っている人は必ず助けなければならない」と強要しているのではありません(もちろん、助けてあげた方が良いに決まっていますが、人に強要することではないと思っていますので、こういう言い方になってしまいます)。「わざわざ不安を倍増させるような言動をするな」ということを言っているのです。何故、優しい言葉の一つもかけてあげずに、人を不安にさせるような言動をするのでしょう?

 実は厄介なことに、人を不安にさせる言動をしつつも、自分では「人を不安にさせている」という感覚が全くない人間がいるのです。何でもネガティブにとらえ、ネガティブな返答しかしないという人が存在するみたいなのです。しかも、どうも癖になっているらしく、本人は全くそれを自覚していないご様子。自覚せずに返答や捉え方が全てネガティブ。そのネガティブな返答で、周りに不安をばらまく。そんな究極に恐ろしい人間が、確かにこの世には存在するのです。そういう恐怖の〝無自覚ネガティブ返答人間〟との会話はおおよそ次のようなものです。「○○だといいよね」「そんなうまくいかないよ」、「あるといいよね」「ないんじゃないの」、「大丈夫かな」「ダメなんじゃないの」、「やりたいんだよね」「難しいと思うよ」、「良くなると思うよ」「そんな調子よくいかないって」、etc…。あ~書いていてイヤになってきた。でも、どうです?皆さんの周りにも、こういう人っていません?私なんかこういう人間、両手では足りない位知っていますよ(笑)。何を言ってもネガティブなことを言う、人を不安にさせる言動しかとらない。クセになっているから自覚がない。う~ん「自覚がないのに、周りの人を不安にさせる」って、かなりヤバイ状況だと思えるんだけど…。「○○だといいよね」「そうだよね」、「あるといいよね」「あるって!」、「大丈夫かな」「大丈夫、大丈夫」、「やりたいんだよね」「うまくいくんじゃないの」、「良くなると思うよ」「いける、いける」って、ポジティブに答えた方が、言われた方も嬉しいし、言っている自分自身も楽しくなると思うんですがね。こっちの方がよっぽどいいと思いますよ、私は。楽観的な方が楽しいじゃないですか?まあクセになっているから、本人も自覚していないようで、どうしようもないといえば、どうしようもないんですけどね。でも、なんか悲しいですよね。返答が全てネガティブだなんて…。

 じゃあ、そういう人にはどう対処すればいいんでしょう?私は出来るだけネガティブ思考の人間とは関わらないようにしています。理由は幾つもありますが…手っ取り早く言いましょう。「そんな人と一緒にいてもつまんないから」これに尽きますね。だって楽しくない人と一緒にいてもしょうがないでしょ?別に苦悩に耐える修行してるわけじゃないんですから(笑)?そりゃあ関わらなきゃならない場合も沢山ありますよ。そういう場合はキチンと関わりますが、必要最小限のことしか話しませんね。どうせネガティブなことしか言わないって分かっているんだから(笑)。わざわざ、つまらなくなる必要もないでしょ?どうせだったら、明るく楽しく考えた方が良いし、そういう人といた方が精神衛生的にもいいと思うんですよね。何かにつけ、返答全てがネガティブなことばかりだったら、誰だってたまりませんよ(笑)。もちろん、自分がそういう人間にならないことも大事です。明るく考え、楽しい状態でいる方が良いじゃないですか?タダなんだし(笑)。それに、どんな無自覚ネガティブ返答人間も、どんなに人を不安にさせる(そしてそれを陰で笑っている)人間であろうと、ポジティブシンキングの人間には太刀打ち出来ませんから。それに私が知っている限り、無自覚ネガティブ返答人間や人を不安にさせる(そしてそれを陰で笑っている)人間は、あまりいい人生を送っていない方がほとんどですね。そりゃそうでしょ。自分に対する返答だって、どうせネガティブなものになっているんでしょうから。もちろん、人を不安にさせ、それを陰で笑っている人間なんて、人とのつながりが希薄になるに決まっています。相手を不安にさせる思考や行為は、自分の周りから人を遠ざける行為であり、さらには自分自身をも蝕むのです。確かに、そういう人たちって友達がいないというか、一人ぼっちの人が多いですからね…。まさに百害あって一利なし。どうせなら、自分も周りの人も楽しく明るくなるような考えをしましょう

 楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。

 オスカー・ワイルド(19世紀イギリスの劇作家・小説家)

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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がんばれ!笹かまぼこ!

 私の出身地は海産魚介類が豊富にとれるところです。そんな土地柄ですから、海産魚介類が常に身近にあるという環境で私は育ちました。「海産魚介類が常に身近にある」というか「海産魚介類が常に身近にいる」という状況でもある訳ですから、普通に海に行って取ってきたものを食べるなんてことも日常茶飯事なこと。魚を釣って食べるなんてのは朝飯前の話で、貝は捕るわ、ナマコは捕るわ、海苔は採るわ、その他海草は採るわで…もちろん、美味しくいただくことになります。ちなみに断っておきますが、漁業権の関係がありますので、本来は海産魚介類の採捕は禁止されています。漁師の方も含め漁業関係者に知り合いが沢山いた関係(やはり土地柄で、私の周りには漁師の方も海産魚介類に関する仕事の方も沢山いましたから)で、ちゃんと断りを入れて、さらに了承も頂いて採捕していたのでご注意をば!まあそんなこんなで、魚介類を取ってきては食べる…店に行っても魚介類を買ってきては食べる…なんて具合だったものですから、物ごころついた頃から、食卓にはしょっちゅう海産魚介類が並んでいました。もっとも、子供の頃は〝魚介類〟の〝介類〟の方を好んで食べていましたが…(えてして子供というのは魚が苦手な場合が多いモノで。私も幼少時は魚は苦手でした)。貝やら海草やら…自分たちでは捕ることはできませんがエビやらイカやら…どっちかって言うと、そちらの方を好んで食べていました。海草なんかは今も変わらず好きですが、子供の頃はやたら食べていたのを覚えています。

 じゃあ幼少時代は魚は食べなかったのかというと…魚の加工品をよく食べていました。例えば乾物。おやつ代わりなんかに良く食べたものです。何気に、自分の家やらお祖母ちゃんのウチやらで干して作っていましたから。これも身近にある海産魚介類(魚介加工類か?)と言えますね。あと私が大好きだったのが〝練りモノ〟。カマボコやらすりみやら、練りモノは、今も昔も大好きです。「〝すりみ〟とは?」という方も多いと思いますが…まあカマボコとほとんど変わらないものですが、カマボコよりも若干歯ごたえが優しく、キメもチョット粗めの練りモノで、結構自家製のモノが多かったりします。私の地元の方では〝すりみ〟と名を打って、普通に売っていました。で、すりみやカマボコと書くと、一見バリエーションが少ないように思いますが…魚介類の数だけすりみやカマボコがあると言っても過言ではありません。「タラのすり身の中にエビを入れる」なんて〝ブレンド物(?)〟もありますから、その数は膨大なものに!こちらのカマボコ屋さんは、おでん種をメインに作って販売しているみたいですが、ウチの地元の方では、あまりおでんが盛んな地域ではなかったものですから、地元のカマボコ屋さんは何気に「カマボコ・すりみ一筋」というお店が多かったのです。で、ショップカラーを出すためにも、各店、オリジナルのカマボコを作っては販売していました。やはり職人さんが作る店自慢のカマボコですから、お味は確かなもので、さらにオリジナリティーも豊富でそれはそれは美味しく、楽しいモノでした。

 先ほど、練りモノが好きと書きましたが、こちらに来てから特に好きになったのが「つみれ」。私の地元では、つみれはあまり見かけませんでしたから。だからこっちに来て、つみれを食べた時には「おおっ!なんと美味なるものか」と感動したのを覚えています。居酒屋で〝つみれ汁〟を見かけると、とりあえずは頼むというつみれ好きにまで成長を成し遂げました。「美味しいつみれは、口の中でホコホコとほぐれる」というのが、私の印象です。

 で、こちらに来てからつみれと同じ位好きになったのが〝笹かまぼこ〟。笹かまぼこ自体は昔から知っていましたし、食べたことも何度もありましたが「まあカマボコだな」位の印象しか持っていませんでした。で、こちらに来てからチョット驚いたのが〝ミニ笹かまぼこ〟。気のせいか、私が地元で食べた〝大笹かまぼこ(〝大〟というより、こちらがノーマルか?)〟よりも美味しいような…。なんか小さいだけに、チョコチョコと食べることになるんですが、口に含んだ量が〝カマボコの味がちょうど良く引き立つ量〟になるみたいで、まさにカマボコの味を堪能できる一品。大笹かまぼこのように、一気に大口でガブリとやると、どうも口の中のカマボコの味が〝大味〟になってしまうような…。ミニ笹かまぼこだと繊細なカマボコの味を堪能できるような気がするのです。そしてさらに驚いたのが、そのバリエーションの多さ!ひとえにミニ笹かまぼこといっても、なかなかの数。エビ、サーモン、チーズ、ずんだ、ウメ、シソ入りなんかの他に、牛タンいりなんていうのもあったりして、ここでも〝ブレンド物〟が大活躍しているご様子。もちろん味の方も、美味なることこの上なし!おやつに良し、酒の肴に良しとのことで、私の好物の一品なのです。

 そんな大好きな笹かまぼこなんですが…ご存じのように宮城県の特産品です。宮城県は今回の東日本大地震で、大きな被害が出た所。私の出身地でもそうでしたが、やはりカマボコは鮮度が命ですから、その工場は海の近くにあるものです。地震の被害もさることながら、津波により大きな大きな被害が出た宮城県。多くの人命が失われました。そして、生き残った方々も津波により、甚大なる被害を受けました。家や車、家財道具など一切合切を失うことになったこと、心よりお見舞い申し上げます。そんな東日本大地震の報道を見ていた時に、私の目に飛び込んできたのが『特産品の笹かまぼこ工場の被災』に関するニュースでした。前述のように、多くの工場が海の近くにあったため、津波の被害をまともに受けてしまったそうです。工場の跡地を寂しそうに歩いていた、カマボコ会社の社長さんの姿が目に焼き付いて離れません。泥まみれの大きな残骸を指さして「あれが笹かまぼこを作る金型」と悲しそうに話していた姿には涙が出そうになりました。新聞等でも「東日本大震災の影響で、宮城県の名物〝笹かまぼこ〟が危機に直面している」「宮城県内の笹かまぼこ工場の多くが被害を受け、流通量は激減している」などと大きく書かれました。「大丈夫なんだろうか…」と思っていた、そんな矢先。2011年4月1日『仙台蒲鉾協同組合 並びに 名産笹かまぼこ 復興決意宣言』がなされました。仙台蒲鉾協同組合が「業界復興と、育て上げてきた地場名産〝笹かまぼこ〟の復興を遂げたいと強く思います」とのこと。頑張って下さい!誰にも負けないくらいのカマボコ好きで、カマボコファンで、笹かまぼこ大好き人間であるこの私、心より応援したいと思います。地震・津波に負けず、これからもずっとずっと美味しい美味しい笹かまぼこを作って下さい。今は宮城県内の工場の多くが被害を受けたため、流通量は激減しているそうです。が、いつの日か「宮城に行くから、笹かまぼこ買ってくるよ。どこの、どんな笹かまぼこが良い?」なんて以前の様な会話がなされるようになることを、心より祈っています。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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丹精込めて作ったものが…。

 連日報道される福島原発の状況。どう贔屓目に見ても、決して良い方向に進んでいるとは言い難い状況に。

 毎日毎日変化(悪化?)する状況に、困惑しない日はありません。以前ブログでも書きましたが、何と言っても対応の遅さというか、悪さには閉口してしまいます。先日行われた質疑応答も、何ともお粗末なものでした。地元の方たちが、必死で現在の状況やこれからの対応を質問しているのに、何だかのらりくらりとかわしているというか、どこ吹く風というか…。海外メディアから叩かれている場面や、住民が怒り心頭をあらわにしている場面もよく見かけますが、至極当然のことだと思います。対応のお粗末さにも、怒るのを通り越して呆れるばかりですからね。『経済産業省原子力安全・保安院は18日午前「深さ20センチ」と発表したが、その後、見積もりに誤りがあったとして「水深が約5メートル」に訂正した』なんて、まあ、愚の骨頂というか…「本気でやってるのか?コイツら…」と思わせるような内容だと思います。

 そんな困った状況の中、さらに困ったことになっているのが〝出荷制限〟や〝出荷停止〟の措置。野菜や穀物、海産魚介類から、牛肉、牛乳まで制限や停止を受けています。制限の地域も広く、福島県だけではなく茨城県、栃木県、群馬県などが制限対象となっています(もちろん全ての農畜産物が対象となっているわけではありませんが)。今回の原発事故が、地元福島の方はもちろんのこと、福島から遠く離れている方々にもいかに多大なる被害を与えているか、ということが良く分かると思います。私の出身地は農業の方が多く、クラスの中に1~2割くらいは「実家は農業」という人がいました。もちろんクラスメイトだけではなく、知り合いには農家の方が沢山いました。今も思い出すですが、農家の方々と話をしていると、皆さん本当に楽しそうな顔で「作物を作ること」を話してくれるのです。知り合いの農家の方が「朝、俺が畑に行くとな、イモの花がみんな俺の方を向いてな、ありがとうってな、おはようってな、挨拶してくれるんだよ」とニコニコと話してくれたことを、今だに覚えています。他にもいろんな農家の方が、本当に本当に嬉しそうに〝作物が育つ嬉しさ〟を話してくれたことを覚えています。そして「美味しく食べてもらえれば」と、さらに笑顔で話していたことも覚えています。いただいた野菜が本当においしくて「いや~美味しいですね」といった時の、農家の方の笑顔は、本当に本当に極上の笑顔だったことも、脳裏に焼き付いています。

 農家の方々ばかりではありません。私の出身地は田舎というか…まあ自然が豊かだったものですから、自宅の庭で野菜や果物などを育てているご家庭をよく目にしました。もちろん私のウチでもトマトなんかを育てて、食べたりしていました。確かに嬉しかったですね、自分達が世話をしているトマトの苗がどんどん大きくなっていくのは。よそのウチでも、庭で野菜や果物の世話をしている時は、みんな笑顔で、本当に可愛がって育てているんだなという感じがしました。収穫の時はそんな嬉しさも一入。もちろん私も、大きくなったトマトを食べた時は本当に嬉しかったですし、その美味しかったことは今でも覚えています。ウチの父がそのトマトを食べて「美味いなぁ」といった時、何故か自分がほめられているような気になり、とっても嬉しかったことをまだ覚えています。

 トマトの苗2、3本でもこの嬉しさですから、農家の方の〝育てる楽しみ〟や〝美味しいと言ってもらえる喜ばしさ〟は、とてもとても大きなものなのでしょう。ところが…。今回の原発事故で、出荷制限を指示したり、出荷停止を指示したり…。農家の方々は、せっかく出荷しようと育ててきた農作物を市場に出すことが出来ない状況になってしまいました。今回の原発事故により福島県は3月26日、農作業の延期を農家に要請しました。さらに野菜に対して『摂取や出荷を差し控えるよう指示されている野菜は、すきこみ(耕運機やトラクターを使って土に混ぜること)や焼却はしない。すでに収穫したものは一箇所にまとめて保管する。まだ収穫していないものはそのまま放置すること。摂取や出荷を控えるよう指示されている野菜の作付けを予定していた場合で、播種や定植の指示が解除されない時は作付変更も検討すること』と対応策を示しました。畑で収穫を待っている野菜たち。収穫することも、すきこむこともできない野菜畑に、呆然と立ち尽くしている農家の方々の映像を見た人も多いでしょう。テレビで「せっかく育てたのにね…収穫もできないし…このまま放っておくしかないなんてね…」と泣きながら現状を訴えていた農家の方を観たときには、思わず涙が出ました。美味しいと言ってもらうために作った野菜。丹精込めて大きく育てた野菜。それがダメになっていくのをただ見ているしかない…。こんな残酷なことはないと思います。農家の方々は、作物を育つのが嬉しくて、それを美味しいと食べてもらうことが嬉しくて、農業という仕事をやってきたのですから。もちろん「育てることに、そして美味しいと喜んでもらえることに生きがいを感じている」のは農家の方々だけではありません。「美味しい牛乳を育てている」ともいえる酪農家の方々。今回の原発事故で、せっかく搾った牛乳を出荷することができていないという事態に陥りました。牛は毎日搾乳しないと病気になるそうです。ですから牛を守るために搾乳したそうです。そして、搾乳された牛乳はすべて廃棄したということです。「捨てるために搾乳しているようなもんだ」とテレビで話していた酪農家の方も忘れることができません。育てることは何にも陸の上だけではありません。今回の事故では、海に放射性物質が漏れていることが確認されました(まあ漏れてもいますし、あえて低濃度放射性物質を含む汚染水を海へ放出したりもしましたが…)。これは漁業関係者にとっては深刻な問題です。福島、茨城の漁業、養殖は大打撃だと思います。やはりここでも〝養殖〟という「育てることにそして美味しいと喜んでもらえることに生きがいを感じている」方が、悲しむ事態が起こっているということです。

 確かに出荷制限等の措置は必要だと思います。放射性物質が広まることも良くはありませんし、当然、人体への影響も十分考慮していかなければならないと思います。しかし、行政の出荷制限に関する措置には、問題があるのでは?と思っています。あまりにも不手際が多すぎますし、大ざっぱ過ぎるからです。本当に農家や酪農家、そして漁業の方々の事を考えているのか疑問に思います。それは確かに、行政としては他にも色々とやらなければいけないことはあるでしょうし、忙しいことも分かります。だからと言って、大ざっぱであっていいか、どこか一部が適当であっていいかというと、そんなことは許されるべきではないと思います。「食べ物を粗末にしてはいけない」誰もがこう教わってきたことと思います。粗末にしてはいけないからこそ、出荷制限という措置は厳密かつ慎重なものでなければならないと思います。「暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された福島県天栄村産の牛肉。実は検査に使用した容器を包んでいたビニール袋に同セシウムが付着していた」なんてことをやっているような方々に、厳密かつ慎重な判断を必要とされる出荷制限の判断が委ねられているなんて、話にならないと思います。『丹精込めて、そして美味しいという笑顔を求めて作ったものが、目の前で否定される』これがどれほどの重たいことか、行政の方々にはしっかりと認識してもらいたいと思います。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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まだまだ落ち着かない…でも、進むしかない。

 まだまだ落ち着かない…でも、進むしかない。

 4月11日17時16分ごろ、福島県浜通りを震源とする地震が発生しました。この地震の影響で、福島県いわき市では土砂崩れが起き、住宅3棟が巻き込まれ、住民が下敷きになるという悲しい出来事が起こりました。「地震に負けずに、みんなで頑張ろう」という矢先に、地震によるこのような被害が起こったこと、何ともやりきれない気持ちでいっぱいです。亡くなった方のご冥福を心からお祈りします。

 2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒に発生した東北地方太平洋沖地震。日本国内観測史上最大の地震であり、アメリカ地質調査所 (USGS) の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震とのこと。もちろん津波の規模も大きく1896年の明治三陸地震津波(日本の本州で観測された中で最も高い遡上高である海抜38.2mを記録した大津波)に匹敵する規模であることが明らかにされたそうです。復興は始まりましたが、まだまだ避難している方が多く大変な状況となっているのは皆さんご存じのことと思います。

 避難所での生活。やはり精神的な疲労が大きいとのこと。たくさんの人が、一か所に集まり、物が無い不便な生活をしているわけですから、疲労だってそれはたまると思います。もちろん着の身着のままですし、布団でぐっすり眠れる状況でもない。家も含めて全てを失った方がほとんどですから、自分の持ち物だってありません。震災にあわれたご家族が、娘さんを関東の学校に送りだす場面をTVで観たのですが…「布団も買って、色々なものも用意してあげてたのに、みんな流されちゃって…」と涙ながらに送り出している場面を見ていたら、見ているこちらも涙が出てきました。先日、合格された学生さんが挨拶に来てくれたのですが、その時にこんな話をしていました。「ウチの弟が専門学校に行くことになったんですが…震災にあわれた方が2名ほどいたそうです。入学式のとき、やはり着の身着のままの格好だったそうですが、その姿に、父兄の方の中には涙を流す人も多かったそうです」とのこと。その二人、何かを背負って、入学式に出席されたことと思います。先ほどのTVのインタビューを受けていた娘さんも「自分だけ被災地から出る、避難所生活から抜け出すということに、後ろめたさを感じる」と答えていました。避難所生活がいかに大変かを物語っている言葉だと思います。「疲労はたまるけど、ココ(避難所)しか行くところがないから」とインタビューに答えているお婆さんもいました。家が流されてしまった訳ですから、行くところもないのでしょう。かといって、忘れてはいけないのが、自宅で避難生活を送っている方。「自宅があるなら大丈夫なんじゃ…」なんていうのは、とんでもない話で、ライフラインは復旧していない、避難所のように物資は届かないで、それはそれは大変な状況にあるとのこと。さらに、ウチの中には家族やら親戚が肩を寄せ合って生活している状況。「物資が届いている所とそうでないところの差を無くしてほしい」と訴えていました。復興整備もなかなか大変な状況にある様子。宮城県は、瓦礫(がれき)処理は一刻を争うとして、3月28日から撤去作業に乗り出す方針を決め、日々瓦礫処理を行っているのですが、なかなか思うように進まないとのこと。家も物も職も無くし、ご家族と悲しい別れ方をされ、不便な生活を強いられている人たち。それでも皆、手に手を取り合って、何とかこの状況を乗り越えようと必死になっている姿には、心を打たれます。誰かが被災地を訪れるたびに笑顔を見せ、辛くともそれを顔に出さずにふるまう姿に、人としての強さを感じずにはいられません。心から応援したいと思います。

 一方、先週も書きましたが福島原発。こちらも、まだまだ落ち着きません。いや、落ち着かないどころか、まだまだ現在進行形で災害が続いているような状況。「現在進行形で災害が続いている」訳ですから、当然、様々な被害が続いており、日々その被害は不穏な状況に。もちろん、その〝被害〟の中には〝風評被害〟も入っています。皆さんが慌てる気持ちも分からなくはないのですが…。なんといっても、政府や組織の対応がずさんですからね。「暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された福島県天栄村産の牛肉。実は検査に使用した容器を包んでいたビニール袋に同セシウムが付着していた」なんて呆れてものも言えません。そういえば、福島県産ホウレンソウに関してもミスがあったようなことを聞きました。これじゃあ、風評被害を煽っているといっても過言ではないでしょう。でも、煽られて騒ぎすぎたり、いきすぎた行動を取ってしまったら、それはそれで同罪だと思います。まあ、問題があるのは政府や組織の対応なんですけどね…。海外メディアからもさんざん叩かれていますが、その対応の遅さには呆れるばかりです。イヤ〝対応の遅さ〟というより、何か対応しているんでしょうかね?さっぱり政府や組織の対応とやらが見えてこないんですが…。すべて事後報告。何で海外からの情報の方が早くて正確なんでしょう?国際原子力事象評価尺度(INES)の暫定評価も最悪の「レベル7」に引き上げられてしまいました(同じ「7」だった1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故とは深刻度や被害規模が大きく異なると指摘はされていますが…)。こんなんじゃあ、福島原発に関しては落ち着くのに時間がかかりそうな気がします。何とも心苦しい話です…。何故なら、その対応の悪さで一番迷惑を被っているのは、非難されている方たちなのですから。福島原子力発電所事故で被災、避難されている皆様に、心からお見舞い申し上げます。

 国家試験の発表から2週間近く経ちましたが、皆さんその後いかがですか?色々な結果となってしまった方がいる訳ですが…落ち着かれましたか?「まだまだ落ち着く訳ないだろ!」なんていう人もいるかもしれません。以前のブログにも書いたのですが、結果がどうであれ、次のステップへと移行したことは事実です。いつまでも、そこにとどまっていても何の成果もありません。次のステップへと移行したことを認識して、行動しなければなりません。今回の試験で残念な結果となり、薬進塾に申し込んだ学生さんが何名かいます。早速、毎日やってきては私のマンツーマン指導のもと、勉強を始めています(申込特典で「教室の使用」「学習指導」が無料で受けられるのです)。そう、皆さん次のステップへと進んでいるのです。一つの結果は一つの結果として受け止め、次のステップへと進むことが大事だと思います。先日、震災にあわれた方々が「いつまでも、悲しみ立ち止まっている訳にはいかない」「前に進まなければいけない」と話しているのをテレビで観ました。大震災で計り知れない被害を受けながらも、懸命に立ち上がろうとする人たちがいるのです。海に人生をささげ、すべてを失ってもなお再起を誓う漁師の人たちがいるそうです。すべてを失ったけど、生まれ育った町で、海で、もう一度立ち上がろうとしているそうです。本当に、本当に人間という生き物は強いんだなと、心から感じます。被災地の方は、それはそれは大変でしょうけど〝再興〟を誓い、頑張って次のステップへと進んでいるのです。そんな〝負けない被災者の方達〟に自らの身を引き締め、応援すると同時に、「じゃあ私もそろそろ…」と皆さん次のステップへと進んでもらいたいと思う今日この頃です。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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原発騒動ジレンマ

 依然、不穏な空気が漂っている福島原発。千変万化するその状況に、マスコミは連日のように翻弄されている様子。「よくもこんなに多くの先生を…」と思うほどの先生方をスタジオに招き、色々な質疑応答に応じてもらっている場面を見ない日はありません。違うチャンネルでは違う先生が原発の説明をし、チャンネルを変えると…やっぱり違う先生が原発の話をしている…。私はそれを見るたびに、チョット複雑な気持ちになってしまいます。

 私の従兄(小学校から大学まで、地元の学校に通っていました)が東京の会社に配属になり、単身赴任でやってくることになりました。結婚し子供もでき、まあ一家で暮らしていたのですが…。3月の事例で東京への単身赴任が決まったそうです。実家よりも長い年月こちらに住んでいる私としましては「へえ、こっちに来るんだ」位の感覚ですが…従兄とその一家にとっては大騒ぎの事態のようです。まず、東京で暮らしたことなんかないから不安とのこと。30超えたいい男が、別に訳ないよと言ったところで、やはり不安が先行している様子。まあ、私の地元の方では、まだまだ東京という場所は敷居の高い所ですから、やはり不安なのでしょう。そして、さらにその一家にとって大騒ぎの一因になっているのが、今回の地震。以前ブログでも書きましたが、私の出身地は日本でも地震の少ない地域で、震度3でも大騒ぎする土地柄。ご存じのように、こちらではまだまだ余震が起きる状況で、そんな余震が続いている東京へ行くなんて不安がいっぱい…といったところでしょうか。「行くなんて」と書きましたが、実は従兄からその言葉を聞いてはいないのです。その言葉を聞いたのは〝従兄の親〟つまり〝私の叔父さんと叔母さん〟からなのです。ですから、正しくは「東京へ行かせるなんて不安がいっぱい」ですかね。本人はともかく、叔父さん叔母さんが今回の地震で不安になっているのは確かなようです。

 先日も、そんな伯父さん叔母さんから「よろしく頼むね」なんて電話が来たものですから、私としましては「ええ何かあったら連絡して下さい」なんて、月並みな会話をしていたのですが…。伯父さんが言うには「先日、○○(地名)まで行って4Lの水を汲んできて持たせたから、お前もいるんだったらもらえ」とのこと。「これはもしかして…」と思い「放射性物質ですか…?」と聞くと「おお、危ないらしいからよ」というので、電話ながらに苦笑いしながら「大丈夫ですよ」というと…「いやいや、危ないって」とのこと。…。やはり〝地震〟や〝原発〟による、人々への影響というのは大きいようで。東京から離れているだけに、状況も分からない訳ですからね。ましてや、マスコミも東京の現状なんてあまり報道しませんから。頭の中で、アレやコレや想像するしかないのでしょう。往々にして、そういう場合はチョット悪い方に想像を膨らませてしまうのが、世の常というもの。で「東京は地震が危ない!飲み水が危ない!放射性物質が危ない!」となったのでしょう。

 慌てる気持ちや、脅える気持ちが分からない訳ではありません。月並みな意見ですが、こういう時こそ、正しい情報を得て、正しく行動することが必要だと思います。まあ公表される〝正しい情報〟が、いささか頼りげないものであることも、確かといえば確かなんですが…。ただ私が思うのは、テレビで〝原発〟やら〝放射能〟を解説していらっしゃる先生方。皆さん、その道の権威の方でありますし、有識者としては最高峰の方たちばかりなのですが…。そういう先生方でも、一般の方に短い時間で今回の件を説明するとなると、どうしても難しい話をしてしまわなければならないのは、避けられないことのです。先生方の言動からも、四苦八苦しながら分かり易く説明しようとしていることは分かるのですが…。でも、どうですかね。お偉い先生が、聞いたこともない言葉で理解しがたい難しい話をしているとなると…分からない人は、単に脅えるだけになってしまうのではないでしょうか?お偉い先生方が難しい顔をしながら「原発のすぐそばで毎時125マイクロシーベルトと高い線量が…」なんて言ってしまうと、分からない人は「オイオイ、なんかとんでもない状況なんじゃないのか?」となってしまうと思うのですが…(まあ確かにとんでもない値なんですが〝原発のすぐそば〟の話ですからね)。

 簡単に「シーベルト」と言っていますが、これも一般の方に簡単に説明できるかというと…。私は放射線取扱主任者(2種)の資格を持っており、二十数年来に渡って、薬剤師国家試験対策で放射化学を教えています。私がシーベルトを教える時は、薬剤師国家試験に出題されるという観点から見て「こうやって覚えておいてね」と教えています。しかし、今回のような現実問題としての被ばくに関してシーベルトを説明するとなると…やはり一般の方には少々難解な言葉を用いらなければならないこともありますし、何気に時間をかけて説明しなければならないことがあるのも事実なのです。恐らくテレビ出演なさっている先生方も、そこの所を痛感なさっていることと思います。やさしい分かりやすい言葉で説明するには時間がかかってしまう。かといって、短時間で説明するには、難しい言葉を使わざるを得ない…というジレンマに陥ってしまっているんだと思います。やはりテレビは時間モノですから、後者が優先されるべき状況、すなわち「難しい言葉を使い、短時間で説明する状況」となってしまうのでしょう。で〝偉い先生方が(ジレンマに苦労するため)難しい顔で、難しいことを話す〟という状況になってしまう。そして、前述のように、それを見た視聴者の方は「なんか、とんでもないことなのか?」となってしまう訳です。悪いことに、不安は不安を呼びます。不安な状況で、他のチャンネルでも放射線に関する難しい話を聞いてしまったら…不安連鎖が止められない状況になると思います。

 私の叔父さんの「いやいや、危ないって」という発言も、この連鎖の一環なのでしょう。放射線のことなんかわからなくても、〝怖い〟ということで判断してしまう。でも、これって一番危険なんですよね。物理学者でもあり、随筆家、俳人でもあった寺田寅彦は「物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい」といっていますが、まさに今回の事態はこの通りだと思います。とにもかくにも慌てずに、冷静に判断してもらいたいと思っています。もちろん、そんな状況でないことも分かります。放射線なんていう、普段は関わりの無いモノ(実は常日頃から、十分関わっているんですけどね。何気に身近なものなんですよ放射線は…)が、急に身近に迫ってきたとなると落ち着いてはいられないでしょう。だからといって慌ててしまうと…もっと大変な事態になってしまうことも目に見えています。あまり先走りしすぎない方が良いと思いますよ。先走りの結果とんでもない事態を招いてしまう事の方が、よっぽど危険ですから。とはいえ、公表される〝正しい情報〟が、いささか頼りげないものであることも確かですから、どうしても慌ててしまう状況にはなってしまうのですが…これも、今回の騒動の大きなジレンマの一つですね。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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昨日は合格発表

 二十数年、この仕事を続けていても、やはり合格発表は緊張します。「エッ!?先生でも緊張するんですか?」という人。そりゃあ緊張しますよ。大事な教え子の合否が分かる日なんですから!そりゃあ確かに、国家試験の日も緊張しますよ。でも、それとは違った緊張感があるのは確かです。ある意味、我々のような仕事をしている人間にとっては集大成の日ですからね、合格発表の日は。どんなに「いい講義ですよ」なんて言ったところで、合格してもらわなければ話になりませんから。そんなわけですから、学生さんから「合格しました」「受かりました」なんて声を聞くと嬉しさも一入。「この仕事やっていて良かったな」としみじみ思ってしまうのです。

 昨日も14:00(合格発表開示の時間)を過ぎたかと思ったら早速電話が。電話に出ると、早速、教え子の嬉しい声で「受かりました!」。時間的に見ても、合格発表を見てすぐに電話をかけてくれたんでしょう。大学の先生に教えるよりも先に私たちに連絡をくれたわけで、申し訳ないやら、嬉しいやらで…。「ありがとうございました。先生方のおかげです」の声には、こちらが逆に感謝したい位です。「ああ良かった」なんて喜んでいると、続々と嬉しい電話が…。今回の学生さんの中に、昨年の国家試験までは自分で勉強していた学生さんがいました。今年はウチに来て勉強していたのですが、合格の報告を電話でしてくれて「自分でやっていたら、受からなかったと思います」と言ってくれた時には、ついこちらが涙ぐんでしまう状況に。今回で7回目の受験、やっと合格した学生さんからの「先生のおかげです。ありがとうございました」の電話にも、ただただ嬉しい限りです。もちろん、合格したのにまだ電話がかかってこない学生さんもいるのですが、きっとご両親に報告したり、親戚に報告したりで忙しいのでしょう。私たちは後回しでいいですから、お世話になった方、心配してくれた方にしっかりと報告して下さい。

 今回の国家試験、色々な思いの人がいると思います。合格された方、残念な結果になってしまった方。でも、どんな結果であろうとも、やるべきことは一つです。「次にやるべきこと・次に進むべき道を探すこと」です。人生は千変万化します。立ち止まることはありません。結果は結果として、それを次に進むための糧にしなければならないのです。合格された方もそうでない方も、もう次のステップに足を踏み入れているのです。次のステップに入っている以上「これから何をすべきか」ということを自らの意思で決めなければなりません。いつまでも立ち止まっているわけにはいかないのです。「でも何をすべきか分からない」という人。そういう時こそ原点に戻って下さい。「なぜ薬剤師になろうと思ったのか?」これが薬学にきて薬剤師になろうと思った人の原点です。この原点に戻り、次にやるべきこと・次に進むべき道を探してみるのが、まずは一番先に始めるべきことだと思います。合格に酔いしれるのもいいでしょう。悲しみに暮れている方もいるでしょう。でも、忘れないでください。確実に次のステップに進んでいるということを。それをしっかりと受け止めて、次にやるべきこと・次に進むべき道を探してみてください。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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地震の日

先週のブログでは、3月11日(金)14時46分に起きた地震について書かせてもらいました。途中で「その前にどうしても書きたいことがありますので、今回は先にそれを書かせてもらいます」となりましたので、その続きを書かせていただきます。

私は浅草橋にあるディスカウントストアの7階で地震にあいました。商品陳列棚からバラバラとモノが落ちてくるなかじっと耐え、地震は終息へと向かいました。店員さんの指示に従い一階にたどり着き、外に出ると・・・。街中がパニック状態に!まず始めに思ったのが「こんなにも大勢の人が歩道にいるの!?」ということでした。地震と同時に皆さん建物から避難したからなのでしょう。歩道は人で溢れかえっていました。そして皆同じように携帯を片手に不安そうな顔をしていました。私もすぐに「薬進塾の状況は?」と思い、電話をするもののつながらない。薬進塾にいる講師の携帯に電話するも…やはりつながらない状況。「これは、スグに帰るしかない」と思い、即座に薬進塾に向かいました。向かう途中の歩道にも、当然ながら人が溢れかえり、地震こそ落ち着いたといえ、人々は興奮冷めやらぬ様子。そんなさなか、何やら人だかりが出来て、携帯片手に写メを取っている人たちがいる場所がありました。見ると…。そこは神社だったのですが、そこの石灯籠が倒れ破損していたのです。それを物珍しげに写メに取る人たちに対し、何ともやりきれない気持ちになるも、薬進塾への道のりを急ぎました。薬進塾へ入るや否や「大丈夫?」の一言。同僚講師の「大丈夫でした」の声にとりあえずは一安心。何気に棚やら、積んである荷物等が気になったのですが、どうやら崩れたり落ちてきたものはなく、塾内にはコレといった被害はなかったようです。しかし…その後も揺れること数回、それもかなり大きく長時間。揺れるたびに外へ出ては、また引き返しを繰り返すこと数回。何かあった時のために電源も落としていたのですが、これじゃあ仕事にならない。どうやら、電車の方も不穏な状況らしい。ということで、その日は早締めということで帰宅することにしたのですが…。やはり電車は完全ストップ状態で動いていない様子。さらに、いつ動くか目途が立っていないどころか、本日は動かないらしいとのこと。次の日の12日(土)は所用がある上に、自宅も心配ということで、歩いて帰ることにしました。たまたま私の場合、1本道をまっすぐ歩いていけば、ウチにつけるという道のりだったものですから、歩いて帰るという選択肢もそんなに難しいものではなかったのです。「まあ、2時間も歩いけばつくだろう…」との考えをもとに歩き始めたのですが…。ここでも驚いたのが、人の量!やはり皆同じ考えなのですね…というか宿泊しない以上、帰るしかない訳ですから。皆さん、同じ方角に向かって歩く歩く。歩道が人で満杯なんていう状況、そう見たことはありませんでしたから、戸惑いも一入です。途中の交番では道のりをきく人の長蛇の列。お巡りさんも地図を片手に一苦労といった感じでした。そんな人ごみにまぎれて、私も家路を急いだのですが…。私は車に乗らないものですから、電車以外の移動手段は自転車か徒歩です。歩くことに関しては何の抵抗もありませんし、歩くことにも自信はありました。なのに、何かいつもとは勝手が異なるのです。なんか疲れる…。それもそのはず。あまりに人が多すぎて、自分のペースで歩けないのです。さらに…「帰宅する」という目的を持って、「この方角」という観点で、今まで歩いたこともない、見ず知らずの土地を歩いているわけですから、目的も持たずに勝手気ままに散歩している状態とは訳が違います。「本当にこの道であっているんだろうか?」と不安に思うこと数回、ましてやあたりは見たこともない風景。でも歩くしかない…。途中、階段を上って上の道路と合流したり、橋を渡ったり、歩道橋を上ったり、渋滞している車スレスレで路側帯を歩いたり…。風景も、歩いている環境も様々でしたが、歩いていた人達も本当に様々で…。途中、疲れてファミレスに入って行く人。座り込んでいるお年寄り。ブーツを脱いで足をもんでいる女性。親に手をひかれて歩いている子供。酔っているのか、悪ふざけしながら何人かで固まって大声を出しながら歩いている若い男性達。何気に「今回の地震は災害だけど…本当に災害になったら、こんな状態になるんだなぁ」とつくづく感じるとともに「戦争になったら、これが着の身着のままの状態の人ばかりだったり、負傷している人も交じったりすることになるんだろうな…」とも考えていました。そんな心許無い状態でしたから、見覚えのある風景になった時は、嬉しさも一入。「この道であっていたんだ」という安堵感と「ここまで来たんだ」という達成感でいっぱいでした。とりあえず、現在住んでいる市街地に入り、最寄りの駅まで来た時には、歩きはじめてから2時間20分が経っていました。私が通っていた中学校では耐久遠足というのがありました。その中学校の生徒全員が「よーいスタート」で学校から出発して、各関門関門でハンコをもらいながら、決められた道のりを歩いてゴールするというものです。もちろん、皆一緒ではなく、各々が好き勝手に歩いてゴールするというものでした。私が1年生の時から始まったのですが、1年生の時は20km、2年生の時は50km100、そして3年生の時は100kmだったと思います。何気にその耐久遠足を思いだしながら、疲れた足取りのまま駅前のスーパーに。スーパーの中は、驚くほど日常だったことを今でもはっきり覚えています。

そんなこんなでやっとウチに変えることが出来た11日でした。部屋の中は…思っていたほどモノも落ちてきておらず、まずは一安心と思い私の部屋を開けると…日ごろのものぐさが祟ったのか、積み上げている本が崩れてきており、散々な状態となっていました。まあ壊れたモノはありませんでしたが…。

被災された方の苦労から考えれば、私の苦労など比べることさえも、おこがましいほどのことでしょう。だからこそ、震災された方には、心より心よりお見舞い申し上げたいと思います。色々と大変なことだと思いますが、がんばって下さい!大丈夫!必ず道は開けます!薬進塾の職員一同、被災された方を心より応援すると同時に、一日も早い復興を心より願う次第であります。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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国家試験お疲れ様でした。

 終わりましたね国家試験。受験された方、お疲れ様でした。そして、我が薬進塾の先生方もお疲れ様でした。

 そういう私もお疲れでした(笑)。まあ、我々のような人間にとって、いちばん重要な日ですからね、国家試験の日は。もちろん学生さんにとっても、とてもとても大切な日であり、とてもとてもお疲れだった日であったことは言うまでもありません。つまり…薬剤師国家試験に関わる人は、みんなみんなお疲れになった日ということですね。じゃあ、そんな皆さんに「お疲れ様でした!」。

 で、我が薬進塾に喜びの報告をしに来てくれた学生さんが何名もいらっしゃるんですが…まあ蓋を開けてみるまでは分からないとはいうものの、蓋を開けなくても大丈夫なほどの点数を取っているようですので、嬉しさあまりに報告に来てくれたのでしょう。そんな学生たち(もう卒業生たちか?)を見ていると、やはりこの仕事をして良かったなぁとつくづく思う次第で。国家試験までは、やはり緊張の面持ちを隠せない、どこか硬い表情だったのですが、報告に来てくれた学生さん達の表情は、それはそれはほぐれた穏やかな表情となっており、「こんな表情するんだなぁ」と見ているこっちの表情もついほころんでしまう状況に。こちらもうれしい限りですから「よく頑張った」とか「一生懸命やっていたもんな」なんて褒め言葉をかけてやると、今度はチョット涙目になったり…。何とも〝表情の起伏が激しい数日〟であることは間違いないようですね。

 そんな学生さんからよく相談される内容があります。実は私が講師を始めてから今までの間、国家試験が終わると毎年のように相談されてきたことなんですが…。それは「先生、この後何したらいいですかね?」というご相談。もちろん、すぐに仕事に就く人もいるのですが、働くまで間がある学生さんがほとんど。さらに、これも当然ですが、薬剤師として働くためのお勉強もしなければならない。それは分かっているし、そうするんですが、「それ以外に何をしたらいいんでしょう」というのが、よくあるご相談内容。今まで必死に勉強してきたから、急に毎日の勉強がなくなったもんで、ちょっとどうしていいのか分からない状況になったのでしょうね。まあ「試験終わったらコレやるぞ!」なんていう激しい欲望(?)は、すぐに行動に移しますからね、皆さん。その「コレやるぞ!」が終わった、その後「いったい何をしたものぞや?」となるのでしょう。そんな相談に対し、私は毎回こう答えます。「本能的なことをやれ。ひたすらやれ」と言います。つまり「腹いっぱいになるまで喰う」とか「ひたすら寝る」とか、そういったことをやりなさい、と言うのです。実は国家試験対策、何気に心身ともに負担になっているんですよね。そんな生活を続けていくうちに、身も心も縮こまってしまうのです。どんどん、どんどん縮こまって小さくなっていってしまう。だからこそ、一回、箍(たが)を外さなければならないのです。まあ適切な言葉がないんですけど、リフレッシュというか、自分のリフォームというか、そんなもののミックスといったところでしょうかね。そのためには、今までの制約ある生活をいったん解除しなければなりません。その為に「本能的なことをやれ。ひたすらやれ」と言っているのです。あまりやり続けて身体を壊してしまっても困るんですが、幸いにも「喰う」とか「寝る」とかいった本能的なことは、ある程度やって落ち着くと、そこから先には進まなくなりますからね。で「フー」とか「ホッ」とかため息ついて、リセット完了というわけです。

 皆さんお疲れなんですから、とにもかくにも心身ともに休んで下さい。で、新しいことに臨む活力を養って下さい。なにはともあれ、今はそれが一番大切だと思いますよ。我々も、少し休んで、リフレッシュといきたいんですが…国家試験が終わったら終わったで、色々とやることが出てくる職業なもので…なかなかそうはいかないんですがね(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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いよいよ国家試験です!

 なんだかんだで…もういくつ寝ると国家試験、となってしまいました。どうです?今更ながら「あっという間」だったことを感じていませんか?そうなんですよね。国家試験受験を目指した瞬間から、どうも時間の流れは速くなるようでして…気がつくと1年なんかはあっという間に過ぎてしまいます。おかげさまで、この仕事をしてからというもの、学生さんに合わせて生きているもんで、ホント、1年間があっという間なんですよね(笑)。もちろん、イヤというほど実感していることですから、学生さんには「あっという間だから…」ということは、何度も何度も(そして何年も何年も)念を押して言っているんですが…言われた時には「ハイハイ」なんて感じなんですよね皆さん。そして気がついた時には…「!」、なんて学生さんも毎年見てきています。

 「どうしよう」と悩んでいる学生さんもいると思うし、「何をやればいいんだろう?」とあたふたしている学生さんもいるでしょう。大体、この時期落ち着いている人なんて、まずいないですから。誰もが不安、不安なのが当たり前の状況なのです。では、どうすればいいのか?何をやればいいのか?先週のブログでこんなことを書きました。

 不安になるのは当たり前で、皆がそうである以上、完全解消方法なんかありません。~中略~ 不安に感じたなら…何でもいいから1つ事を行って下さい。目の前にある覚えることを覚える。目の前にある分からないことを調べる。今、目の前にある、やるべきことをやる。これが、不安に対抗する、賢い選択なのです。

 やはりこれに尽きると思います。今の時期は〝目の前にあること〟を一つ一つやっていくのが、一番いい過ごし方なんです。確かに〝気合〟も必要ですが、やたらと気合を入れすぎてオーバーヒートしてしまう学生さんがいるのも事実です。やたら〝気合〟で力むのではなく、〝どのように来ても受け流すことが出来る無心の状況〟で穏やかに過ごした方が良いと思いますよ。昔の多くの剣豪(例えば宮本武蔵や、柳生但馬守宗矩など)が、勝負においては無心が非常に大事だと説いています。試験までの過ごし方は、あわてた心境であたふたと過ごすのではなく、力みすぎてオーバーヒートして過ごすのではなく、〝穏やかに過ごすこと〟、これが一番だと思います。

 〝過ごす〟と書きましたが…具体的にどうやって過ごすかも非常に重要です。とにかく〝危険なこと〟は避けるように!急に体を動かすようなことなどしてはいけません!やたら出歩くことも、もちろんいけません。なるべく家にいるよう心がけるのが良いでしょう。夜更かしなんかしないで(徹夜なんてとんでもない!)、早く寝て下さい。起きるのも〝国家試験の日に起きる時間〟に起きるのが良いですね。食事にも気をつけて下さい。極端に脂っこいモノや、とりあえず生ものなんかも避けた方が良いと思います。もちろん食べすぎにも注意です。お風呂も早めに入って、もちろんその後は温かい格好でいることを忘れずに。とにかく国家試験までは平穏な日々を過ごすように心掛けるのが大切です。「国家試験の日に万全な体調となるよう持っていく」これが、今やらねばならない、一番大切なことなのです。

 自信を持って臨んで下さい。ここから先はいかに自信を持てるかです。「そんなこと言ったって、自信なんか持てません」という人がいるかもしれません。でも自信って何でしょう?「自分を信じること」です。自分を信じることが出来なくて、何を信じるんですか?古今東西、あなたのことを一番信じてくれる人、あなたが一番信じられる人は〝自分〟をおいて他にはいないんですよ?自信に理由なんていらないんですよ。「こうこうこうだから自信があります」なんて人います?そりゃあ「これだけやったんだから自信があります」という人はいますよ。でも根拠がありますか?「これだけやったら、間違いなく100%絶対大丈夫だ」と言えることなんてあります?そんなことはありませんよ。でも大切なことは自分を信じるということ、自信を持つということなんです。「これだけやったんだから自信があります」という人は、それをきっかけに自信を持ったり、自信を強化しているだけなんです。もちろん全然悪いことではありません。自信って、そうやって付けていくものなんですから!だから自信がないという人も「自信を持つ」ことは可能なんですよ。ただ単に自分で「自信を持つきっかけ」を探し出して、自信を持てばいいだけの話です。どんなことでもいいんです。何か見つけて「だから大丈夫だ!」と自信を持って下さい!タダなんですから!自分がどう思おうと、他人には関係ないんですから!どうせ考えるなら、自分のいい方に、自分が明るくなるように考えた方が良いじゃないですか!どんな小さなことでもいいんです。「○○だから大丈夫!」と自信を持って下さい。そして臨んで下さい。その結果は、自信を持たないものよりも、ずっとずっといいものになりますから!何度も言いますけど、理由なんかいらないんですよ、自信を持つのには!「不安だ、不安だ」でネガティブに受ける位なら、「とりあえず、やるだけやったんだから大丈夫!」とポジティブに受験した方が、よっぽどいい結果が出るに決まっています!「でも、やるだけやったとは、言いきれないし…」なんて、ホラ、もうネガティブになっている!良いんですよ、自信には理由なんかいらないんですから!「やることは、やったから大丈夫!」と、笑顔で自信満々で試験に臨んできて下さい!そんなあなたを、薬進塾講師・職員一同、心より応援しています!自信を持ってGO!

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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何故、人を不安にさせるの?ラスト

 「何故、人を不安にさせるさの?」ということで、3週ほど書かせてもらっています。先週は〝根拠なき脅かし派〟について書いていたのですが…最後にこう締めくくりました。「では〝根拠なき脅かし派〟の2つのパターンの残り1つは?実はこれがなかなか厄介なのです。本人は全くと言っていいほど悪気がないのですから…」。本人は悪気はないけど、結果的には〝根拠なき脅かし派〟になってしまう…。実は何とも皮肉な話…イヤ悲しい話となってしまうのですが…。「何故、人を不安にさせるの?その1」で、こんなことを書きました。『不安がらせる人…。それは友達であったり~中略~時には家族の方であったりする』と書きましたが…そうなんです。何気に困ってしまうのは、家族の方が〝根拠なき脅かし派〟になってしまうことなんです。

 「お母さんが色々と…」とか「お父さんが電話で…」と、ちょっと不安な顔で困惑気味に相談に来る学生さんは何気に多いのです。時期も時期ですから、何かと家族の方に連絡を取らなければならないことも多くなるのですが…連絡を取る度に「大丈夫なのか?」と聞かれてしまうとのこと。さらに、毎回毎回言われてしまうものだから、それがかなり負担になっているようで。で、「先生どうしましょう?」とやってくることに。毎回書いていますが、ただでさえ不安な時期。そんな中、毎回毎回「大丈夫なの?本当に大丈夫なの?」なんて言われ続けたら、そりゃあ誰だって「本当に大丈夫なんだろうか?」と不安になってしまうのは、至極当たり前の話。ましてや、相手が家族ともなると逆らうこともできず、黙って聞くしかない…となると、当然、ダメージも大きいわけで。真剣な顔で、切々と不安を語る学生さんを見るたびに、何ともやりきれない気持ちになります。

 もちろん、家族の方には〝不安にさせる気〟なんか微塵もありません。ただひたすら心配なだけなんです。ご両親であれ、兄弟姉妹であれ、祖父母であれ、みんなみんな、ただひたすら心配なのです。心配だからこそ、つい言ってしまうのです。「大丈夫なの?本当に大丈夫なの?」と。家族の方は〝大事に思って〟言ってあげているのに、それが伝わらない…。それどころか、真意が真逆に伝わってしまっている。何とも悲しい話です。これを読んでいる方にも「私もそうなんです。家族の言うことで不安に…」という方がいるかもしれません。でも、チョット考え方を変えてみて下さい。前述のように、家族の方は何も不安にさせよう、脅そうと思って声をかけているわけではありません。単に心配してくれているだけなのです。ただ、心配するあまり、心配している当人も心配になってきて、つい「大丈夫なの?」と口にしてしまうのです。ですから、ご家族の人が「大丈夫なの?」と言ってきたならば、それは心配の極致に達してのことなのです。その言葉を聞いて不安になる気持ちは分かりますが、それはチョット横に置いてこう考えてみて下さい。「ああ、こんなにも心配してくれているんだ」と。そしてこうも思って下さい。「私には心配してくれる人がいるんだ」と。世の中には、誰からも心配されない人がいます。悲しいことかもしれないけれど、誰からも心配されない・誰も心配してくれない人というのは確かに存在します。自分のことを心配してくれる人がいるというのは、とてもとても幸せなことなのです。ですから、この幸せを思いっきり堪能して下さい。「私には心配してくれる人がいる、私は幸せなんだ」と。そして、こう答えてあげて下さい「大丈夫!」と。

 中には「『私には心配してくれる人がいる、私は幸せなんだ』なんて、とてもじゃないけど、そんな気持ちになんかなれない!」という人もいるかもしれません。でも、ちょっと考えてみて下さい。ご家族の人は心配して「大丈夫?」と聞いてくるのは、まぎれもない事実です。その事実を知っているのに、何故、違う受け止め方、つまり不安になる受け止め方をするのでしょう?受け止め方は自由です。「心配してくれるんだ」と受け取るのも自由、「不安にさせているんだ」と受け取るのも自由だし、それ以外の色々な捉え方が出来るのです。その捉え方は自由であり、自分の考え方次第でいかようにも捉えることができます。自分の考え方次第でいかようにも捉える事が出来るなら、自分のいいように、自分の楽しいように捉えた方が楽しいじゃないですか?どう捉えようが自分の自由ですからね。別に誰に迷惑かける訳でもありませんから(笑)。

 そうなんです。実は「不安になる」で一番重要なことはこれなんです。どんなに不安になるようなことを投げつけられても、そんなものは受け取らなければいいだけなのです。人は「不安にさせられる」のではないのです。自ら「不安になる」のです。「不安になることを自ら選択してしまっている」だけなのです。「何故、人を不安にさせるの」で一番言いたいポイントはこれなんですよ。「不安は自らが選択してしまっている」ということなんです。「人を不安にさせる」ことへの対処法は〝人を不安にさせる人間〟なぞにかまわず〝人を不安にさせる言動〟に翻弄されず、自分自身が「不安を選ばなければいい」だけなのです。「でも、周りの人が云々でなく、不安になってしまうんです」という方は…。

 〝何故、人を不安にさせるの?シリーズ〟の初めに『この時期になると、何気に多くなるのが「不安なんです」とやってくる人たち』と書きましたが…実は「どうしたら不安じゃなくなるんでしょう」といったことを相談に来る人も大勢います。そのたびに私はこう言います。「不安をなくす方法はないよ」と。「そんな冷たい…」と思う方もいらっしゃるかもしれません。イヤ、いかにもといった感じで、御座なり(おざなり)なことを言うことはできますよ。でも嫌いなんですよね、そういうのは。なんか、そこら辺に転がっていて誰でも知っているような、ごもっともで大そうなご意見を、心も込めずに偉そうにしゃべくって、相手を煙に巻くのが嫌なんですよ。そんなもの指導とは呼べませんから。第一、そんなことでなくなる位の不安なんか、相談してくる当人が大して不安に思っていない、いい証拠です。私は不安であることが悪いことだとは思っていません。誰だって不安になるし、それに伴い緊張もします。もちろん不安にも色々あります。解消できる不安もあれば、解消できない不安もあります。特に試験や勝負に赴く不安は、100%解消できるものではないのです。あのシアトルマリナーズで大活躍のイチロー選手だって「いつも、恐怖と不安と重圧を、抱えています。楽しいだけでは、プロの世界にいられない」と言っています。彼は勝負の世界に生きる人です。その数多の勝負の中で、数々の偉業を成し遂げたイチロー選手だって、不安を抱えているのです。だから国家試験という大勝負を目前に控えた皆さんが、不安にならない訳がないのです。不安になって当たり前。誰もが不安で、不安になるのが当たり前なのです。それが当り前である以上、不安をなくすことなぞ、できはしません。それとも、安っぽいセリフを並べて、ごもっともなご意見でも言ってみましょうか(笑)?「不安をなくすことができない」以上、「安っぽいご意見で煙に巻く」という低俗な方法を使うという、これまた低俗な輩も多くいるのです。でも皆さんは、今までにそんな安っぽい、何の役にも立たない、心のこもっていない大そうなご意見を、イヤというほど聞かされてきたのではないですか?それにうんざりしているなら、しっかりと捉えて下さい。誰もが不安なのだと。不安であることが当たり前なのだと。

 不安であることは何にも悪いことではありません。私は良く学生さんにこう言います。「不安になることと、問題が解けないことは別なことです。〝不安だから解けない人〟と〝不安でも解く人〟がいるだけ」と(こういうこと書くと、すぐに前述の〝低俗な輩〟に〝大そうなご意見〟として、乱用されちゃって〝安っぽい意見〟に蹴落とされてしまうんですよね:悲…)。不安になるのは当たり前で、皆がそうである以上、完全解消方法なんかありません。でも考えてみて下さい。誰もが火事は不安ですよね?「火事になったら不安だから消火器を購入した」というのは賢い行動です。しかし、「火事になったらどうしようと不安で何もできない」のは愚かな行動じゃあありませんか?どうせとるなら賢い行動の方が良い。不安に感じたなら…何でもいいから1つ事を行って下さい。目の前にある覚えることを覚える。目の前にある分からないことを調べる。今、目の前にある、やるべきことをやる。これが、不安に対抗する、賢い選択なのです。それで不安はなくなるのか?前述のように、不安を100%解消することはできません。でも前に進むことはできます。不安でもいいから前に進むのです。不安だからと前に進まないことは愚かなことです。だから前に進むのです。不安でもいいから前に進む。これが、この時期の乗り越え方でもあり、不安を抑える一番の方法でもあるのです。「不安を100%無くすこと」はできません。でも「不安を抑えること」はできます。不安だからと前に進まないのではなく、少しでもいいから前に進む。周りから投げかけられた言動を受け止めて不安になるのではなく、その不安になる言動を受け止めずに、前向きに自分のいいように捉える。これが、今の時期の一番いい過ごし方だと思います。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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何故、人を不安にさせるの?その3

 「何故、人を不安にさせるさの?」ということで、先々週から書かせてもらっています。人を不安にさせる人にはこんな人がいますよ、ということをメインに書いてきましたが…第一弾(?)では〝見下し派〔自分が不安を感じないために、人の点数や状況に関して、自分と比較してはネガティブなこと言ってくる〕〟〝(ガセ)ネタ派〔根拠・信憑性のない情報を流すことで、人を不安にさせ自分を安心させようっていう狙い〕〟について書きました。

 第二弾の先週は〝恩着せがましい派〟。このパターンの人は、一見心配しているような態度をとっているけれど、それであなたが不安になっている以上、それは〝あなたのためを思っての行動〟とは言い難い。どちらかと言うと〝自分が優越感に浸り安心したいがために、いかにも相手を心配しているような素振りをする〟といった場合もあるからご用心を!ということを書きました。

 で、今週は〝根拠なき脅かし派〟。結構、このパターンの人も多いんですよね…。なんか知らないけど、大騒ぎしている人…。「今度の国家試験どうなるのかな?どうなるのかな?」なんて大騒ぎしていて、本人はそういうつもりはないのかもしれないけれど、何気に周りの人を脅している状況になってしまっている人。「そんなんいいから、とっとと勉強しろ!」と思わず言ってしまいたくなるんですけどね。別に騒いだところで、どうなる訳でもなし。そんなの騒いでいる時間があるなら、要点の一つでも覚えなさい、とこちらは思わず苦笑いで。まあ、自分一人で騒いでいる分にはいいんですが、周りの人をも巻き込むとなると、ちょっと困ったことに。誰かに矛先を向けて「国家試験大丈夫?本当に大丈夫なの?どうするの?」なんてやられると、矛先を向けられた方がまいってしまいます。何度も言うように、国家試験前の、ただでさえ不安定な時期、そんな矛先を向けられた日には、たまったもんではありません。ましてや〝根拠なき脅かし〟ですからね。理由なんかない訳ですから、矛先を向けられた方も言い返すことができない。たとえ模擬試験で、連続5回位満点を取っていたとしても「本当に大丈夫なの?」なんてやられたら、一たまりもありませんよ。自信満々に「ええ大丈夫です」なんて答えられる人は、そういないと思います。

 実はこの〝根拠なき脅かし派〟…2つのパターンがあるのです。まず一つが「同じように国家試験を受ける人や、国家試験を受けたことのある人が〝根拠なき脅かし派〟となる」というパターン。そういった場合は〝恩着せがましい派〟に非常に近いモノがあるんですけどね。もっと詳しく分析するなら〝恩着せがましい派+見下し派+(ガセ)ネタ派〟といった総合タイプでしょうかね。さらに、このパターンは

 ①やたら人を不安にさせて自分が安心感に浸る場合

 ②不安になっている人を見て面白がっている場合

の2つに分けることが出来るようです。①は同じように国家試験を受ける人が使う場合が多いようです。これなんかは「自分より不安な人間を作ることで、自分を安心させる」という、まさに〝恩着せがましい派〟や〝見下し派〟〝(ガセ)ネタ派〟が使う技(?)と同じですね。「どうする?」と根拠もなく騒いで、相手を不安にさせている訳ですから。

 ②に関しては、以前国家試験を受けたことがある人がやる場合が多いのですが…。不安になっている学生さんから話を聞いてみると、どうもどこかに「私は受かったんだよ!」という優越感が見え見えの場合が多いんですよね。なんか、国家試験勉強で必死になっている人を横目で見ながら、「俺なんかさ…」「私なんてね…」なんて聞いてもいない苦労話を〝どや顔(出ましたね!2010年流行語大賞ノミネート語!)〟でされた日には、国家試験受験者でなくとも辟易してしまいます。しまいには「大丈夫なの?大変だよ」なんて、何の根拠もなく脅してきたりして…。必死になっている人を見て、優越感に浸るなど、あまり人としては上等の部類に入る行いではありませんので、そういう人とはチョット距離を置いた方が良いかと思いますよ。少なくとも、国家試験を受験するまでは…。国家試験第一に考え、不安になるような人とは距離をおくのも、大事なことです。

 実はこの〝根拠なき脅かし派〟…2つのパターンがあると前述したのですが…。まあ、正確にはもう一つあるんですけどねパターンが…。〝近所のオバさん・親戚のオバさんパターン〟とでも言いましょうか、ただ単に騒ぐのが好きな人が騒いでいるパターンなんですけど…。皆さんの周りにもいませんか?やたら問題点を探し出してきては「どうするの?」なんて騒いでいるオバさん。もう、単に話のネタにしたいだけというか、問題点見つけては頼みもしないのに心配なんかしてくれちゃっているオバさん。「大丈夫なの?」なんて心配していて、で、上手く事が運ぶと「たまたま、うまく行っただけで今度は…」なんて、また問題点見つけてきては不安にさせるようなこと言っては騒いで。で、それも上手く片付くと「次は、今までみたくはいかないよ」なんて、また問題点見つけてきては騒いで…。「あんたはエンドレスかい!?」と叫んでしまいそうになります。で、そういうオバさんに限って「じゃあどうすればいいんですか?」なんて聞くと「なんかいい方法考えなきゃダメよ」なんて騒いでいるオバさん自身何にも考えがなかったり、「じゃあ協力して下さい」なんて言うと「無理、無理」なんて何の力にもなってくれない場合がほとんどで…。ただ単に「問題点見つけてきては、勝手に心配して、騒いでいる」だけ…。まあ、こういうパターンは「ハイハイ」と放置するのが一番のパターンなので、今回は〝根拠なき脅かし派〟からは除外させていただきました。まあ、〝脅かし派〟というよりは〝自分で自分を脅かし派〟ですしね(笑)。自分で「どうしよう、どうしよう」と不安になっていたりするんですから。近所のオバさん同士の井戸端会議、ネタが尽きないのはこのせいなんでしょうね。それに対処する考えもなければ、自分たちで何とかする方法もない。というか、しようとも思わない。オバさんがたには「問題点があること」が重要であって、「その問題点を解決すること」はさして重要ではないんですから。〝解決するべき問題点〟ではなく〝ただネタにするだけの問題点〟なんですから。まあ、何気に「さして問題にもなっていない問題点」であったりもするんですが…。でも問題点としてネタにしている方は良いかもしれませんが、その対象となった人はたまりませんよ。次から次へと問題点見つけてきては騒ぐんですから。また、そういうオバさんに限って、アレやコレや詮索してきては、また問題点見つけようとするんですよね。これが、親戚のおばさんで「あなた国家試験大丈夫なの」なんてやられた日にはたまったものではありません。もしかして、すでに犠牲者の方、いるんじゃないですか?それにしても…いつの世にも、オバさんパワーは恐るべしものだ…。

 では〝根拠なき脅かし派〟の2つのパターンの残り1つは?実はこれがなかなか厄介なのです。本人は全くと言っていいほど悪気がないのですから…。ではそのパターンとは?いよいよ来週がラストになります。〝根拠なき脅かし派〟の残り1つのパターンは次回の講釈で!

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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何故、人を不安にさせるの?その1

 この時期になると、何気に多くなるのが「不安なんです」とやってくる人たち。まあ時期も時期ですからね。やはり不安な気持ちに襲われる方は多いわけで。20年近く講師をやっていますが、季節モノというか、この時期には恒例のことです。で、色々と指導したり、励ましたりするのですが…それでも、なかなか不安をぬぐいきれない人が、これまた毎年のようにいるものです。不安の根が深い人。「なにを、この人はこんなに不安がっているのだろう?」と不思議に思いつつも、色々聞いてみると…。これまた毎回同じような理由が返ってくるのですが…まあ、若干の差異はあれ共通しているのが「不安がらせている人がいる」ということ。不安がらせる人…。それは友達であったり、同じ予備校の学生であったり、学校の先輩であったり、時には家族の方であったりするのですが、とにかく当人が不安になるようなことばかり言う。ただでさえ不安定な時期なのに、周りの人からそんなこと言われてしまえば、尋常な人間ならひとたまりもありません。私としては不安がる当人に笑顔で対応しつつも、心の中では「何でそんなこと言うんかいな!」と並々ならぬ憤怒の炎がふつふつと燃え盛っている次第で。その〝不安にさせるネタ〟の内容たるやこれまた千差万別で、「今度の試験は難しい」といった〝(ガセ)ネタ派〟や、「そんな点数で大丈夫なの」といった〝恩着せがましい派〟、「私なんか○○なのに、あなたはこんなんで…」といった〝見下し派〟から、「大丈夫?本当に大丈夫なの?どうする?」といった〝根拠なき脅かし派〟まで色々とある次第で。そんなものに翻弄されて、国家試験前の繊細な心を揺さぶられて不安になっている学生さんを見ると、本当につらいモノがあります。「何でみんな、この人が元気になるようなことを言ってあげられないんだろうな」と憤怒の炎を燃やすとともに、悲しい気持ちにもなったりします。そう、なんで「励ます」んじゃなくて「脅す」んだろうと…。

 私が大学生の頃、学生実習のたびに「今日の実習はものすごい大変」とか「今日の実習は夜の12時を超えるよ」といった情報が、まことしやかに流れていました。毎回、実習前に流れる。でも、実習が終わってみるとそれほど大変でもなければ、そんなに時間も遅くはない。あまりにも毎回事実と違う前情報が流れるもので、ある日、実習前にそんなことを言っている人を捕まえて聞いてみたことがあります。「ねえ、どうして今日の実習はそんなに大変なの(時間がかかるの)?」と。すると皆、似たような返答をするのです。「いや…なんか大変そうな感じだから…」「時間がかかるっていう噂だよ…」、etc…。う~ん、どれも不確か…いや、全く根拠のない情報(こういうのを世間では〝デマ〟というんですが…)のような…。「大変そうな感じ」というのは、あくまでもあなたの主観であって、実際に難しいか大変かどうかは別問題でしょ?「時間がかかるっていう噂」だというから「じゃあ誰がそんなこと言ってるの?」と聞き返せば「イヤ、なんか…」と口ごもる次第。結局、そんな噂流れてないじゃない…っていうか、あなたが流しているんじゃない!…と、問い詰めてみれば、なんともお粗末な結果というか情報源だったのです。で、そこでまた私には疑問が浮かんだのです。「何故、この人たちはそんなこと(信憑性のない情報を流すこと)をするのか?」さらに「何故、人を不安にさせるようなことを言うのか?不安にさせるようなことをするのか?」と。

 このことを、小学生から面倒を見てもらった私の恩師に聞いてみたことがあります。その時、返ってきた答はこうでした。「自分よりも不安になっている人間がいるということで安心するんだよ」と。「?」と思っている私に、さらにこう話してくれました。「自分も不安でしょうがない。でも、自分よりもおびえている人間がいると『自分よりも不安になっている人間がいるんだ』と自分より下の人間がいることで安心してしまうんだよ」と。私が「でも、そんなことしても何にもならないじゃないですか?第一、それで自分の不安が消えるわけではないんだし」と言うと「自分よりもおびえている人間を見れば『自分はあそこまでではない、まだまだ自分よりも下がいる、自分はましなんだ』という位置を取れる。自分より下がいることで、自分は下じゃないからと、優越感を感じることができ、安心できるんだよ」とのこと。当時の私としては分かったような、分からないような、ただ何ともイヤな感じになったことは確かでした。人を不安にすることで、自分を安心させる人間がいる。人を不安にすることで、自分が優越感に浸ることが出来る人間がいる。今、こうしてブログを書いている最中にも、何だか心の中がモヤモヤというか…イヤ、はっきりと気分が悪くなる思いです。

 確かに前述の〝見下し派〟なんかは、優越感に浸るいい例でしょうね。結構いるんですよ、人の点数や状況に関して、自分と比較してはネガティブなこと言ってくる人が。まあ、見方を変えれば「自分にはポジティブな部分ばかりを取り上げている」わけで。私の恩師が言ったように「だから私は大丈夫なんだ」と安心したいんでしょうね。実際、そういうことを言う人に、いろいろ話を聞いてみると「自分が安心したい」という姿勢がチラホラと見え隠れしています。私から言わせれば「じゃあ、あの人と比較して、あなたはココとココなんかは、どうなの」なんていう具合になるのですが…でも、ダメなんですよね。〝見下し派〟の人にこんなこと言っても。「そこの所は試験に関係ない」だの「今度の国家試験では、そういうのは…」なんて逃げられてしまうんですから。まあそうでしょうね。「はい、そうです」なんて認めてしまったら、不安で不安でたまらない訳ですから。不安を感じないために、人と比較しては脅かしているんですから…。まあ困った人ですが…それが私の学生となれば、徹底的に指導させていただきます(笑)。

 〝(ガセ)ネタ派〟に関しては、私の学生実習の時の輩と一緒ですね。単に〝根拠・信憑性のない情報を流す〟ことで、人を不安にさせ自分を安心させようっていう魂胆ですから。人が不安で恐れおののいている姿を見て「自分はあそこまでおびえていない、自分よりもおびえている人間がいる」といった、何とも情けない安心感に浸りたいだけなんでしょう。問い詰めれば「イヤ、ちゃんとした情報ですよ!」なんて強気に出るんでしょうが…チョット突っ込んで聞いてみると「○○が言っていました」なんて、全然〝ちゃんとしていない情報〟だったりするものです。○○には先輩だとか先生だとか、友達だとか予備校だったりとか、まあろいろなモノが入るんですが…実際、蓋も開けていない国家試験の情報など、知っているのは国家試験出題委員の方だけです。そうでない方の御意見は、残念ながら主観を交えた予想程度のものでしかありません(まあ、それはそれで意味はあるんですが…)。いいところ「国家試験出題委員の先生が言っていたそうです」位の情報源なのですが…残念ながら国家試験出題委員の方は、国家試験の情報を漏らすことはありませんので、念のために。「漏らさないんですか?」と言う方。ええ漏らしませんよ。漏らした場合をなんというか知っていますか?〝犯罪〟というのです。実際、看護師国家試験の問題内容を試験委員が漏えいしたとされる事件では保健師助産師看護師法違反罪で、歯科医師国家試験の問題を漏えいした歯科医師国家試験委員は歯科医師法(試験委員の不正行為の禁止)違反で、それぞれ逮捕されていますから。大体「言っていたそうです」ですからね。試験委員の方、本人が言っていたかどうかは、全くもって定かではありません。ましてや、その〝定かでない情報〟でさえも伝言ゲームのように伝わっていく中で脚色され、全く違う情報になっているなんてこともしばしばありますから。少なくとも、この大切な時期に振り回されるほどの情報でないことは確かです。こんな〝怪しげなガセネタ〟で、不安になってしまい、精神力を削り取られて、心身ともに疲労困憊してしまうなんて、それこそ〝不安にさせる人たち〟の思うつぼですよ。そんな人たちの思うつぼだなんて悔しいじゃないですか!振り回されずに、落ち着いて勉強していくことの方が賢明なことですよ。ただでさえ不安になりやすい時期なんですから、余計な怪しい不安はほっといた方が良いですよ(笑)。「じゃあ〝恩着せがましい派〟や〝根拠なき脅かし派〟はどうすれば?」という方!それは次回の講釈で!

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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地下鉄考

 出張が続き、ブログの掲載がすっかり遅れてしまいました。「掲載が遅れた」というと、なんだか「ホームページを担当している人が、ブログを載せるのが遅れた」と聞こえてしまいますので、誤解のないように言っておきますが、正しくは「書いて、提出するのが遅れた」であって、もちろんそれは私の不徳の致すところ。まあ出張と申しましても、そんな大げさなものではなく、ほとんどが都内を動き回るだけのもの(もちろん他県に宿泊のものもありましたが)。で都内の移動なのですが、何気に「あそこから、あそこに行くには、どの電車が…」なんて、つい思い悩んでしまう場面がしばしば。〝地図帳〟というか〝ガイドマップ〟というか、そんなものを片手に試行錯誤なんてことも、良くありました。そんな訳ですから〝地図&ガイドマップ〟は、私の鞄の常備品となっております。

 常備品ではあるガイドマップですが、最近はチョット出番は少なくなりました。皆さんもご存じのように、今やネットを利用して、目的地までの道のりを調べる時代。私も例外なく、パソコンやら携帯やらで目的地までの道のりや時間を調べてから、移動しております。昔なんかは〝ぴあMAP〟で「ここから、ここまでが○分で…ここで乗り換えて、チョット歩いて…で○○に乗って〇分で…」なんて、いちいち予測(?)を立てながら、目的地までの時間やルートを導き出していましたからね。そう考えると、ずいぶん便利になったものです。出発地と目的地、到着時間を入れるだけで〝最短時間〟〝最少乗り換え数〟〝最安値〟等のルートを、それぞれ探し出してくれるんですから。以前では考えもしなかったルートが出されると「オッ、そんな行き方があったのか!」なんて感動することもしばしば。ガイドマップ上では、一見、近くないように思える路線の組み合わせなのですが、実際はそれを利用した方が速かったり、近かったり、楽だったりするのには、驚きの一言。今まで発見していなかった〝良きモノ〟を発見したような、何とも言えないウキウキ機嫌となってしまいます。

 で、改めて思うのです…都内を移動する際、ある場所からある場所に移動する時、思いのほか何種類もの行き方というか、ルートパターンがあるということを…。調べてみると、都内だけで13種類の地下鉄があるそうですからね。そりゃあ、組み合わせ的にも色々なルートパターンが存在することになるでしょう。13種類…。いつもは格段気にもせずに利用していた地下鉄ですが、改めて〝13種類〟と聞かされると、ビックリですよね。我が薬進塾に来る際に利用可能な地下鉄も、何気に3路線ありますから。都内を利用する際に、格段不便を感じることもなく、目的地まで移動できるのは、そういった理由があったからなんでしょう。

 私が実家からこちらに来て、ビックリしたことの一つに、この〝都内の交通網〟がありました。こんな一都市の中に、なんでこんなに多くの移動手段というか、鉄道網があるのだろう(まあ一都市といっても首都ですけどね東京は)。もちろん、JRも含めてそう感じたのですが、やはり地下鉄の多さには驚愕の思いでした。私の地元には地下鉄なんぞはありませんでしたからね。まあ最寄りの都市には、地下鉄はあったんですが…もちろん1種類だけの路線でした(その後、もう2種類ほど増えましたが)。おまけに、通常の地下鉄とは違い、鉄車輪ではなく〝ゴムタイヤ〟の地下鉄でしたね。ちなみに現在もこの地下鉄、ゴムタイヤ方式らしいのですが…

 ①加速・減速性能に優れている。

 ②急勾配における登攀(とうはん:よじ登ること)性に優れている

 ③乗り心地が良く、保線の必要が少ない

 ④騒音が少ない。

などの特性があるとのこと。なるほど…実家に帰る際に、その地下鉄に乗る機会が良くあるのですが、確かに車内は、都内の地下鉄より静かですね。動き出しや止まる時もスムーズというか、あまり揺れ的なものや衝撃を感じません。子供の頃は、そんな地下鉄にしか乗ったことがありませんでしたから、そんな地下鉄がノーマルだと思っていました。まさか、あの地下鉄だけの特性だけなんて思わなかったですね。

 さらに、子供の頃、そんな地下鉄を乗るのに一番驚いたのが〝自動改札〟だったこと。今でこそ当たり前のような自動改札ですが、子供の頃は衝撃というかカルチャーショックでした。乗車券(まあ切符ですね)を入れると、無人の改札機のドア(フラップドアというらしいです)が〝バン〟と開くのですから。さらに衝撃に追い打ちをかけたのが、乗車券を入れなかったり、正規の乗車券を入れないと、やはりとドアが〝バン〟と閉まってしまうこと。子供ながらに「ちゃんと不正が分かるようになっているんだな」と感動したものです。ましてや違反をしようものなら、ドアが違反者を締め出す訳ですから、なんか漫画に出てくるような、未来的モノを感じたりもしました。調べてみると、磁気乗車券を使用した自動改札機を本格的に全面採用したのは、この地下鉄が日本で初めてだそうで。なるほど未来的に感じたはずです。確かに子供の頃「何で地下鉄の切符はこんなに薄くて、裏が黒いんだろう」と思ったことがあります。昔は切符は厚紙で、白かった(というか紙色)でしたから。裏が黒かったのは、今でこそ周知の事実となってしまいましたが〝磁気〟の関係だったんですね。実はこの自動改札機、前述のように〝日本で初めて磁気乗車券を使用した自動改札機〟なんですが…乗車券を〝裏〟にして入れると、ドアが閉まってしまうのです!ですから、友達と話しながらこの自動改札を通ろうとして、乗車券を裏にして入れてしまい、ドアが閉まってしまったことが何度もあります。もちろん都内の方の地下鉄の自動改札では〝裏〟にいれても、しっかりと読みとって認識してくれます(もちろんJRの自動改札もです)。「さすがに今は改良されただろう」と思い、その地下鉄を調べてみたところ…現在使用されている自動改札機も最新型を含め、切符・カード・定期券を裏にして入れることが出来ないそうで、裏にして入れた場合は「表にして入れ直してください」といった類の内容が表示され、扉が閉まるそうで。ん~…せっかく一昔前は〝未来的〟だったんだから、現在の〝裏入れ不可システム〟も〝現在から見て未来的〟にしてくれればいいのに…。まあ、逆に〝レトロチック〟でいいのかもしれませんけど。確かに、いまだにその地下鉄に乗る時は「表にして入れなくちゃ」なんて、ある種緊張感を持ちながら、自動改札を使用しますから。都内で地下鉄に乗る時は、そんなこと考えずにスイスイと通ってしまいますからねぇ、格段何も考えもせずに。ですから〝自動改札を通る時の緊張感〟…これはこれで何となく楽しいものなのかもしれません。地下鉄にも地域性というのがあるのでしょうが、この緊張感を感じると「帰ってきたな」としみじみ思ったりもしますんで、やはりこれはこれでいいものなのかもしれませんね(笑)。

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なぜ漬物に醤油がかかっているんだ?

 以前ブログで「我が薬進塾がある浅草橋は飲食店も何気に多い」といったことを書きました。実際、我が薬進塾の周りにも飲食店は多く、昼食に困ることはありません。おまけに、普通は〝ランチは14:00まで〟という店が多い中、14:30までだったり、休憩なしのいつでもOKという店も多く、チョット昼休みをずらして取る我々のような人間には大助かりです。ましてや味も抜群となると言うことなし。「何食べようかな」というのは人間の大きな楽しみの一つですからね。ましてや選択できる数が多くなればなるほど、その楽しみも大きくなるものです。

 以前、飲食店が多い環境にある職場に勤めていたことがありました。なかなか美味しいお店も多く、やはり「何食べようかな」と楽しみに昼食時を迎える生活を送っていました。で、そこで昼食を食べる時に気になっていたことがあります。浅草橋に来てからは、そのようなお店に当たったことはないのですが…まあ別に地域制というわけではないと思います。その勤めていた職場の周りのランチというか定食には、お約束のように漬物がついてくるのですが…どういうわけか漬物に醤油がかかっている場合が多いのです。かなりの確率で。そうですね…8割がたのお店で〝漬物に醤油〟がかかっていたような気がします。私的には漬物は薄味の方が好きですし、第一〝漬物〟というからには〝漬かっている〟訳ですから、多少なりとも、イヤ少なくとも生野菜よりは味がついているはず。なのに、どうして醤油をかけるのか?それも面白いことに〝ほとんど漬かっていない漬物〟にかけているのではなく〝しっかり漬かっている漬物〟にかかっている場合が多いのです。つまり〝そのまま食べても全く漬物として問題のない漬物〟に醤油がかかっている場合が、これまた多いのです。醤油というものは調味料ですから、元来〝味のないモノ〟に使用するものでは?味付けに使用する、それも塩味をつけるために使用する醤油(もちろん塩味だけではなく様々な旨味も含まれていますが)を、何故、塩味が付いている漬物に使用するのか?前述のように醤油は塩味だけではなく、様々なうまみ成分も含まれていますから、その旨味をつけるために醤油をかけているのか?いや、それもどうもおかしい。旨味だけつけるなら他にも調味料はあるだろうし、第一、醤油をかければ塩味は一層強いモノになってしまうのは避けられませんからね。炊き込みご飯にふりかけをかけるような、いやそれ以上のものだと思います。なぜ漬物に醤油をかけるのか?それも〝しっかりと使っている漬物〟に醤油をかけるのか?依然、私には謎のままです。

 謎とは言ったものの考えられることは2、3あります。まず一つ目は『そこの店の人が、非常にしょっぱいモノが好き、もしくはしょっぱいモノに慣れてしまっているから』。これだと分からなくもないですね。漬かっているけれども、その店の方には薄味に感じられてしまう。そこで醤油をかけてしまう。「そんなに、しょっぱいモノが好きというか、しょっぱさにドン感な人っているんですか?」という方。いますよ、しょっぱいのが好きというか、しょっぱさに慣れてしまっている人。私が知っている〝最強のしょっぱさ好きの人〟は、煮物を作る時、具材を醤油に入れて煮込むんですから!「煮物には醤油を入れるでしょ?」イエイエ!具材を鍋に入れて、そこに一升ビンから直接ドボドボと醤油を入れて(鍋の2/3位)、それで煮込むんです。出汁で割ったり、水で薄めたりは一切ありません。すごいでしょ?確かにこの煮物を食べている方たちは、何を食べても「味が薄い」と言っていましたね。でも、そんな〝しょっぱさに抵抗力(?)のある人〟が料理人として食のお店に勤めているとは、どうも考えにくいですからねぇ…。これが理由とは考えられないと思うんですが…。

 あと考えられるのは『そこのお店の人が「とりあえず自分は漬物に醤油をかけている」から、かけている』というパターン。おそらく、漬物に醤油をかける行為が日常化しているんでしょう。何の違和感もなく、とりあえず醤油をかける。ん~…。一つ気になるのですが…イヤ確かに私の知り合いにも多いのですが…。皆さんは、どういう場合に醤油をかけます?私はどちらかというと、あまり調味料は使わない方です。ですから調味料無しで、ほとんどのモノを食べています。で「チョット醤油をつけた方が美味しいかな」と感じる時に醤油をかけています。もちろん、醤油なんぞはまったく必要のない位、味付けの濃いものもありますんで、そういう場合は醤油どころか、調味料は全く使いません。ところが、何気に多いんですよ。料理を食べる前に醤油をかける人が!そういう人を見ると「どうして、この人は味も分からないうちに醤油をかけるんだろう?」と不思議に思ってしまいます。ましてや料理の中には、前述のように〝醤油なんぞはまったく必要のない位味付けの濃いもの〟もあるわけで。当然、そんなことも確かめずに醤油をかけてしまっているんですから、食べて開口一番「しょっぱい!」。私的には「そりゃあ当たり前だろ!イヤイヤ、その前に何故、この食べ物がどれくらいの味付けか確かめないんだ?」と不思議に思うこともしばしば。結構いるんですよね、味を確かめずに〝とりあえず調味料をかけてしまう〟人。そういう人に限って、何気に多めに醤油をかけていたりして。私としては、やはり謎なんですが…。でも、やはり〝味も確かめずに醤油をかけてしまう人〟が料理人として、食のお店をやっているというのも、どうにも考えにくいですから、これも違うんでしょうかね?もしかすると…先の『〝しょっぱさに抵抗力(?)のある人〟が料理人として食のお店に努めている』も『〝味も確かめずに醤油をかけてしまう人〟が料理人として食のお店に努めている』も、どちらも正解なんてことはないでしょうね?イヤさすがにそれはないと思いますが…。一体、何故、なぜ〝しっかりと漬かっている漬物〟に醤油をかけるのか?さらに、何故、食のお店で、それが出されるのか?やはり、私には謎のままです。誰か知っている方がいましたら、ぜひとも教えてもらいたいものです(笑)。

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2010年は…そして来年は…。

 早いもので、気がつけば12月31日になってしまいました。つまり大晦日。一年最後の日となっていました。今年も残すところ、あと少し。なんとも物悲しいものがありますね…。まあ、毎年毎年、大晦日はこんな感じなんですけどね…。私は、この〝大晦日に漂うもの悲しさ〟が何気に好きでして。ゆっくり静かに、この〝もの悲しさ〟に浸るのが楽しみでもあり、ある種〝極上の贅沢〟ではないかとも思っています。物質的な贅沢とは違い、こちらは〝時間的贅沢〟ですからね。贅沢さも一入だと思いますよ。何物にも変えられないものですからね、時間的贅沢というヤツは。ましてや毎年、味わうことができるとなると、贅沢さもさらに一入。今年もゆっくり、じっくりこの〝極上の贅沢〟を堪能させてもらっている次第で。

 月並みな質問ですが、今年は皆さんにとって、どんな年でしたか?なんといっても、我が薬進塾にとっては開校の年。薬進塾のプロジェクトが本格的に始動したのが4月。そして5月6日に開校。それに伴い各コースが始まり、学生が集まり、カリキュラムが稼働して…で予備校として運営を続けていたら、あっという間に今年も終わりとなっとしまいました。これも月並みな意見ですが、ホントあっという間の一年でしたね。薬進塾開校の年ということもあり、私的にはホント良い年でした。さらに例年に違わず、今年も色々な人との出逢いがあったのですが、今年は特に〝出逢い〟というものを感じさせてくれる年でしたね。ホントに色々な人との出逢いがあり、もちろん今後の自分の人生に影響を与えてくれるであろう人との出逢いがたくさんありました。と同時に「色々な人と出逢い、その人たちに助けられて、自分は生きているんだな」と強く感じる一年でした。もちろん、このブログを読んでくれているアナタとも、こうして、例えブログ上とはいえ、出逢っている訳ですし、そんなアナタがいるからこそ、私はブログを書き続けていくことができるのですから、このブログを読んでいるアナタにも、私は十分助けられているんですよ。

 来年はウサギ年。大国様で知られている大国主神の眷属神でもあります。因幡の白兎の話にありますように、皮を剥がされたウサギの治療をしてあげたのが大国主神。それからというもの、ウサギは大国主神に眷属神として仕えるようになったとのことです。「治療をすることで感謝をされる」。医療従事者にとっては、何ものにも代え難い喜びであることは、間違いないと思います。そんは医療従事者の存在意義とでも言える話の登場者が、来年の干支、つまり来年の主役ですから、来年は医療従事者を目指すアナタにとって、医療従事者であるアナタにとって、そして医療に携わる全ての人にとって良い年であることは間違いありませんよ〓そして薬剤師という医療従事者を目指す人の学校である、我が薬進塾にとっても、良い年であることは間違いないと思っていますよ(笑)。

 何はともあれ、今年は色々と有り難うございました。来年もよろしくお願いいたします。

 では、良いお年を〓

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どうなんだい3Dメガネは・・・・・?

 以前、ブログで〝2010年流行語大賞〟について書きました。その時は、まだノミネートの段階で、ノミネートされた流行語について、色々と思いを書かせてもらいました。結果は皆さんもご存じのとおり〝ゲゲゲの〜〟に決定。その時のブログにも書いたのですが、ノミネートされた言葉は、何気に知らない言葉が多いような感があったのですが…〝ゲゲゲの〜〟が流行語なら一安心。私もしっかり知っていましたし、なるほど巷でも良く耳にした言葉、目にした言葉でした。〝ゲゲゲの女房〟だけではなく〝ゲゲゲの娘〟の本も登場したのには、思わず笑ってしまいましたが…。ちなみにこの本「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」という本で、執筆なさっているのは水木しげる先生の娘さん(ゲゲゲの娘)、赤塚不二夫先生の娘さん(レレレの娘)、手塚治虫先生の娘さん(らららの娘)の3人。それぞれ日本漫画界を代表する漫画家の娘さんたちが、各先生方の人間像を語ってくれている本だそうです。

 で、そんな流行語の中に、何気にひっそりと隠れてあった言葉が〝3D〟。以前から3Dという言葉はありましたし、それなりに〝3次元(3dimension)〟で立体的に楽しませてくれた映像や絵は多くあったのですが…。そんな3Dという言葉がいきなり注目され、流行語となるきっかけだったのが、ご存じ、映画〝アバター〟。この映画がきっかけで、流行語となったのは間違いないでしょう。公開は2009年12月23日だったのですが、年をまたいでの映画人気と映画を観た人たちの口コミによる広がりで、3Dブレイクが2010年となったのでしょう。私も〝アバター〟は観たのですが、確かにあの3Dは話題になるでしょうね。今までの3Dとは一線を画した出来でしたから。私が今まで見た3Dと呼ばれるモノは、どっちかって言うと「まあ、飛び出しているように見えるわな」という感じでした。良くても「おお、飛び出してる、飛び出してる」といった程度。ところが〝アバター〟の3Dはというと…。映画を観た方は分かると思いますが、「飛び出して見える」というレベルではなく「そこに存在している」というレベルなんですよね。〝見える〟じゃなくて〝ある〟なんです。さらに飛び出すだけの従来の3Dと違い〝奥行き〟がある。今までの3Dは〝出っ張っているだけ〟なんですが、〝アバター〟の3Dは〝出っ張っているし、引っこんでもいる〟んですよ。空間認識が非常に広くなるから、遠近感が実にはっきりと感じられるようになる。そりゃあ〝存在している〟となる訳です。

 〝アバター〟が火をつけた3Dですが、やはりその効果は従来の3Dとは一線を画したものですから、当然流行語として巷で話題になることはもちろんのこと、公開される映画が何気に3Dのモノが多かったりして、3D自身もチョットしたブームに。少なくとも以前に比べれば3D映画は非常に多くなってきていますね。量産されている感がある3D映画ですが…まあ、3Dのデキに対しての評価(これに関してはアバターの監督であるジェームズ・キャメロン氏が苦言を呈していますが…)はともかく、増えてきていることは確かです。

 そして、最近は映画だけではなくテレビも3Dのものが。2010年は「3D元年」と言われたらしく、メーカーはこぞって3Dテレビ開発に乗り出したそうです。私も家電量販店でその性能を見せて頂いたことはあるのですが…まあ確かにシネマスクリーンで観るほどの迫力はありませんでしたが、それなりに3Dでした(笑)。ただ…どうしても気になるのが、「3Dにはお約束の専用メガネをかけること」。どうやら、専用の眼鏡をかけずに3Dを楽しめるテレビも発売されたそうですが…。どうも〝メガメをかける方の3Dテレビ〟は、売れ行きが伸び悩んでいるとか。理由は製品が高額なこと、3Dを楽しめるテレビ番組が少ないこと。そして、視聴の際に専用メガネが必要なこと。これらがどうやら足を引っ張っているそうです。なるほど、確かにあのメガネはチョットわずらわしいですからね。でも、かけないと見られない訳ですから…。かけないと見られない…だからかける…。

 〝アバター〟を観にいった時、チケット売り場のお姉さんに「2D(いわゆる普通の映画)と3D、どちらになさいますか?」と聞かれ「何を言ってるんだコイツは?〝アバター〟だぞ?3Dに決まっているだろ!」と思いつつも「3Dの方で」と答えると…「3Dの方は3Dメガネの料金400円かかりますけども」と笑顔で返答が!「?」と思いつつも…『ああっ、確かジョーズ3(立体映画:まあ昔の3Dかな)を観た時に〝立体メガネ(これをかけることにより立体的映像になる:もはや死語だな)〟をもらったっけ』と思いだし、何気に納得しかけたのだが…んっ?何?「料金400円」だと?何じゃあ、そりゃあ!映画を観るのに、入場料以外の金がかかるのか?おかしくないか?ジョーズ3の時は、タダでくれたぞ?確かに紙製の眼鏡ではあったけれども、タダでくれたゾ?400円払えだ?まあ見本とやらを見ると、確かにジョーズの時とは打って変わったプラスチック製のしっかりとしたメガネだ。おそらく、日差しの強い時なぞ、こいつをかけて外を歩いていても何の不思議もないだろう。フレームも強固で、なかなかしっかりとした作りだ。400円もうなづけなくはない。安いサングラスだってこれくらいの値段はするだろう。ましてやコイツがないと3Dが観られないとなると、これまた至極、致し方ない出費だ。映画を観た良い記念にもなるだろうし…と、入場料+400円を払うことに。お金を払いながらも「コレもらえるんですよね」と聞くと、やはり笑顔でお姉さん「イエ、映画を観終わった後、返却してもらいます」とのこと。思わず「エッ!返すんですか?400円払うんですよね?」との私の問に、これまた笑顔で「ハイ。メガネはレンタルで、400円はレンタル料金になります」。レンタル…無きゃあ見られないモノがレンタル、それも有料…。しかも400円はなかなか高額ではないか?ガリガリ君が6本も買えて、さらにおつりも来るぞ…。いやガリガリ君との価格対比が問題なのではない(どこかで聞いたようなセリフだ)!無きゃあ見られないモノがレンタル、それも400円となかなか高額なことが問題なのだ?でも、果たして問題なのだろうか?3Dメガネのレンタル料に関して、私の耳に入ってきた話題は今のところ皆無である。ということは3Dメガネのレンタル料に関して、皆、納得しているということなのだろうか…?

 3D映像にも何種類かあるのをご存知ですか?色々な方法で3D化することは出来るそうです。私が先ほど書いた「今までの3D」は、別に古いというわけではなく、何種類かある3D技法の一つを使って作成された3Dのようです。「今までの3Dとは一線を画した」と書いた〝アバター〟の3Dは〝リアル・ステレオ3D〟と呼ばれるものだそうで、もちろん数種類ある3Dの中で一番高級なもの。その〝リアル・ステレオ3D〟をキャメロン監督はFUSIONカメラ(FUSIONは、世界一番高いカメラ機材だそうです)を使って撮影されたとのこと。なるほど…3Dに、それほどコストがかかっているわけですから、それを見るために「3Dを見るために別な料金(今回は3Dメガネレンタル料金)」を払わなければならないことも、当然といえば当然のことかもしれません。まあ、面白ければいいんですけどね。先ほど「ということは3Dメガネのレンタル料に関して、皆、納得しているのだろうか?」と書きましたが、映画が面白かったので、文句はなかったんでしょう。「払っても、払った分だけのモノがあれば、別に文句はない」というのは、古今東西の商売の鉄則ですから…でも…もうチョット安くならないものですかね、3Dメガネレンタル料金は(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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予想はしていたんだけど…やはり、来たなクリスマス商戦in浅草橋

 以前、このブログでよく書いていたのですが、我が薬進塾がある浅草橋は〝駄玩具(駄菓子屋・縁日屋台での販売がメインになる玩具)の一大問屋街〟です。さらに、薬進塾に来るための主要道路・江戸通りは、そんな問屋さんがひしめき合っている通り。で、そんな問屋さんと肩を並べて多いのが〝モール(針金や紐に毛やナイロンを特殊加工した飾り)や季節の店舗用装飾品の問屋さん〟。多いんですよねぇ。提灯やら、旗やらが所せまして店先に並んでいたりして…まあ、店頭販売というか、そういった装飾関係は〝百聞は一見に如かず〟の商品ですから、店頭にも沢山並ぶわけで。

 で、季節的行事の日が近くなると、通りの華やかさも一入となります。以前、このブログで季節ネタとしてハロウィンのことを、こう書きました。「もう今やどこの問屋さんも、ハロウィンハロウィンですっかりハロウィンに占領されてしまったようで、問屋さんはハロウィンカラー(黒とオレンジ色)一色(?:黒とオレンジ色だから2色か?)に染め上げられてしまっています」。本当にハロウィンの時は、賑やかでしたよ!もうオレンジ・黒の二色なのはもちろんのこと、店の軒先に蝙蝠は舞うわ、壁にはデカイ蜘蛛がひっついてるわ、デカイ蜘蛛の巣は張っているわ(もちろん全てオブジェです)!ジャックランターン(ジャック・オ・ランターン:ハロウィンレギュラーの例の〝カボチャ頭の人気モノ〟)なんか「この通りには何人(人か?)いるんだ?」なんて位、量も種類もひしめき合っていましたから。歩きながら、彼らを目にするたびに「今、浅草橋で選挙やったら、結構こいつらの票ってデカイんじゃねえか?」なんてくだらないことを、しげしげと考えてしまうほどに〝大勢〟いましたからね。もちろん、もう一人のハロウィンレギュラーである〝白い布をかぶったオバケ〟達も、ジャックランターンに負けじと、大勢浅草橋には押し掛けていました(笑)。

 で、季節は〝ハロウィンの季節〟から、いまや〝クリスマスの季節〟。イヤハヤ、こちらは、日本ではハロウィンを大きく凌駕するイベントですから、店舗用装飾品の種類も量も半端なものではありません。もちろん、どの問屋さんも〝年末最後のイベント〟とあって〝クリスマス装飾用品〟のディスプレイの力の入れようにも目を見張るものがあります。ましてやクリスマスとなると、店舗だけではなく一般家庭でも装飾を施されたり、ディスプレイに凝ってみたりというのがありますからね。購買ターゲットも増えるとなれば、力が入るのも当然といえば当然でしょう。さらに最近は、電飾を施したモノの人気が高いみたいで、もちろん店舗用から個人で楽しむものまで、大小各種様々なものが目白押し。そんなものが店頭販売よろしく店先に置かれたひには、その煌びやかさの激しいことと言ったら!そんな煌びやかな世界に、所狭しとこれまた賑やかなクリスマスグッズが。思わず「ここがパーティー会場なのではないか?」と思ってしまう有様。なかには店の中にドーンとクリスマスツリーがあったりなんかして…。「おおっ!クリスマス用のディスプレイかい!」なんて思っていたら、しっかり売りもモノだったりして…。もう、こうなれば商品だか、ディスプレイだか、とにかく何でもありなんだなと思ってしまう次第で。まあ、目出度いことだからいいんですけどね。

 で、私が良く利用する問屋さんは、そんなイベント用品も売っていたり、もちろんその他にも色々な雑貨が売っていたりするお店(問屋さんストアーみたいな感じですかね)なんですが…。最近、やたらと混んでいる…。「そりゃあ、時期も時期でクリスマス用品を買いに来たんでしょ?ここ何日かは混むに決まっているじゃない?」といったご意見があるのはごもっとも。でも、込んでいるのがイベント用品売り場のフロアなら、それも納得。でも、そうじゃない売り場もやたらと混んでいる。例えば、文具売り場のフロアで文具を買おうにも混んでいる。もちろんレジも混んでいて、レジ待ちの列に並ぶことに。で、順番待ちをしながらも「何でこんなに込んでいるのかなあ」などと考えていると…。並んでいる方の買ったモノが自然と目に入る。で、何気に目をやると…クリスマス模様の便せん・封筒セット。もしやと思いきや、他の人が手にしているモノにも目をやると…クリスマス仕立ての文具セット(プレゼント用か?)だったり、クリスマス用のシールだったりする。やはりクリスマスが近づくに従い、そういった商品は売れるようになっているのだろう。イヤ、そもそも普段からそんな商品は存在しているのか?お盆のときに〝緑・白・赤〟のクリスマスカラー一色(3色というべきなのか?)の商品なんか、見かけたことはなかったぞ?となると…「文具にもクリスマス商戦か…」と思いつつ、事務用封筒を買うために違うフロアに移動すると…やはりまた混んでいる。「今度は何だ?」とフロアにいる人たちの手にしたモノを見ると…クリスマス模様の包み紙だったり、大きな袋だったりする。POP専用のフロアに行けば、もちろんクリスマス用のPOPが山のように。「さっきの文具フロアにもクリスマス用POPはなかったか?」と思うも、そんなのは愚問であろう。需要さえあればいくらでも売っていいのだ。もちろんラッピング関係の売り場など、まさに〝緑・白・赤〟のクリスマスカラー一色であることは言うまでもない。食材売り場だって同じだ。クリスマス恒例の〝クリスマスブーツ(中に菓子が入っている例のヤツ)〟〝クリスマスツリー(こちらも中に菓子が入っている例のヤツ)〟がここぞとばかりに、並んでいる。ラッピング用品売場なぞは、言わずもがな…。ん~やはりクリスマスは一大商戦。分かってはいたものの、こうして目の当たりにすると、改めて「そうなんだな」と実感する次第で。まあ、何をクリスマス仕立てにしようが、特に問題はないだろうし、前述のように目出度いことなんだから、この不景気のさなか派手にジャンジャンやってくれた方が世の中明るくなっていいのかも。

 そんなクリスマス商戦のにぎわいを感じると、年末の足音がきこえてくるんですよね。さきほどクリスマスを〝年末最後のイベント〟と書きましたが、我々日本人にとっては(日本人だけではないか?)、本当の年末最後のイベントは大晦日でしょう。大晦日商戦もあることはありますが、当然、大晦日グッズとして売られているモノは、クリスマスのときほど派手なものではありませんし、量もそんなに多くはありません。まあ、大晦日用の店舗装飾品って…あまり、ありませんからね。店舗も一般家庭も、大晦日ということで特に飾り付けるものはないですからね。なんといっても次の日は、日本最大のイベントといっても決して過言ではない〝元旦〟が待ち構えていますから、そちらの方に最大級に装飾品を持っていっているのでしょう。どちらかといえば、大晦日はその準備に費やされる場合が多いようで。「その年のすべてを清算して、次の年に臨む」といった、日本人の心意気の表れなんでしょう。大晦日は〝飾り付け〟はあまりありませんが、〝様々な年越しの行事〟が多いのが特徴。日本各地で様々な年越し行事があるみたいですから。これなんかも「その年のすべてを清算して、新たな気持ちで次の年に臨む」ための行為なんでしょう。今年も残すところ、半月ほどとなりましたが、「その年のすべてを清算して、次の年に臨む」意気込みでがんばらねばと思っている次第です。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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本は好きなんですが・・・

 私は本が好きです。両親が忙しかったせいか、幼いころの私には、良く本を与えていたそうです。そんな育ち方をしたせいか、小さいころから〝本〟や〝活字〟には何の抵抗感もなく、接することが出来ました。で、その結果として、今の本好きの自分があるのですが…。好きなのは良いんですが、本といっても当然タダではなく、それどころか、中々いい値段のものもあったりして、結構、月の本代もばかにはならないのです。これといって数えたことはないんですが、最低でも一月に10冊くらいの本は買っているみたいですね。「そんなに本を買ったら、家中、本だらけになるだろ?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、おっしゃる通りで、家中本だらけです(笑)。大きな本棚が3つ。棚には前後2列に並べています。それでも間に合わないので、あっちこっちに積んだり置いたり。講義に関係ある本は学校の方に持ってきて、とりあえず家での本スペースを確保するに至っている感じです。

 あと悲しいかな、私はモノがあまり捨てられない人間のようで。さらに本ときたらまず捨てられない。そりゃあ、雑誌やなんかは結構捨てられますよ。でも、雑誌類じゃない〝本〟は捨てられませんね。というか、私の中では〝本=捨てるものではない〟という定義が出来上がっているのです。実際、本を捨てたことは…覚えていませんね。まず無いからです。裏を返せば、私の所では〝本はたまっていく一方〟ということになります。「そんなにたまって…どうせ使うことなんかないんだろ?」と思うかもしれませんが…実は使うことは多々あるのです。何気に思案していたり、アイデアを探している時、フト手にした本を見てみると…実はそこに何らかのヒントが載っていたり、時にはドンぴしゃりで探し物が見つかったりすることが良くあります。そんな時なんかは「この本、買ってよかった…」なんてしみじみ思ったりもします。講師なんていう仕事をしていると、教える範囲が増えたり、新しい範囲を教えることになったり…なんていうことが良くあります。こんな時も、大学の講義で使っていた本が大そう役に立ったりします。学生の頃は気付かなかったのに、改めて読んでみると実にいい本だったりして。そんな時も、やはり「良い本を手にしたなぁ」なんて思ってしまいます。

 結構、衝動買いもしてしまうんですよね、本は。本の衝動買いって人はあまりいないような気がするんですが…。私は衝動買いしてしまいますね。本屋さんでチョット面白そうな本や、気に入った本を見つけると「おっ良いなこの本」なんて具合にレジへと駆け込んでしまいます。時には平気で2、3冊抱えてレジへ向かったりもします。専門書なんかは結構いい値段がするんですが…自分が関係する科目のチョットいい本なんかを見つけると、笑顔でレジに駆け込んでしまう有様ですから、財布の中身の減りも早いのなんの(笑)。まあ〝財布の中身の減り〟を遅くするには、本屋さんに行かないのが最善の策なんでしょうが、私の趣味は〝本屋さんめぐり〟。時間があったり、とりあえずやることがない時は「本屋さんに行くか…」となってしまうのです。そうですね、少ない時でも3日に一度はいっていますね。で、買ってしまう。これでは財布の中身も乏しくなるのは当然です(笑)。

 そんな本好きですから、電車の中でも読むんですが…。皆さんは、電車の中ではどのようにして本を読んでいますか?私は基本的には、座っている時以外は本を読まないようにしています。立っている時に読むこともありますが、比較的車内がすいている時、周りのスペースに余裕がある時にだけ読むようにしています。で、結構目に付くのが〝満員電車で立ちながら、あたり構わず本を読んでいる人〟。気のせいか、ご年配の男性が多いような気がするんですが…。やはり立ちながら本を読むと、どうしても肘が身体からはみ出してしまう格好になってしまう。つまり、隣の人に肘がぶつかってしまったり、隣の人のスペースにまで、腕が入り込んでしまう形になってしまいます。私は立ちながら本を読むときは、あえて肘を体の内側に持って来るようにして、自分の体の範囲に腕と本が収まるような体勢にします。こうすると、周りの人にも迷惑をかけることがないからです。しかし、周りの迷惑顧みず、思い切り肘を横に突き出したり、腕を隣の人のスペースまで延ばしたり、ゆうゆうと本を読んでいる方が結構います。以前、こんなことがありました。込んでいる電車で空いている吊革につかまろうとした時、その隣の吊革につかまりながら本を読んでいるおじさん(推定50代後半のスーツにネクタイ、眼鏡のサラリーマン風オヤジ)がいたのです。で、空いている吊革ですし、もちろんそこには〝吊革につかまって、人一人が立てるスペース〟が存在していたので、そのスペースに立ち吊革につかまったのですが…。思い切り舌打ちをしたかと思いきや、私を睨みつけブツブツと小声で文句を言うオヤジ。「?」となる私。どうやら、そのオヤジは吊革につかまりながら本を読んでいたようなのですが、その本が私の掴まっている吊革の下に来るようにして呼んでいたのです。思い切り本を体から離して、まあ、2人分のスペースを取りながら本を読んでいたというわけです。私がそのスペースに入って行って吊革につかまったもんだから、本が見えなくなってしまった。で、先ほどの〝威嚇行動〟となったみたいです。う~ん…空いている電車ならまだしも、帰宅ラッシュ時間の満員電車の中で、その行動、すなわち〝二人分のスペースを取りながら、立って本を読む〟という行動はいかがなものなのでしょうか?ましてや、私にとった行動となると…「満員電車であろうが、どうであろうが関係ない。俺が本を読みたいから本を読む。混んでいようが周りがどうであろうが、俺が読みやすいように本を読むんだ。邪魔するんじゃない」というのが根本にある行動だと思います。ここで私は、何とも言えない悲しい気持ちになりました。いい年をしたオヤジが、ましてや孫もいそうな年齢で、着ているものからは、どこぞの会社のお偉い方である雰囲気を醸し出しているのに、こんな無常識というか、非道徳的振る舞いを平然と行うなんて、どうなっているんだろうと…。会社で部下になんて言って指導しているんだろう?家では子供や孫にどういう教育をしているんだろうと、つくづく考えてしまいました。と同時に、何とも悲しい気持ちになってしまったのです。

 まあ、このオヤジとまでとはいかなくとも、似たり寄ったりの方は車内で良く見かけますね。前述のオヤジも含め「ああはなりたくないよなぁ」といった思いがあるから、私は混んでいる車内では立ちながら本を読まないようにしています。でも、これ位ならまだいい方なのかもしれませんね。最近は、車内で立って本を読んでいて、目的地に着きドアが開くと同時に、本を読みながら電車を降りていく方がいらっしゃいますから。もちろん降りてホームを歩きながらも、その目は本にくぎ付けで。そういえば街中でも、本を読みながら歩いている人をよく見かけるようになりました。ここまで来ると、無常識とか、非道徳的振る舞いとか、そういうレベルの問題ではないような気がします。もしかすると昨今は、先ほどのオヤジのような人間の方がよっぽど常識ある人間の方に分類されるのかもしれませんね。

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本は好きなんですが・・・

 私は本が好きです。両親が忙しかったせいか、幼いころの私には、良く本を与えていたそうです。そんな育ち方をしたせいか、小さいころから〝本〟や〝活字〟には何の抵抗感もなく、接することが出来ました。で、その結果として、今の本好きの自分があるのですが…。好きなのは良いんですが、本といっても当然タダではなく、それどころか、中々いい値段のものもあったりして、結構、月の本代もばかにはならないのです。これといって数えたことはないんですが、最低でも一月に10冊くらいの本は買っているみたいですね。「そんなに本を買ったら、家中、本だらけになるだろ?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、おっしゃる通りで、家中本だらけです(笑)。大きな本棚が3つ。棚には前後2列に並べています。それでも間に合わないので、あっちこっちに積んだり置いたり。講義に関係ある本は学校の方に持ってきて、とりあえず家での本スペースを確保するに至っている感じです。

 あと悲しいかな、私はモノがあまり捨てられない人間のようで。さらに本ときたらまず捨てられない。そりゃあ、雑誌やなんかは結構捨てられますよ。でも、雑誌類じゃない〝本〟は捨てられませんね。というか、私の中では〝本=捨てるものではない〟という定義が出来上がっているのです。実際、本を捨てたことは…覚えていませんね。まず無いからです。裏を返せば、私の所では〝本はたまっていく一方〟ということになります。「そんなにたまって…どうせ使うことなんかないんだろ?」と思うかもしれませんが…実は使うことは多々あるのです。何気に思案していたり、アイデアを探している時、フト手にした本を見てみると…実はそこに何らかのヒントが載っていたり、時にはドンぴしゃりで探し物が見つかったりすることが良くあります。そんな時なんかは「この本、買ってよかった…」なんてしみじみ思ったりもします。講師なんていう仕事をしていると、教える範囲が増えたり、新しい範囲を教えることになったり…なんていうことが良くあります。こんな時も、大学の講義で使っていた本が大そう役に立ったりします。学生の頃は気付かなかったのに、改めて読んでみると実にいい本だったりして。そんな時も、やはり「良い本を手にしたなぁ」なんて思ってしまいます。

 結構、衝動買いもしてしまうんですよね、本は。本の衝動買いって人はあまりいないような気がするんですが…。私は衝動買いしてしまいますね。本屋さんでチョット面白そうな本や、気に入った本を見つけると「おっ良いなこの本」なんて具合にレジへと駆け込んでしまいます。時には平気で2、3冊抱えてレジへ向かったりもします。専門書なんかは結構いい値段がするんですが…自分が関係する科目のチョットいい本なんかを見つけると、笑顔でレジに駆け込んでしまう有様ですから、財布の中身の減りも早いのなんの(笑)。まあ〝財布の中身の減り〟を遅くするには、本屋さんに行かないのが最善の策なんでしょうが、私の趣味は〝本屋さんめぐり〟。時間があったり、とりあえずやることがない時は「本屋さんに行くか…」となってしまうのです。そうですね、少ない時でも3日に一度はいっていますね。で、買ってしまう。これでは財布の中身も乏しくなるのは当然です(笑)。

 そんな本好きですから、電車の中でも読むんですが…。皆さんは、電車の中ではどのようにして本を読んでいますか?私は基本的には、座っている時以外は本を読まないようにしています。立っている時に読むこともありますが、比較的車内がすいている時、周りのスペースに余裕がある時にだけ読むようにしています。で、結構目に付くのが〝満員電車で立ちながら、あたり構わず本を読んでいる人〟。気のせいか、ご年配の男性が多いような気がするんですが…。やはり立ちながら本を読むと、どうしても肘が身体からはみ出してしまう格好になってしまう。つまり、隣の人に肘がぶつかってしまったり、隣の人のスペースにまで、腕が入り込んでしまう形になってしまいます。私は立ちながら本を読むときは、あえて肘を体の内側に持って来るようにして、自分の体の範囲に腕と本が収まるような体勢にします。こうすると、周りの人にも迷惑をかけることがないからです。しかし、周りの迷惑顧みず、思い切り肘を横に突き出したり、腕を隣の人のスペースまで延ばしたり、ゆうゆうと本を読んでいる方が結構います。以前、こんなことがありました。込んでいる電車で空いている吊革につかまろうとした時、その隣の吊革につかまりながら本を読んでいるおじさん(推定50代後半のスーツにネクタイ、眼鏡のサラリーマン風オヤジ)がいたのです。で、空いている吊革ですし、もちろんそこには〝吊革につかまって、人一人が立てるスペース〟が存在していたので、そのスペースに立ち吊革につかまったのですが…。思い切り舌打ちをしたかと思いきや、私を睨みつけブツブツと小声で文句を言うオヤジ。「?」となる私。どうやら、そのオヤジは吊革につかまりながら本を読んでいたようなのですが、その本が私の掴まっている吊革の下に来るようにして呼んでいたのです。思い切り本を体から離して、まあ、2人分のスペースを取りながら本を読んでいたというわけです。私がそのスペースに入って行って吊革につかまったもんだから、本が見えなくなってしまった。で、先ほどの〝威嚇行動〟となったみたいです。う~ん…空いている電車ならまだしも、帰宅ラッシュ時間の満員電車の中で、その行動、すなわち〝二人分のスペースを取りながら、立って本を読む〟という行動はいかがなものなのでしょうか?ましてや、私にとった行動となると…「満員電車であろうが、どうであろうが関係ない。俺が本を読みたいから本を読む。混んでいようが周りがどうであろうが、俺が読みやすいように本を読むんだ。邪魔するんじゃない」というのが根本にある行動だと思います。ここで私は、何とも言えない悲しい気持ちになりました。いい年をしたオヤジが、ましてや孫もいそうな年齢で、着ているものからは、どこぞの会社のお偉い方である雰囲気を醸し出しているのに、こんな無常識というか、非道徳的振る舞いを平然と行うなんて、どうなっているんだろうと…。会社で部下になんて言って指導しているんだろう?家では子供や孫にどういう教育をしているんだろうと、つくづく考えてしまいました。と同時に、何とも悲しい気持ちになってしまったのです。

 まあ、このオヤジとまでとはいかなくとも、似たり寄ったりの方は車内で良く見かけますね。前述のオヤジも含め「ああはなりたくないよなぁ」といった思いがあるから、私は混んでいる車内では立ちながら本を読まないようにしています。でも、これ位ならまだいい方なのかもしれませんね。最近は、車内で立って本を読んでいて、目的地に着きドアが開くと同時に、本を読みながら電車を降りていく方がいらっしゃいますから。もちろん降りてホームを歩きながらも、その目は本にくぎ付けで。そういえば街中でも、本を読みながら歩いている人をよく見かけるようになりました。ここまで来ると、無常識とか、非道徳的振る舞いとか、そういうレベルの問題ではないような気がします。もしかすると昨今は、先ほどのオヤジのような人間の方がよっぽど常識ある人間の方に分類されるのかもしれませんね。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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おにぎり考

皆さんは朝ご飯は食べていますか?一昔前は「時間がないから朝食抜きで…」なんて話をよく耳にしていました。〝忙しいから朝食抜きは仕方がない事〟といった風潮になりつつあった日本。ところが、そんな日本全土を巻き込むこととなったのが〝健康ブーム〟。「○○は身体に良い」「△△で××が治った」「□□で心身ともに健康」などなど、「よくぞこんなに見つけてきたな!」という位の〝健康食材〟と「本当か?」と目を疑うばかりの〝健康器具・健康法〟が目白押しに登場。もちろんそれらを扱ったマスコミは大ウケ。健康を取り扱った番組は高視聴率をあげ、健康を記載した雑誌も大売れ。まさに一億総健康ブームを物語っているような〝健康バブル〟期が到来しました。「健康のためなら死んでもいい」なんていう輩が出る位、熱い熱いブームでした…ではなく「熱い熱いブームなのです」が正しいようですね。なんていってもまだ続いているのですから、この健康ブームは…。で、そんな健康ブームの背景か、よく言われるているのが「朝食を抜くと良くない」ということ。まあ、私が子供の頃は親からもよく言われていましたし、もちろん学校からも言われていたものです。そんな環境で育ったせいでしょうか、一人暮らしを始めてからも、必ず朝食は取っていました。現在〝朝食を抜くと良くない説〟には賛否両論あるらしく、その真偽のほどは定かではありませんが、私的には朝食を取らないとダメみたいですね。単にお腹がすくだけなんですけど(笑)、やはり「腹が減っては戦は出来ぬ」で、落ち着かないんですよね空腹だと。ちなみに、同僚講師も毎日で朝食を取っているようです。

で、その朝食なんですが…私はよくおにぎりを食べます。もちろんコンビニで売っている奴なですが…。私が子供の頃は、恥ずかしながらコンビニなどというものは存在しておりませんでした。でもスーパーなんかのお弁当売り場では、プラスチックの容器に2~3個位おにぎりが入っている弁当はよく目にしたものです。バラ売りではなく、あくまでもパック売り。それが私の子供の頃の〝売られているおにぎり〟でした。その後、チラホラと現在売られているような〝一個売りおにぎり〟を見かけることはありましたが、まだまだメジャーな食べ物ではなかったような気がします。「なんで、おにぎりをわざわざ買うんだろう?ウチにあるご飯で作ればいいのに…」と感じたのを覚えていますし、私の周りの人もどうやらそんな思いだったようです。さらに1個120円位の値段だったのですが、子供ながらに「高いなぁ」と感じました。「ウチにあるご飯に海苔を巻いて作ればタダなのに」と思ったことも覚えております(まあ正確にはタダじゃないんですけどね)。で、時は経ち、コンビニというものが日本に広まり始めたころ、そのコンビニを象徴するような食べ物として登場したのが〝一個売りおにぎり〟。コンビニともども日本を征服していき、今やおにぎりと言ったら「コンビニで買う一個売りおにぎりがメジャー」となる位にまで大出世しましたからね。

私が初めて、コンビニでおにぎりを見た時なんか、その種類は10種類あるかないか。そんな少ない種類でも日本を征服してしまう位の勢力をもった〝コンビニおにぎり〟。やはり「海苔がパリッとしていること」も、その勢力要因の一つではないでしょうか?以前から売られていた、スーパーのパックおにぎりなんかは、当然、海苔が巻いて売っていましたから、海苔はしなっとなっていました。ところが、コンビニのおにぎりは、ご存じのように食べる時に包装をはずして初めて海苔と御飯が密着。パリッとした海苔で食べることが出来ます。さらに、その大きな勢力要因として外せないないのが…。前述のように以前は10種類あるかないかだった〝具材〟。今やその具材の種類は何十種類だそうで、「エッ!こんなものがおにぎりに入っているの?」なんてビックリしてしまうような具材も多々あります。もちろん、どれもが食欲をそそる美味しそうなものばかり!私がコンビニのおにぎりを知った時に、一番驚いたのが具材がシーチキン(ツナ)のおにぎり。それまでは、私が知っていたおにぎりの具といえば〝かつお節(おかかというやつですね)〟〝梅〟〝昆布〟〝サケ〟〝タラコ〟位でしたからね。「シーチキンなんて洋風(?)なものが、おにぎりの具となれるのか!?」とビックリしたものです。ご存じのようにシーチキンとおにぎりの相性は良く、いまや「おにぎりの具といったらシーチキン」と言われるほどまでに、こちらも大出世したようです。そんな10種類あるかないかだった〝一昔前の具材〟もいまや、その数は何十種類。さらに季節限定や、ご当地おにぎりなんかも存在しており、その数は膨大なものとなっているみたいです。もちろん、具材だけではなく、海苔を直に巻いたおにぎりや、五目御飯・おこわなどを使ったおにぎり、肉類を乗せたり挟んだおにぎりやなんかも登場して、まさに〝おにぎり咲き乱れ〟状態。「どんな味がするんだろう?」と興味をそそり、買って食べてみると「美味しい!」と、つい顔がほころんでしまうことに!で、何気に朝ご飯はコンビニのおにぎりとなってしまうのです。また、うまいことに「新しいものはほぼ食べたし、そろそろ他の物を…」なんて思ったころに、新しいおにぎりが登場する始末で。で、そんなおにぎりを見つけては「食べなければ」と、新たなるおにぎり連鎖が始まるのです(笑)。

確かに色々な具材のおにぎりがあって、そして美味しいことも間違いないのですが、私は何故か〝かつお節〟〝梅〟〝昆布〟〝サケ〟〝タラコ〟といった、昔ながらのおにぎりも大好きなのです。前述のように、奇抜な具材の美味しいおにぎりは最近出てきたもので、歴史は浅いのですが〝かつお節〟〝梅〟〝昆布〟〝サケ〟〝タラコ〟なんかは、昔からの定番おにぎりで、歴史もあります。言い方を変えれば、何度も何度も食べたことがあるおにぎりということになります。なのに、何故か飽きない。飽きないどころか、今でさえもそのおにぎりを選んで食べてしまう。それどころか「美味しいなぁ」とつくづく感じてしまう。何度食べても食べ飽きないと言ったところでしょう。おそらく、前述のような昔からある具材はご飯にとても合う、おにぎりによく合う具材なんでしょうね。確かに最近の凝った具材に比べると、地味で見劣りし過ぎる位シンプルです。でも「モノを極めるとシンプルになる。シンプルなものほど奥は深い」と私は思っています。おそらく、前述の具材も、これに当てはまるのではないでしょうか?シンプルな具材のおにぎりほど極められたおにぎりであり、シンプルな具材のおにぎりほど奥は深いといったところでしょう。そういえば、海苔も具材もない、塩をつけて握っただけの、いわゆる〝塩むすび〟。あれなんか究極にシンプルですもんね。それでもって、そんじょそこらの具材おにぎりには一歩も引けを取らない美味しさ。シンプルすぎるほどシンプルなのに、なんと奥の深いことか!そういえば、昔はおにぎりと言ったら、塩むすびがメインだったそうで。やはり、一番おいしいおにぎりだからこそ、昔の人たちは塩むすびをメインにして、舌鼓をうっていたのかもしれませんね。

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野菜高騰・・・大丈夫か鍋?

 先日、私の友人(佐渡出身)から「ちゃんこ鍋って食べたことがないんですよ。『ちゃんこ鍋を食べる』って経験してみたいんで、行きましょうよ」と「ちゃんこ鍋飲み会」の企画を依頼されました(大げさに書きすぎですかね?単なる飲み会の誘いなんですがね:笑)。実は以前もその友人から「串揚げというものを食べたことがないんで、食べに行きませんか」と誘われたことがあります。さらに今夏、私が実家に帰っていた時、「そちらの名物の土産を食べたことがないので、買ってきてもらえませんか?」とメールをくれたりもしました。好奇心旺盛…というよりは、やはり食べたことがないモノは気になってしまうのが人間というモノ。ましてや美味しそうなモノとくれば、必死(?)になるのも話は分かります。

 私はちゃんこ鍋は食べたことがありますし、以前は良くちゃんこ屋さんで一杯やっていました。私が足げに通っていたちゃんこ屋さんは〝ちゃんこ屋〟というよりは〝ちゃんこ居酒屋〟的な雰囲気。もちろん、お店自身は立派な〝ちゃんこ屋〟を名乗っていましたし、ちゃんこ屋さんではあるんですが、ふつうのちゃんこ屋さんより、一品モノのメニュー数が豊富でして、まさに「一杯やりながらちゃんこをつつく」にはもってこいのお店でした。お店のリニューアルに伴い、ちょっとメニュー数が少なくなったので、しばらく足は遠のいていたのですが…。友人に誘われたのを機会に、またチョット言ってみようかな…なんて気分になっていました。

 で、つい先日何気にテレビを見ていると…「野菜高騰で鍋物ピンチ!」のテロップが!エッ!鍋がピンチ!?

 その理由も、野菜高騰とな!?ん~分からなくはない。確かに夏の時分から「猛暑で野菜の育ちが悪い」やら「暑さで野菜が壊滅状態」なんて報道内容を耳にはしていた。夏に帰省した際も「暑いから、野菜が大変だって農家の人たちが云々」なんて言葉をよく耳にした。で、昨今になると、やはりというか「野菜の値段が上昇」なんて報道がなされるようになり、何気に「なるほど高いんだろうな」位には認識はしていた。調べてみると…何でも、11月20日の時点で野菜の卸売価格は平年に比べ平均5割増し。ネギの価格はおよそ1.3倍、ダイコンで2.1倍、ハクサイが2.3倍!なんとキャベツに至ってはおよそ2.8倍とのこと。キャベツの価格が2.8倍?2.8倍ってどれ位だ?昔、よくモツ鍋を作って食べていた時、キャベツを買っていたが、その時の値段は100円位だったような気が…。農水省の11月8日〜12日の野菜小売価格の調査結果によるとキャベツの価格は234円(前週に比べ36円UP:ちなみに単位は円/kg)!キャベツは1玉約1kg位だそうで、そう考えると…ゲッ!キャベツ1玉234円とな!?なんとキャベツは平年比192%とのこと!計算するといつもは122円位のキャベツが234円に!こりゃあ高い!それどころか調べてみると1玉380円やら500円のキャベツやらがゴロゴロしている!イヤいくらなんでも高すぎだ!あまりの驚きに「!」マークをやたら付けているが、このブログ史上、こんなに「!」マークを付けたことなぞ、いまだかつてないことだ。それくらい驚愕に値する出来事といっても決して過言ではないだろう。さらに、ダイコンは192円(前週に比べ17円UP)、レタスは478円(31円UP)、ネギは934円(38円UP)、キュウリは739円(148円UP)…。チョット待て!キュウリが739円って、なんじゃあコリャア!キュウリは1本約100g位らしいからそれで換算すると…1本当たり73.9円! ガリガリくん1本より高いぞ!今年のキュウリは平年比143%らしいから…計算すると、いつもは1本52円位だ。これならガリガリ君より安いぞ!いやいや、ガリガリ君との価格対比が問題なのではない。野菜が高騰していることが問題なのだ!

 鍋って色々便利なんですよね。何入れてもOKですし、何入れてもそれなりに美味しくなってしまいますから。もちろん野菜もたっぷりヘルシーですし。まあ、この野菜が高くて入手困難(?)なのが問題なのですが…。確かに野菜が入っていない鍋なんてまずありませんからね。以前ブログで書いたおでん(おでんも立派な鍋です)にも、大根やジャガイモといった野菜がしっかりと入っています。鍋の中でも、おでんは野菜が少ない方だと思いますが、一般的(?)な鍋はそれこそ野菜が盛りだくさんに入っていますよね。出汁が染み込んでいて、ほくほくと柔らかい野菜を食べた時の幸福感と言ったら例えようがありません。ましてや魚介系だしでも美味しい、肉系だしでも美味しいとくれば、まさに言うことなし!鍋にとっては、なくてはならない最高の具材といっても過言ではないはず!考えてみれば、魚介系鍋にしても、肉系鍋にしても具材的には野菜の方が多く入っていますからね。まあ鍋にもよるんでしょうが、だいたい鍋の中身の6~7割くらいは野菜が占めているんではないでしょうか?それだけ、鍋で食べる野菜は美味しいということなんでしょうけどね。

 以前、私が師と仰いでいる先生に「白菜鍋食べにこない?白菜だけしか入っていないけど」と誘われたことがあります。まあ、チョットこういう鍋は、鍋としても例外の方ですが…。でも何故、白菜だけしか入っていないかというと、その白菜がめちゃくちゃ美味しいからだそうです。生で食べてもおいしいとのことで、出汁を入れて煮込むだけで十分おいしい鍋になるとか。残念ながら、私はその鍋会は辞退させていただいたのですが、この話も「野菜を出汁で煮込む鍋は美味しいんだよ」ということを十分表している話だと思います。

 そんな鍋に入れると美味しい野菜が、鍋が美味しくなった季節に高騰とは何とも残酷な話です。どうやら農家の方たちも、それはそれは大変とのこと。私の実家の方の農家の方々も、今年は悲鳴をあげているとか。もちろん、農家の方だけではなく、八百屋さんやらスーパーやら、野菜を食べさせるお店やら、野菜に関わる人たちはどこも悲鳴をあげているとか。とんかつ屋さんなぞは「今までキャベツおかわり自由にしていたんですが…」なんて困り顔でインタビューに答えていましたし…。やはり〝暑いときは適度に暑く、寒いときは適度に寒い〟のがBestなんでしょうね…。もっとも、相手が〝自然〟なだけに、こちらのいいように事が運んでくれないのは分かるんですが…。

 で、前述の〝好奇心旺盛な鍋飲み会勧誘友人〟に「野菜高騰で鍋が高くなるかも…」とメールしたところ…。ちなみに、ほとんどの飲食店が野菜料理の即時値上げや、量を減らすことを行ってはいないようです。やはり「お客様のことを考えて…」といった意見が多いようです。ですから、ちゃんこ屋さんも即時値上げとはなっていないようなのですが、取り急ぎ友人には先ほどのようなメールを送った次第で。で、その友人から帰ってきたメールは「野菜高騰であれ、ちゃんこ忘年会が楽しみです」。ん~、その友人の好奇心旺盛さもさることながら、やはり価格がどうであれ食べたいものは食べたいし、鍋をつつきながらの忘年会は楽しみということなんでしょうね。もちろん私もそうですが(笑)。野菜高騰で大変だからこそ、いつも以上に野菜を味わって、いつも以上にそのおいしさを堪能して、気力を蓄えようではありませんか!

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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流行している…のか?流行語!

 先日のブログも流行の話だったんですが…。毎年この時期になると話題になるのが、「現代用語の基礎知識選 ユーキャン 新語・流行語大賞2010の候補語」。この話題を聞くたびに「もうそんな季節になったのか」と一年を偲んだり、選ばれた言葉を見ながら「そういやぁ、そんな年だったな」と一年を振り返ったりなんぞもします。確かに「なるほど…」と思えるような、その年を表すような言葉が選出されており、言い得て妙とはまさにこのこと!と感じたりもします。

 昨年度の大賞は〝政権交代〟。民主党が政権を取ったのは8月30日。お盆も過ぎたころの話なのに、昨年度を表す言葉としては、どこに出しても恥ずかしくない(?)言葉だと思います。10年前の2000年度大賞は〝IT革命〟。なるほど…確かに〝IT〟という言葉、最近は良く耳にしますが、私が学生の頃なんぞは、聞いたこともない言葉でしたからね。もっとも〝ITバブル崩壊〟なんていう悲しい言葉もありましたが…。今じゃあ普通に聞く〝マニフェスト〟。これも2003年度の大賞。実行されているかどうかは別として(笑)、良く耳にする言葉として定着しましたね。これも、一昔前は耳にする機会がまず無かった言葉。この言葉が出てきた当初なぞは、マスコミは〝マニフェスト〟一色。まさに2003年度を代表する言葉と言えるでしょう。今年も12月1日に2010年度の大賞が発表されるそうです。その前に大賞にノミネートされたということで、先日60の言葉が発表されたのですが…。…。なんか知らない言葉が多いような…。もちろん耳にした言葉もいくつかあるのですが…。

 耳にした言葉?この賞の名前は〝流行語大賞〟…。耳にする位で〝流行語〟と言えるのか?ましてや大賞を取ろうって言うのなら、流行していなければならないのではないか?確かに正式名称は〝新語・流行語大賞〟。だから〝新語〟もその対象となる権利はある。〝新語〟だから知らない言葉であっても、おかしくはない。もちろん流行っていなくても〝新語〟は〝新語〟だ。ノミネートには申し分ない。でも、例え〝新語〟であっても、聞いたことのない言葉はいかがなものなのか?前回のブログにも書いたように、「流行には敏感だ」などとは言わない。それどころか、流行には疎い方だ。でも〝新語〟にしても〝流行語〟にしても、そういう疎い方たちにも「ああ、アレ!?」とならなければいけないのではないか?「知らないあなたが遅れている」と言われてしまえば、それまでだが…。でも私の周りにも「知らないなぁ」という人が結構いたりもする。〝新語〟だけに、新たな誕生した言葉だから、一般化されていないだけなのかもしれない。もしかすると、ある分野では、日常的に用いられる位にまで出世した言葉なのかもしれない。それならば確かに賞を取るだけの価値は至極当然ともいえるのだが…。ん~微妙だなぁ、新語・流行語大賞に知らない言葉がエントリーされているっていうのは…。

 ノミネートされた言葉に〝 断捨離〟という言葉がありますが…。知りませんでしたね…。なんでもヨガからきている言葉らしく「自分とモノとの関係を問い直し、家の中の不要なものを捨てたり、不要・不適・不快なモノとの関係を清算して、衣食住はもとより、心や体の新たな状態をつかむ」とのこと。う~ん、何とも哲学的というか、修行チックなモノの考え方です。私的には好きな思想というか、考え方ですが…知りませんでした…。

 〝ガラパゴス(ガラケー)〟も初めて聞いた言葉。詳しくは〝ガラパゴス・ケイタイ〟とのこと。世界の流れとは違う方向に独自に進化していった携帯電話のことだそうで。ガラパゴス諸島の生き物たちの、独自進化から来た言葉らしいのですが、日本製の携帯電話はほとんどが〝ガラパゴス・ケイタイ〟だそうです。まあ、我流にアレンジするのは、日本人の得意技ですからね。

 〝アジェンダ〟という言葉も聞いたような、聞かないような…。こちらは、みんなの党の渡辺さんが言った言葉だそうで「予定表、議事日程、行動計画」という意味だそうです。もちろん昔から存在する言葉(外来語)ですから〝新語〟でノミネートされたのではなく〝流行語〟の方でのノミネートと思われます。そういえば聞いたことがあるような…。チョット、政治方面を勉強しなきゃですかね(笑)。

 アジェンダと同じように「聞いたような、聞かないような…」といった言葉も沢山ノミネートされていました。〝 どや顔〟はテレビで聞いたことはありますが、使ったことはありませんし、使っている人も見たことはありませんね。普段から〝 どや顔〟という言葉を使っている人は、この言葉がノミネートされて〝 どや顔〟で満足しているのでは?

 逆に「ウチらは知っているけど、一般の方は知っているの?」なんて言葉もちらほら。〝(クロス)カップリング〟なんかがその代表例。カップリング反応なんぞは、化学に携わる人以外は、まず耳にしない、お目にかからない言葉。鈴木章先生と根岸英一先生がノーベル賞を取ったことで、一般に聞く言葉とはなったのでしょうが…まあ意味は分からなくとも〝一般に急速に広まった言葉〟ということで〝流行語〟として取り扱われる分には、問題ありませんね。ノーベル賞というお目出度いことがきっかけで知れ渡るなら、万々歳です!

 当然、知っている言葉もいくつもあります。〝一兵卒〟は従来からある言葉ですし、知っていました。もちろん、自民党の石破茂政調会長の発言「幹事長の言うことを聞けない一兵卒なんて聞いたことがない。指揮官の命令が聞けない一兵卒は除隊だ」でノミネートされたという背景も知っています。政治に関する言葉は、今も昔もインパクトのあるものですから、流行語となり易いのでしょう。

〝山ガール〟は最近知った言葉。ん~、でも流行っているんですかねぇ…。確かに山登りする女性は増えているようだし、女性雑誌では良く取り上げあげられていたということですが…やはり流行に疎い私の耳には入ってこなかったようです。

 納得の流行語というか「確かによく耳にした、目にしたな」という言葉も沢山ありました。〝AKB48〟なぞは、ついぞ見聞きしない日はないほどの言葉。確かに、今年のTVは彼女たち〝AKB48〟一色に染まっていたといっても過言ではないほどの活躍ぶりでしたからね!

 〝2位じゃダメなんですか〟は、しっかりと覚えていますよ。これほど憤慨した言葉は、ここ久しくありませんでしたから。科学屋さんたちに失礼ですよ、この言葉は。「『勉強して、研究に没頭して、新しいモノを創る・発見する』ということを何だと思っているのかな!」と感じましたね。「2位じゃダメなんですか?」ハイ、ダメです。2位になろうと思ってなる人なんていないんです。皆、1位を目指して目指して、その激戦あっての、せめぎ合いあっての2位ですから。2位というのは1位を取りに行くつもりでなければ、とれない順位なんです。

 〝酷暑〟なんかは、今年を表す代表的な言葉ではないでしょうか?ちなみに〝猛暑〟と類義とのこと。酷暑日とは、日中の最高気温が35℃を超えた日の事を指すらしく、気象庁では猛暑日を用いるそうです。確かに今年は暑かったですからね。私の住んでいるとこなんかは、エアコンつけても30℃以下になりませんでしたから!それでも部屋に入ると「涼しいなぁ~」と思いましたからね、30℃なのに(笑)!

 やはり〝新語・流行語大賞2010〟という位ですから、その年を表すような、皆が知っている言葉が大賞を取ってほしいな、と思います。そして、願うことなら「誰もが笑顔になれる」ような「心安らぐ」ような言葉が受賞してほしいなと思います。過去に賞を取った〝ネットカフェ難民〟〝食品偽装〟〝(消えた)年金〟〝格差社会〟〝負け犬〟なんていう言葉は、あまり流行してほしくない言葉ですし、そんな言葉で彩られた一年というのも、何だかやるせない気がします。やはり、思い出すだけで「ああ、そんな年だったなぁ」と、その年を温かく見送ってあげることが出来るような、そんな言葉に賞を取ってもらいたいものです。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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ブーム・流行とは…?

先日、同僚講師とある武将について話していました。ちょっと前に話題になっていた武将なのですが、その講師曰く「私はあまり知りませんでしたねぇ」とのこと。まあ、私的にも「昔、テレビで聞いたことがある名前だから知っていたよ」位なもんでした。で、二人で「何であの武将が話題になっていたんだろう?」と話していたのですが…。「ちょうど、あの時は歴女ブームとか言って、色々な武将に脚光があたってたからじゃない?」と私の意見。んっ!?言った自分がフト思う…。そういゃあ、そんなブームがあったような…イヤ、気がつくと、あっという間にブームになっていたような…イヤイヤ、ブームってわりには知らなかったような…。さらに、ブームというわりには、周りにそんな人(歴女ですか)はいなかったような…。っていうか、このブーム、まだ続いているのか?いつから始まったブームかも定かではないのに…終息はしているのか?

最近、何気に思うのですが…。どうも「○○ブーム」とか「今、□□がひそかなブームなんですよ」っていうのが、多くないか?と。ってゆうか、マスコミが取り上げた時点で「密か(ひそか)」ではないのではないか?ブームっていうからには、流行ってるってことなんだろうけど…初耳ってパターンがあまりにも多すぎないか?そりゃあ〝流行には敏感だ〟などとは申しませんよ。イヤ、どっちかって言うと、流行には疎い方ですから。でも「流行っている」というからには、そういう人達(まあ私見たく流行に疎い人)の目にも止まらなきゃならないのではないか?皆が「ああ、アレ!?」となるから流行っているんであって、一部の人しか分かっていないっていうのは、流行ってるとは言い難いのではないか?

だいたい「流行っている」と言っているが…〝流行っている〟の定義は何だ?「インフルエンザが流行っている」は分かる。ちゃんとした観測もされているし、それ相応の定義もある(ちなみに『インフルエンザの定点観測値が全国平均で1.00を超えると〝インフルエンザ流行入り〟として注意喚起が行われ、インフルエンザの全国的な流行開始の指標となる』とのこと)。でも「○○ブーム」の〝流行っている〟は定義があるのか?生まれてこの方、そっちの〝流行っている〟の定義なぞ聞いたことがないぞ。どれ位の人数になると「○○ブーム」となって、流行っていると言えるのだ?先ほど『一部の人しか分かっていないっていうのは、流行ってるとは言い難い』と書いたのだが…。〝流行る〟とは「ある一時期に多くの人々に愛好されて、広く世の中に行われる」とある(大辞林より)。ブームとは「ある物が一時的に盛んになること。急に熱狂的な人気の対象となること」とある(大辞泉より)。…どちらにしても「大勢の人が対象になっている」ことは確かなようだ…。つまり、一部の人しか分かっていないというのは「流行っている」とも「ブーム」とも言わないのではないか?さらに、前述の辞書の内容では、あきらかに〝公(おおやけ)になっていると〟ということが謳われているぞ?ということは「ひそかなブーム」というのは、明らかにおかしい言葉ではないか?「ひっそりと騒ぐ」って言っているようなものだぞ(まあ、昔「ギンギラギンにさりげなく」という歌はあったが…)。こうなってくると、「流行っている」とか「○○ブーム」って言うこと自体がなんか怪しい。「あなたが判断しなくても、これは流行っているの!」と言われれば、確かにその通りかもしれないが…ごり押しするものなのだろうか、ブームというものは。私が子供のころなぞは「○○ブーム」っていったら、老若男女、日本中がそれ一色に近い位流行っていたぞ。老若男女じゃないにせよ、少なくとも全国区であったことは間違いない。もちろん、マスコミなんかにも取り上げられて、テレビから雑誌から特集されていたから…。んっ?「テレビから雑誌から特集されていた」…。

そういえば、昔は「今、流行っていますよ」という感じで、マスコミに取り上げられていたような…。流行っているとされるモノも、マスコミに取り上げられる前から一度は目にしたことがあったような…。ところが最近は…一度は目にする、一度は耳にする…前にマスコミから「流行っている」という情報が入ってきているような感じがする。で、そこから目にしたり、耳にしたりすることが多いような…。前述のように、ブームや流行は「大勢の人が対象になっている」のが前提。〝一度は目にする耳にする〟事なく「流行っている」というのは、一体どういうことなのか?イヤ、それはやはり流行っているとは言えないのではないか?でも、マスコミは「流行っている」といっている…。う~ん、どうも昔と違って『流行っている→マスコミが取り上げる』のではなく『マスコミが取り上げる→流行っている』の構図が出来上がっているような…。でも、先にマスコミが取り上げようとも、少なくとも「多くの人々に愛好されて、広く世の中に行われる」ことになれば、やはりそれはそれで流行ということでいいと思うのだが…。ただし、やはり百発百中というわけにはいかないだろうから、「流行っている」が先行はしたものの、「流行らなかった」不発があるのも必須。そうなると「流行っている」とは言っているけれど「流行らなかった」というわけで…やはり先ほどと同じように、何ともおかしい表現となってしまうのが必定…。

もともとブームや流行なんかは「いつから始まった」「いつ終わった」というのがないものですからね。「気がついたら魅了されていた」というのが、ブームや流行というモノですから。どうやら今の時代、ブームや流行というものは「いつから始まった」という〝自然発生的なものモノ〟ではなく、〝ブームや流行として創られたモノ〟といった感が強いですね…。昔は「ブーム・流行は発生したもの」、今は「ブーム・流行は創られたモノ」といったところでしょうか。どんなに市井の人たちが魅了されて、広まっていったとしても、〝ブーム・流行として創られたモノ〟でなければ、ブーム・流行としては扱われないというのも、チョット変な話です。

では「ブーム・流行の終息」は?これも、定義として難解といえば難解ですね。〝今の時代のブームや流行〟も〝昔のブームや流行〟も、どちらも終息は…「気がついたら終息していた」という感じですから。どうやら終息に関しては、今も昔も、同じようです。まあ、感染症のように「患者数が云々」といった感じで終息宣言は出来ませんからね。夏に恒例の張り紙「冷やし中華始めました」に関しましても、終息宣言ともいえる「冷やし中華終わりました」の張り紙はないようですから(チョット違いますかね:笑)。感染症のような一大事ならともかく、ブーム・流行の終息に関しては「世間の流れ」ということで、取り立てて騒ぐほどのことでも無いとは思いますから、優しい目でその終息を見取りたいものと思っています。

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おでん考

 最近、ウチの塾のごみ箱で目立つようになってきたのが、コンビニのおでん容器。まあ寒い季節となってきましたので学生さんも温かいものが食べたいのでしょう。寒い季節になったせいか、コンビニも「おでん70円セール!」なんて具合にやりますから、さらに購買意欲に拍車がかかるのも一入(ひとしお)。おでんの容器も小さいものから、大きいものまで目にするようになりました(ゴミ箱の中に:笑)。

 で、この〝おでん〟なのですが…。皆さんは馴染みがありますか?というか、小さいころから良く食べていました?実は、私の出身地の方では〝おでん〟はあまり馴染みのない食べ物でした。もっとも私の子供の頃の話ですが…。一料理としての感覚はあったものの、それだけの話で「なんか煮込んだ料理」位の認識しかありませんでした。で、こちらの方に出てきたとき、自分の中で一料理でしかなかった〝おでん〟が、広く普及(?)しており、皆に馴染みある人気料理であることを知って、ちょっとびっくりしたのを覚えております。ましてやコンビニにも置いてあるなんて。自分の中では一料理…まあ、あとは屋台で酒を飲むときの定番メニュー位の感覚しかありませんでしたからね。コンビニでレギュラー化されているのには驚きました。そういったこともあってか、こっちに来たばかりの頃は良くコンビニのおでんを食べてたものです。美味しいというのもあったのですが、やはり〝物珍しい〟というのが大きかったですね。「こんなに身近にあって、いつでも好きなものを食べられる状況にあるんだ」と、なかなか新鮮でした。昔〝おでん缶〟というのが売られていたのをご存知ですか?現在売られているような、ドリンクサイズの缶におでんが入っているタイプのものではなく、40×20cm四方、厚さ7cm位の缶(ここまで大きくても〝缶〟というのですね:笑)におでんが入っているやつです。で、缶詰の上部がプルタブ式で開けることができるようになっていまして、まあ現在流通している缶詰(イージーオープン缶)と同じ開け方で開けるようになっていました。で、食べる時には、プルタブを引っ張って、蓋(?)を半分ほど開けた状態にして、ガスコンロに掛けて温めるのです。すると、あったかおでんが出来上がり!という具合です。そのおでん缶にも衝撃を受けた私は、実家に持って帰って(もちろん宅配便で他の荷物と一緒に送りましたが)、家族に食べさせた覚えがあります。

 皆さんは、おでんの具(おでん種か:汗)というと何を思い浮かべますか?これまた前述にある通り、私の出身地では、おでんはあまり普及しているとはいえない食べ物でした。ですから、おでん種といわれても、出てくるものはいいところ片手チョットくらい…。「えっ!?そんなに少ないんですか?」と思われるかもしれませんが、実際そんなもんでしたよ、おでんの具は(給食におでんが出ることもありましたが、おでん種はそんなもんでした)。こちらに来た時のおでんの衝撃が大きかったのは、そのおでん種の多さにも大きな要因があったと思います。ざっと調べただけでも、コンビニのおでんで30種類以上のおでん種がありますからね!「こんなにおでん種があるのか?」という驚きもさることながら「えっ!こんなものまでおでんに入っているの!」なんて衝撃も良くありました。

 で、そのおでん種なんですが…。皆さんはおでん種といえば何を思い出しますか?先ほど「あとは屋台で酒を飲むときの定番メニュー」と書きましたが、以前は良くテレビでこんなシーンを見かけました。主人公が屋台のおでん屋に入り「注文は?」と聞かれると「じゃあ、ガンモドキとハンペン、ちくわぶ…」なんてシーン。皆さんは別になんともないシーンに感じるでしょうが…。実は、私の出身地の方ではコレがとっても謎めいたシーンとなってしまうのです。〝ちくわぶ〟?〝ちくわぶ〟って何だ?そう、今はそんなことはないと思いますが、その当時、私の出身地では〝ちくわぶ〟は売っていなかったのです。ですから、私の周りの人間には〝ちくわぶ〟を知る人がいなかったのです!友達聞いても、学校の先生(ほとんどが地元出身の先生でした)に聞いても、親に聞いても分からない。まあ〝地元には存在しない食べ物〟でしたから、仕方ないのですが…。もちろん、おでんのなかにも〝ちくわぶ〟は入っていませんし、だいたい食べたどころか、前述のごとく見たことある人もいない始末で。辞書を調べて「グルテンに小麦粉などを混ぜ、ちくわ形の型に入れて蒸したもの(大辞泉)」と書かれているのを見ても「小麦粉?」「ちくわの一種じゃないのか?」「どんな味なんだ?」と逆に謎は深まるばかり。実は「親に聞いても分からない」と書きましたが、母親の方は地元出身なので分からなくとも仕方がないのですが、父親の方は関東出身。当然、知っていると思い質問すると…「麩をちくわの形にしたやつだ」という、これまた用量の得ない返答が…。「もっと具体的に…」と聞き返しても「麩をちくわの形にしたやつとしか言いようがない」とのこと。まあ、ちくわぶを知ってしまった今となっては、この返答のとおりだとは思うのですが…。当時は全く合点がいかず「一体何なんだよ、ちくわぶって!」と憤慨していたものです。

 「謎の物体ちくわぶ」はもちろんのことですが、前述のように、こちらのおでんには色々なおでん種が入っていることにも驚かされました。例えばロールキャベツ。ロールキャベツ自身は知っていましたが、食したことがほとんど無かったので、おでんの中で見つけた時には驚きも一入。おでんの具材として和風だしで煮込むというのは日本独自の食べ方とのこと。さらに、おでんの大御所である紀文さんによりますと「元々は西洋料理のロールキャベツがいつからおでんに入るようになったかは不明」とのこと。うまいもんは何でも和風仕立てで食べてしまう、日本の食文化が垣間見られますね。さらにびっくりしたのが〝ジャガイモ〟。私の出身地はジャガイモの名産地でしたが…その名産地のおでんにさえジャガイモは入っていませんでした。自分にとって身近なジャガイモがおでんに入っていたということも、なかなか衝撃的なことでした。

 進学と同時に、こっちにやってきておでん種にびっくりさせられた私ですが、やはりおでんという日本人にとってポピュラーな料理であっても、それはそれは地域性のあるものなのだなと、今だに感心している次第です。その通り、調べてみるとおでんには〝地域制によるおでん種の違い〟というのが結構あるみたいで。一度、屋台のおでんで見たことのあるフランクフルト。沖縄では、おでん種として一般的なものとのこと。京都では湯葉がおでんに入るとのことで、これなんかは思いっきり地域性が出ていますよね。静岡では〝鰹の心臓〟が入っていたり、熊本の方では馬のすじ肉、北陸の方では加賀巻が入ったりと、やはり地域性満載。庶民の食べ物でありますから、その土地土地の人が、自分たちの良く食べるものをおでん種として食しているうちに、地域性豊かな食べ物へと変貌を遂げていったのでしょう。「日本全国どこにでもあって、それでいて地域性豊かな食べ物」ということは「いかにおでんが日本人から愛されている食べ物であるか」ということの証だと思います

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そりゃ人としてどうなのオヤジ・・・・・。

 私は総武線を使って学校に通っています…と以前のブログに書きました。で、毎日のように電車には乗っているんですが…皆さんは座れないとき、どこに立つ場合が多いですか?何気に多いのが〝ドア横の戸袋の所〟に立つというパターン。ちょうど座席の一番端の横というか、人一人分くらい立てるスペースがありますよね?車内ではあのゾーンが何気に人気がある場所ということは、電車ご利用の皆さんはご存じのことと思います。ちょうど一人が立つには程良いスペースで、ドアから外も眺められるなど心地いいスペース。さらに、網棚を構成している座席との仕切りのポール(?)というか、まあ、手すりですかね…アレに身体を持たれかけることもできるので、ちょっと楽な姿勢もでき、なおさらgood!最近はあの手すりに仕切りとして板がついていたり、ポールではなく完全に〝仕切り壁〟として存在しているものもあったり。確かに仕切りというか、あの壁がなければ、手すりによりかかった時、座席の一番端に座っている人にお尻がぶつかったり、手が当たったりとなりますので、あってくれた方が座っている人も立っている人も都合が良いことは確か。どちらの人も〝パイプ状の手すり〟に寄りかかるよりは、壁に寄り掛かる方がしっかりと落ち着いて体を預けることができますからね。

 で、先日の夜、家へ帰ろうと総武線に乗ったのですが…まあ時間が時間ということもあって、さらに金曜日の夜ということもあって、車内はなかなかの込み具合。座ることはできませんでしたが、まあ一番端の座席前の吊革につかまって立つくらいの状況には持っていくことができました。で、吊革につかまりながら立っていると…前の座席(もちろん一番端の座席)には50代位と思われる、恐らく酒を飲んだであろうことが予想されるがオヤジが〝百年の恋も冷める顔(ブログ『それはど~なのオバさん…。』参照のこと:笑)〟で寝ていました。苦笑いしながらも、吊革につかまり電車にゆられていると…そのオヤジ、ちょっと薄目になったかなと思いきや、おもむろに鼻の穴(注:左の穴)に人差し指を!さらに突っ込むと同時に豪快にホジホジとやり始めました。「!?」という私をよそにホジホジに没頭するオヤジ。呆然とする私の頭の中によぎったのは「この後どうするんだ、オイ」という疑問。どう考えても、ティッシュを取りだし処理するような素振りはないような…。第一、そんなことをする位なら、初めからティッシュを取りだして事に及ぶはず。「オイオイ、鼻の穴から取り出して、指で丸めてピンじゃないだろうな!」と恐怖におののく私。まあ何の用意もせずに、ホジホジしてハナクソ取りだしているわけですから(食事中の方、汚い内容でスイマセン)、当然、取り出した後の結末にはそのようなことが予想される訳で。で、どう考えても丸めてピンとやった場合、前に立っている私にヒットする確率が高くなる訳でして…。

 事の成り行きを心配する私をよそに、ホジホジしまくるオヤジ。そんな〝酔って半分寝ながらホジホジをするオヤジ〟を見ているうちに…何とも言えない怒りが。「仮にも公共の場で、さらに混み合っている車内で、この行動はいかがなものか?なんで、そんな低モラルな行為で無関係な自分が恐怖におののかなければいけないのか?もしピンとやった際、ヒットしたらこのオヤジたたき起して怒鳴ってやる」と怒りついでに、確信したのでした。と、その時、オヤジは鼻の穴から指を抜き、案の定、取りだした物(『ブツ』と読むのがおススメ:笑)を指で丸め始めたのです。恐怖半分、怒り半分で事の成り行きを窺っていると…丸めた物を、床にポイポイと捨てる仕草。捨てたかと思いきや、何事もなかったように睡眠へと戻るオヤジ…。…まあ最悪の状況は回避できたものの、不愉快な状況であることには変わりありません。苦笑いしていた顔も、いつのまにやらチョットした怒り顔となってしまい、フラストレーション満載の状況となってしまいました。そんなこととはつゆ知らず〝百年の恋も冷める顔〟で気持ちよさそうに寝ているオヤジ。「…何だかな」と思っていると!またもや、おもむろに鼻の穴(注:やはり左の穴)に人差し指を!もちろん、突っ込むと同時に豪快にホジホジを!「オイオイオイ!」という私をよそに、やはりホジホジに没頭するオヤジ。前例的には、丸めた物は床にと捨てられていましたが、今度もそうとは限りません。もしかすると…と構えていると、やはり前回通り、指を抜くや否や、物をその指で丸め始めたではありませんか!これを読んでいる皆さんも、何やら不愉快な気分になってしまうことと思いますが、目の前でやられた私はもっともっと不愉快であったことを、察してみて下さい。半分薄目を開け、半分寝ながら指で物を丸めているオヤジ…。これを見た私がつい呟いてしまったのが「こうはなりたくないなぁ…」の一言。あまりにもモラルがないというか、情けないというか、汚らしいというか…いっぱしのサラリーマン風情でしたし、恐らく家庭も持っているのでしょう。でも、これが自分の身内だったり、父親だったりしたら…これが自分の上司であったり、同僚であったりしたら…。「なんとも情けない気持ちになってしまうなぁ」などと、ついつい考えてしまったのです。するとそのオヤジ、物を床にポイポイと捨てる仕草はしたものの、物がなかなか下に落ちないらしく、何度も同じ仕草を繰り返す。そのうちに…なんと!その物を自分の座席横にある仕切り壁に、何事もないようになすりつけたのです!「!?」なんていうものではありませんよ。私的には、ここ数カ月で最も驚いた出来事でした。さらになすりつけ終えると、また何事もないように眠りへと入るオヤジ…。仕切り壁にはなすりつけられた物がしっかりとへばりついているのが、肉眼でもわかる状況…。呆れてものも言えないとはこのことか…。どう思います?はっきり言って、社会人のやることではないというか、モラルに欠けているというか、非常識も甚だしいというか、呆れてものも言えないというか…。正直「こんな人間が存在するのか?」とさえも思いました。叩き起こして「汚えだろ!オヤジ!ちゃんと掃除しろよ!」と、何度言おうと思ったことか!ハッキリ言って、犯罪者にも匹敵する非常識…イヤ無常識オヤジだと思います。どう思います?電車というある種公共のものをなんだと思っているのでしょう?次にそこに座った人はどう思うでしょう?知らずに座った人の服が汚れたらどうするんでしょう?だいたい、そんなことをするためにあるんじゃないぞ、あの仕切り壁は!そこを掃除する人に身にもなってみろ!まあ、無常識ですからね。そんなことは考えないんでしょうが、そのオヤジは…。このブログを書いている今でも「頭、小突いてたたき起して怒鳴ってやればよかったかな」と真剣に怒っています。もちろん、その時もオヤジの顔を見ながら怒り心頭だったのですが、同時に思ったことは先ほどのこと。「家庭もあって家族もいるんだろうに…自分の子供にどうやって教育してるんだ?マナーや常識をどう教えているんだ?こんな身勝手で無常識なオヤジなんて、どうせ家族からも嫌われているんだろうな。少なくとも自分が家族だったら、嫌うな、このオヤジのこと。会社でだって、モラルの無い行動しているんだろう、どうせ。部下からも嫌われているんだろうなぁ…」と、オヤジの〝矮小な人間性〟に何ともやりきれない気持ちになってしまいました。

 そんなオヤジを後にして、私はその電車を降りてしまったのですが…。降りた後も何とも言えない不快感が続くことになりました。あんな時こそ、以前のブログ『それはど~なのオバさん…。』で登場した〝憤怒の怒声オバさん〟がいてくれたらなぁ…。もちろん、私が注意するべきだったのかもしれませんが…。はたして〝憤怒の怒声オバさん〟が、そのオヤジを見たらなんていうでしょうか?どうなるんでしょうか?憤怒の怒声オバさんvs無常識鼻ホジオヤジ。歴戦の豪傑も汗ばむ展開が予想されますが…今回ばかりは〝憤怒の怒声オバさん〟を私は応援したいと思います(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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チャーハンの適正価格はいくらか?

我が薬進塾がある浅草橋は問屋さんが多い街、とこのブログで良く書きます。もちろん、問屋さん以外にも、色々なお店がありますし、飲食店もその例外ではありません。やはり地域性なんでしょうかね、蕎麦屋さんが多かったりするのですが…どういうわけか多いのが中華料理屋さん。浅草橋に来た当初は「おっ、中華料理屋が沢山あるな」なんて、昼食にはよく中華料理屋さんに入ったものです。元来の中華料理好きもあってか、あっちの店こっちの店と中華料理を堪能する日々だったのですが、毎日毎日中華料理だと…。さすがの中華料理好きの私も、そろそろチョットなぁ…と思っていたころ、ウチの講師も「さすがに中華料理は、ちょっと飽きてきました…」の一言。どんなに好きとはいえど、やはり毎日食べるとなると、さすがに飽きてくるものです。それでも中華料理は好きですから、毎日とはいかなくても足げに通う中華料理屋さん。ランチメニューも豊富で、何を頼もうかと目移りしてしまう次第で…。そんなランチメニューの中でも、よく見かけるのが「ラーメン・半チャーハンセット」。ラーメン好き&チャーハン好きの私にとっては、非常に嬉しいメニュー。幸いなことにこのセット、ほとんどの中華料理屋さんで取り入れられているメニューですから、色々な店で色々なラーメン・半チャーハンセットを堪能する事ができ、嬉しさも一入(ひとしお)なのです。

で、ある日のこと。そんなラーメン・半チャーハンセットを注文して、何の気なしにメニューを眺めていたのですが…。往々にしてランチメニューは値段が統一されています。統一されていなくともその値段はあまり変わらないもの。で、メニューを見ていると…。当然といえば当然ですが、ランチメニューの中に単品のチャーハンが載っていたのです。で、値段はラーメン・半チャーハンセットと同じ値段。もちろん、半チャーハンではなく、れっきとした一人前のチャーハン。「ラーメン・半チャーハンセットと単品一人前のチャーハンが同じ値段か…なんか単品チャーハンの方が割高のような気がするなぁ」という思いが…。その店の半チャーハンの量が多めのこともあるんですが、「 半チャーハン × 2 = 一人前チャーハン 」と考えると…。ラーメン・半チャーハンセットだとチャーハンもラーメンも堪能できるし、ラーメンは一人前だから食ボリュームとしてもラーメン・半チャーハンセットは1.5人前でお得のような…。ん~チャーハンは好きなんだけど、チャーハン単品はラーメン・半チャーハンセットに比べて少々見劣りするような…。もうチョット単品チャーハンのボリュームを増すか、値段を下げるなりすれば…。んっ!?値段…。いくらならBestなんだろう?っていうか、チャーハンの一般価格って、どれくらいなんだ?

以前から気にはなっていたんですよね、チャーハンの価格。以前勤めていた学校でも「チャーハンの値段、どれ位までなら食べようと思います?」と同僚の先生に聞いてみたところ「900円かな」との答。900円!「ちょっとチャーハンに900円出すのはなァ…」と考える私。もちろん、どんなお店かっていうのもありますけどね。別に差別するわけではありませんけれど〝高級中華レストラン〟と〝街の中華料理屋さん〟では、客層の違いからくる価格の違いが当然ある訳ですから。先ほどの同僚の先生は、ドクターで色々なところに教えにも行かれている方なので、中々羽振りの良い先生でした。おそらく、チャーハンも高級中華レストランの方で食べられているのでしょう。「やはり一般価格を知るには一般庶民(?)を相手にせねば!」と、学生さんやら私の友人やら、やはり同僚講師等に聞いてみることにしました。で「チャーハン、いくら位までなら食べようと思う?」との問いに、一番多かったのが「700円位」という価格。まあ「700~800円」「600~700円」という答が多かったようで、ヒット的には700円位かなといったところ。う~ん700円か…。正直、私的には「チャーハン:700円」なら食べませんね。私のチャーハン適正価格は「500~650円」位ですからね。上限は650円。それ以上はちょっと出す気には…。

前述のように私はチャーハンが好きで、子供のころから良く食べておりました。「何食べたい?」と聞かれると「チャーハン!」と毎回答えるほどで。で、当然、中華料理屋さんに行くと頼むのはチャーハン。ちなみに私の実家の方では〝中華料理屋さん〟なんてシャレた呼び方はしません。中華料理屋さんのことは、皆〝ラーメン屋さん〟と呼んでいました。最近こそ「ラーメンが専門のラーメン屋さん」は一般的になりましたが、昔はラーメンオンリーという店は少なく「ラーメンを食べられるお店=中華料理屋さん=ラーメン屋さん」となっていたのでしょう。で、そういった〝街の中華料理屋さん〟でチャーハンを食べて育ってきたせいでしょうか、チャーハンというものが、とても庶民的な料理に感じられるのです。もちろん庶民の料理であるからには、値段も庶民感覚のリーズナブルなものでなくてはならない。実際、私が幼きころに通っていた〝ラーメン屋さん〟もチャーハンの価格はリーズナブルで、確か500円位だったような気がします。もちろん、昔の話ですから、物価が安かったせいもあると思います。でも、そんな境遇で育ったからでしょうか、自分の中には「チャーハンは庶民のリーズナブルな食べ物」といった思いが強くあるのです。もちろん子供のころ、いわゆる〝高級中華レストラン〟に連れて行ってもらったこともありますし、やはりそこでチャーハンを食べたこともあります。でも、そこのチャーハンを見た時の第一印象は「あまり美味しそうじゃない」でした。色白のチャーハンでしたからね(笑)。私のチャーハンのイメージは、小さな厨房の中、大きなフライパンの上で踊りながら強火で炒められているチャーハン。当然〝炒められている〟わけですから、小麦色…となるのですが…。その高級中華レストランで見たチャーハンは色白…。さらに色白に追い打ちをかけたのが「具材の少なさ」。私の街の中華料理屋さんのチャーハンには玉ねぎ、玉子、ナルト、チャーシュー、グリーンピース、ネギ、ひき肉(チャーシュー以外に肉が入っていた!)など具材が盛りだくさん!さらにこれらが炒められる訳ですから、小麦色にも拍車がかかるというもので。ところが高級中華レストランのチャーハンは…具材がなかなか見当たらない…。入ってはいるんでしょうが、その量が圧倒的に少ないのです。お洒落な皿に、お洒落に盛り付けられてはいるものの、その量も少ない。中華模様の薄くなった皿に、湯気をあげてこんもりと盛られ「お待ちどうさま!」なんて出されるチャーハンの方が、私にはとてもとてもご馳走であったような気がします。高級中華レストランで、何を食べようかとメニューを見たとき、子供ながらに「チャーハン…こんなにするんだ」と値段に驚かされた記憶もまだまだ残っています。

そういった街の中華料理屋さんで育った(?)せいか、私の中のチャーハン適正価格は500~650円くらい。700円位とあげた方は、都会育ちの皆さんなんですかね?私がこちらに出てきたときには、チャーハンだけでなく物価の高さには驚かされましたから(笑)。ある友人に「チャーハン適正価格は500~650円くらいだと思うんだけど…」といったところ「そんな値段のチャーハンなんかあるの?」と一笑に付されてしまいました。なるほど、確かに調べてみると800~1,000円位のチャーハンが目白押しですから。でも無いわけではないんですよ500~650円くらいのチャーハンが。もちろん、800~1,000円チャーハンと全然見劣りしない写真写り(?)の良さ。まだまだ、あるんですよね~リーズナブルな価格のチャーハンも…。値段だけではなく、写真を見る限り、街の中華料理屋さんの小麦色したチャーハンで、それはそれは嬉しい限りです。まあ、高かろうが安かろうが、結局は美味しければそれでいいんですけれどね(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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それはどうなのオバさん・・・・・・。

 私は総武線を使って学校に通っています。私と総武線の付き合いは長く、かれこれ二十数年の付き合いとなります。学生時代から利用していましたからねぇ。まあ私としましては、長年の付き合いもあるのか、とっても愛着のある路線となっています。

 そんな総武線ですが、ある時フト気がついたことがあります。「なんか、変わっている人がよく乗っているよなぁ…」と。もちろん他の路線なぞ、総武線ほど長く利用したことはありませんし、私の人生トータルで車中滞在時間が最も多いのが総武線ですから、「総武線は他の路線と比較して、変わっている人が乗っていることが多い」ということはできません。ただ〝変わっている人が私の目に留まる割合〟が多いんですよね、総武線は。そりゃあ何度も言いますが〝私の人生トータル車中滞在時間が最多の路線〟ですから、そういう方にめぐり合う機会(?)が多くなるのは当然のことなんですが…。でも、どうなんでしょうか?私の実家の路線では一度も見かけたことがないんですよ、変わった方を。まあ田舎ですからねぇ…あまり奇抜な行動を取ると、瞬く間に噂が広がりますから。それに人口が少ないですからね…。奇抜な行動を取ってはみたものの、身内が見ていた…なんてことにもなりかねませんから、皆さん行儀良く(?)電車に乗っていいるのかもしれません。まあ私の実家の話はいざ知らず、総武線では何気に見かける変わった方。マルチタレントとしてご活躍中の柳原可奈子さんの有名なお笑いネタに「総武線の中の女子高生」というのがあります。確かに〝どこか総武線の中で見かけたことがあるような女子高生〟がネタになっていて、笑いを誘いますが…。お笑いネタですから、当然、その女子高生も「はたから見ると笑える行動をしている人→変わっている人」と言えなくもないと思います。

 で、先日のこと。やはり学校に行くために総武線に乗っていたのですが…。私が乗った次の駅で一人のオバさんが乗ってきました。それは清楚ないでたちで、「良い所の良識あるおばさんが、キャリアウーマンやってて、今から出勤」みたいな感じでした。初めは私の横にきて吊革に掴まっていたんですが、しばらくすると移動して、私の後ろ側の吊革(私は進行方向右側の吊革に掴まっていましたので、進行方向左側の吊革)に掴まることとなりました。「?」とも思ったのですが…まあ私のいでたちは〝出勤に行く〟というには、ちょっとラフな格好。人相もそう良い方ではありませんので(笑)、胡散臭く感じたのでしょうか?まあ私のせいかどうかはともかく、私の背後へと移動なさりました。で、そんなオバさんのことなどすっかり忘れた十数分後。何やら怒声が耳に入ってきたような気が…。イヤ、気のせいではなく、あきらかに怒声が車中に響き渡っている!「!?」と思って、その怒声の発生源を確認すると「!」。なんと先ほどのオバさんではありませんか!先ほどの清楚ないでたちのキャリアウーマンとは打って変わって、その様相は〝憤怒の怒声オバさん〟へと大きく変貌をとげていました。私も含め、周りの人はフリーズしていたのですが…その怒声はもとより、我々をフリーズへと導く大きな要因はその怒声内容!では、その内容とは?その前に、何故そのオバさんは怒鳴っていたのでしょう?答は「前に座っているオヤジが寝ていたから」…。ここで皆さんは、こう思うでしょう。「何で寝ているだけで怒声を浴びせられるの?」と。そこにこそ、我々がフリーズした原因があるのです。そのオバさんの怒声内容は…「顔が気持ち悪いんで下向いてくれます?」。

 どうやらそのオヤジ、顔をあげて寝ていたようなんですが…。まあ、よくいますよね、車中で顔をあげて寝ている人。確かにあまりいい顔とはなっていないようで。どんなカッコいい彼も、どんなに素敵な彼女も、電車の中で顔をあげて寝ている時は〝百年の恋も冷める顔〟となっている場合がほとんどのようで。あまり他人に見せられるシロモノでないことは確かなようです。で、その顔をあげて寝ていたオヤジの前に立ったものですから、〝百年の恋も冷める顔〟が、否が応でも目に入ることになったのでしょう。確かに〝百年の恋も冷める顔〟ですから、あまり心地いいものではないかもしれませんし、目線的にもそのオバさんの顔を見上げるような感じになっていたのかもしれません。でも、まあ電車の中では良くあることで、さして気にすることでもないような…。ましてや悪いことをしているわけでも(オヤジはただ寝ているだけですからね)、迷惑をかけているわけでもないのですから、別に怒声を浴びせる必要はないような…。おまけに、その怒声の内容ときたら…「顔が気持ち悪いんで下向いてくれます?」ですからね。当然、寝ていたオヤジですから(そのオバさんは、わざわざオヤジを起こして言ったみたいですが)、いきなりそんなこと言われて、何が何やら分かっていないといったご様子。そこでさらにオバさん、分かっていないオヤジに分からせるためか、語尾を荒げてもう一度「顔が気持ち悪いんで下向いて下さい!!」。車内には「わ~っ、何いってんだこのオバさん!」という雰囲気でフリーズする人々。オヤジも寝顔のことを言われていると分かったのか「あっ…ああ」と、何とも腑に落ちない(まあ、そりゃあそうでしょうね)返事。そんな車内のフリーズした空気をよそに、そのオバさん、さらに追い打ちをかけてしゃべる、しゃべる!「すっごい公害!」「やめて欲しい、そういう顔!」「朝から何なの!」「何で私がこんな目に会わなきゃいけないの!」「ホントにもう止めてほしい!」「全く何考えてるの!」「朝からすっごい不愉快!」「何なのよコレ!」etc…。

 まあなぁ…気持がわからんでもないけど…。寝ているオヤジの顔に、そこまで言うか、普通?つうか、人の顔に対して「公害」とか「気持ち悪い」とかは、言ってはいけないのではないか?そのオバさん、前述のようにとっても常識人に見えたんだけども…。確かに〝百年の恋も冷める顔〟となっていたかもしれないけれど、オヤジはただ寝ていただけだし、あえてその顔をオバさんに見せようとしたわけではないんだから…。そこまでボロクソに言うのは、どうなんだろう?っていうか、やっぱり普通は我慢するというか、車内ではそんなこと気にしないよなぁ…。オバさんは、〝百年の恋も冷める顔〟を見せられた自分は、この上ない被害者だと思っていたみたいだけど…今回の事件での一番の被害者は、どう考えてもただ寝ているだけで、大勢の人の前で罵倒されたオヤジだろうな。まあ、そんなこんなを見聞きさせられて、重い空気の中フリーズさせられっぱなしの我々も、被害者といえば被害者だわな。

 〝百年の恋も冷める顔事件〟は、今回たまたま総武線の中で勃発した事件なんですが…。もちろん「希有な事件が起きた時、その事件と地域性は必ず関係している」とは言いません。地域制なぞ関係なく、希有な事件というのはおきますから。おそらく、似たような事件は、他の路線でも起きているんでしょうね。皆さんはこういう事件に遭遇したことはあります?私は今回が初めてだったので、ちょっと面喰ってしまったのですが…。

 でも、こんな事件が総武線も含め、他の色々な路線で起こっているとしたら…。あのような〝憤怒の怒声オバさん〟が沢山いるということで…。これはこれで怖いと思う今日この頃。そんなオバさんに遭遇するくらいなら、寝ているオヤジの〝百年の恋も冷める顔〟を見ている方が、まだマシかな…なんて思ったりもします(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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そりゃねえだろオヤジ・・・・・

 皆さんは、どこで散髪していますか?私は以前は〝散髪は地元でするもの〟と勝手に思い込んでおりまして、現在、住んでいる街で散髪しておりました。もちろん、普段は学校で働いているもんですから、就業後、地元に帰って散髪するという感じです(ちなみに休日の床屋さんは混んでいるので好きではありません:笑)。就業後ですから、時間的には当然夜になってしまいます。で、地元の床屋さんが「19:30まで」なんていうことになると、終業後、あわてて帰るはめに。「散髪する日は大変だ…」などと勝手に思い込んでいましたが、よくよく考えると床屋さんはどこにでもあるもの。あえて地元で散髪する必要もないような…。ということで、ここ近年は学校のそばの床屋さんで散髪したり、通勤途中で散髪したりなどという状況でした。

 で、ここ浅草橋に来てからも、その考えは変わらず「新しい床屋さん探さなきゃだな」などとと思っておりました。幸い、我が薬進塾からそう遠くない場所に良さげな床屋さんを発見したもので「ここだ!」と思い散髪に行ったところ…なかなかGoodなお店で、すっかり気に入ってしまいました。実は私は長髪が好きなもので、大学生のころなぞは、年に3回位しか散髪に行っておりませんでした。もちろん社会人になると、そんなことができるはずもなく、まあ人並みには散髪に入っていたのですが、それでもどちらかといえば長めに切ってもらっていました。ところが、この浅草橋の床屋さん、ズバッと短髪に切ってしまったのです!まあ私が「前髪はこれくらい、横はこれくらい…」などという注文しかしなかったものですから、それをクリアする以外は散髪する方にお任せ状態。そんななかで「コイツにゃあ…この髪型だ」などと思い、ズバット短髪(というほどでもないが、まあ短め)にしてくれたのでしょう。はじめこそ少々の戸惑いはあったものの、すっかり気に入ってしまい「次からもあそこの床屋だな」と心に決めた次第で。

 で、先日もそこの床屋さんに行くことになったんですが…たまたま所用がありまして学校を出るのが少々遅くなってしまったのです。ちなみにその床屋さん、19:30までということで、その時はチョット急がないと間に合わないかな、という状況。で、小走りにその床屋さんまで向かったのですが、その甲斐もありどうやら間に合いそうな感じ。まあ間に合うのが確実となっても、小走りついでというか、あえて小走りを止めて歩くというのもなんですから、勢いのままに小走りで走っていたのですが…。あと2mほどで床屋さんのドア、このまま数歩で手を伸ばせばドア(ちなみに『引く』)に手が届くかな、というところまで来た時。私とは逆の方向から歩いてきていた(私と面と向かって歩いてきている状況)50代位の色白小柄なオヤジ(クールビズ)が、私を見るなりいきなり猛ダッシュで走り始めたのです!「?」と思いながらも、小走りで床屋さんに向かい、ドアに手を伸ばしたところ…そのオヤジ息を切らしながら私とドアの間に遮るように手を伸ばし、ガシッとドアノブを握りしめたのです!「えっ!?」と思っている私を一瞥するや、そのままドアを開いて店の中に!そう、床屋さんというのは基本、店の中に入った順番に散髪をしていきますよね?で、そのオヤジ、私が床屋さんの中に入ると知るや否、順番待ちなどせずに早く散髪を終えたいがために、ダッシュをかけてわれ先にと店の中に入ったようなのです。

 順番待ちがイヤなのは分かるけど…いい年して、オヤジ、そりゃあないんじゃないの?順番待ちがイヤだからって猛ダッシュをかけて、人を押しのけてまでして店に入る必要があるのか?ましてや、今まさに人がドアノブに手をかけようとした瞬間、横から割り込むように手を出してドアをゲットするなぞ、どう考えても大人のする行動…イヤ「人間としてどうかしているのでは?」という類の行為だぞ!おそらく子供だっているだろうし、下手すりゃあ孫までいるくらいのオヤジが、そんなんでいいんかい?少なくとも私よりは年上なのに、目下の人間に対しそんな非道徳的な行動をとって恥ずかしくないんかい?しかも何の言葉もなく、しれっと店の中に入っていき、さも「私が先に入りましたよ」的な振る舞いをするのはいかがなものなんだい?そこまでしても私よりも先に散髪したいんかい!?いきなりダッシュかけて走ってきてまでする〝価値があるほどのこと〟なんかい?賢明な読者の皆さんなら「散髪後に何か予定があったのでは?」と思うかもしれませんが…そんなものは全く無いようで。散髪中も床屋さんと、いかにも馴染みの客的な会話をノンビリとしていましたし、もちろん「急いでいるんで」なんて言葉は一切発していませんでした。終わってからも、のんびりゆっくり鞄をもって店から出て行きましたからね。順番待ちをするのがイヤだったのか、人よりも後になるのがイヤだったのか、はたまた「自分よりも先に入る=自分の負け」と感じる偏執的勝ち気人間だったのか…今となっては、その真相は分かりませんが、まあ私としては「そりゃあねえだろオヤジ…」と呟きながら、哀れな悲しい気持ちになってしまう事件の一つとなりました。

 そこまでしてゲットした〝私よりも先に散髪する権利〟でしたが…。店に入ってからオヤジも私も待たされること十数分。もちろん、オヤジは私よりも先に「どうぞ」と呼ばれ散髪にかかったのですが…その後十分位で私にも「どうぞ」と声がかかった次第で。私の散髪が終わったのも、そのオヤジの5分くらい後でした。まあ、全体的に見ると「散髪開始と終わりの数分の違いこそあれど、オヤジと私の散髪はほとんど変わらなかった」という結果になった次第です。あれだけダッシュをかけて、非道徳的と思える行動をとってまでして得た〝先に散髪する権利〟でしたが、「それほどのことをしてまで得る価値があったのか?」という結果にあいなった訳です。私は散髪屋を出た後、駅に向かいながら「あのオヤジ、あれだけのことをしたのに、終わり時間は大差なかったなぁ。待ち時間もそんなに変わらなかったし…。非道徳的な情けない行動を取ってまで得たものなぞ、所詮こんなもんなんだろう。道理をわきまえないで、その時その時だけの損得だけを見て、短絡的に行動しても、それ相応の結果しか得られないようになっているんだろうなぁ」と、しみじみと考えさせられました。「その時・その場だけの損得勘定で、取り乱した行動を取ることがいかに他人から見ると卑しい行動に見えるのか」ということが身にしみて感じられました。傍目八目と言いますから、自分だってもしかすると…。このオヤジを反面教師に「そりゃあねえだろ」と言われないように、損得勘定だけの取り乱した行動には十分注意したいと思っている次第です。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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いつの間に国民行事になったんだ!? ハロウィン!

 このブログでよく書きますが、我が薬進塾がある浅草橋は〝駄玩具(駄菓子屋・縁日屋台での販売がメインになる玩具)の一大問屋街〟。ましてや、薬進塾に来るための主要道路となる江戸通りは、そんな問屋さんがひしめき合っている通り。そこを歩いてくるだけでも、何となく楽しい気分になってしまいます。ちなみに駄玩具だけではなく、色々な物の卸売屋さんが多く、それはそれは「えっ!?」という値段で色々な物が購入できてしまいます。衣料品のお店で〝ワイシャツ:日本製 ¥480-〟なんてシロモノを見つけてしまうたびに、顔がほころんでしまいます(もちろん、しっかりした製品です)。「オッ良いな」なんていう服に『500円』などという値札が付いていただけで「買っちゃおう!」と衝動買いに走ってしまうのですが…。まあ、値段が値段なだけに衝動買いしても、そんなに金銭的に困ることは無いんですが、着るモノがどんどん増えてしまうのはチョット困ったものです。

 で、以前も書いたのですが、その駄玩具にも〝季節モノ〟というものがありまして、やはりこれも以前書かせていいただいたのですが、夏の盛りなんぞはそんな問屋さんの軒下には、ビーチボールがたわわに生っていました。「いました」ということですから、当然過去の話で、現在はビーチボールは収穫を終えて(?)店の中へとしまわれた模様です。その代わりと言っては何ですが…〝季節モノ・夏〟が無くなったなと思ったのもつかの間、それを凌駕するかのように一斉に現れたかと思うや否や、あっという間に問屋さんを占領せしめたモノが!その恐るべき速さと支配力で〝季節モノ・夏〟をあっという間に追いやった、恐怖のモノとは何ぞや?そう〝ハロウィン物〟なのです。もう今やどこの問屋さんも、ハロウィンハロウィンですっかりハロウィンに占領されてしまったようで、問屋さんはハロウィンカラー(黒とオレンジ色)一色(?:黒とオレンジ色だから2色か?)に染め上げられてしまっています。う~ん…スイカのビーチボールの後はハロウィン…。いつから日本の季節行事の流れは 夏関連(夏祭り、夏休み、海水浴等)→ハロウィン になったんだ?少なくとも私の子供のころは 夏関連(夏祭り、夏休み、海水浴等)→十五夜 だったような…。

 「十五夜よりハロウィンの方が先なんじゃないですか?」という人。2010年の十五夜は9月22日or 9月21日ということらしく、まあこのブログを書いているころが十五夜と言ったところでしょう。で、当然ながらハロウィンの10月31日よりも前。今年だけが十五夜の方が前かというとそうではありません。もともと十五夜というのは、新月から数えて15日目の夜のことで旧暦8月15日の夜のこと。この日は満月となるので「中秋の名月」として月を鑑賞する夜なのです(ちなみに中秋の名月が必ず満月になるとは限りません)。当然、月の満ち欠けに関することですから、十五夜の日もその年によって異なりますが…

  2001年:10月1日、2002年:9月21日、2003年:9月11日、

 2004年:9月28日、2005年:9月18日、2006年:10月6日、

 2007年:9月25日、2008年:9月14日、

 2009年:10月3日、2010年:9月21日or 22日

と、ここ十年を見たところでもハロウィンの10月31日よりも遅い日はありません(ちなみに2011年は9月12日とのこと)。どうも、その十五夜をすっ飛ばしての〝日本の秋の季節モノ:ハロウィン〟のようです。

 で、このハロウィン、いつ間に日本国民の行事としての地位というか市民権を得たんだ?先述のように、私の子供のころは無かったはず。で、調べてみると、日本では昔から何気に「アメリカの子どもたちの行う行事」として紹介はされていたようです。それが、ある映画のヒットにより定着したらしく、1990年代以降、首都圏の一部で盛んになったとのこと。まだ定着して20年くらいなんですね…。その割には席巻するのが早かったような…。まあ、御多分に洩れずハロウィンに関しても各企業が行事として盛り上げている状況が見え隠れしているようで。「Trick or treat(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」という位ですから、お菓子メーカーがハロウィンに対し、張り切っていたことも事実だと思います。実際、商業界ではバレンタインやクリスマスに次ぐ「第3の商戦」とされているそうで。やはり、行事の裏には商業戦略が見え隠れするものです。が…十五夜だって「月見団子」を食べるのでは?十五夜月見団子戦略はいかがなものなのか?私が子供のころは、団子商戦が勃発していたように思いますが…。調べてみると…もちろん、現在も各企業で団子商戦は火花を散らしているようで。各企業はもちろんのこと、街のお菓子屋さんに至るまで、団子商戦は激しいものらしいのです。なんだ、十五夜もしっかりとその根を日常にはり巡らし、一行事として盛んではないですか!ただハロウィンの宣伝の方が十五夜より派手なものだから、すっかり十五夜をすっ飛ばしているのかなと思ってしまいましたが、そんなことは無かったようで…安心しました(笑)。考えてみると、確かに十五夜はあまり派手なものではないですからね。月を見るという〝静〟の行動には、激しい宣伝なんてものは確かに似合いません。現在も十五夜がしっかりと行われており、月見団子もしっかりと売られて(食べられて?)いる…。ということは…これにハロウィンが加われば「従来の団子売上+α」でお菓子商戦を繰り出すことができるのでは…。ましてや『菓子』の方が『団子』より種類が豊富。売る方としては戦略の幅が広がるはず。さらに、ハロウィンとくれば仮装やら飾り付けやらで、様々なグッズも使われるから、お菓子メーカー以外の企業も参戦しやすい。なるほど各企業がハロウィンに力を入れるのも無理はないような…。

 そんなハロウィンですが「何故、ハロウィンは日本に定着しないのか?」と取り沙汰(とりざた)されることが多いそうです。日本でもなかなか浸透しない海外行事の一つだと。へ~、浸透していないのか…。私的に見ればすっかり浸透したと思っていたのですが…。確かにそういう自分も「ハロウィンか…」とは思ってはみるものの、今まで一度もハロウィンらしき事に関わったことが無いですからね。諸説紛々あるのですが、ハロウィンの夜には死者の霊が家族を訪ねてきたり、精霊や妖怪が出てくるとのこと。またハロウィンの日には、家族のお墓にお参りし、蝋燭をつけるという風習があるところもあるそうで。う~ん、日本でいうお盆だなコレは。お盆は、地獄の釜の蓋が開く日…死者やら精霊やらがこの世にやってくる日ですからね。お盆商戦というのもあるみたいですが…やはり、こちらも派手には宣伝されていません。日本では、お盆は静かに過ごすという風習がいまだ残っているみたいで、こちらもやはり〝静〟の行動。もしかすると、ハロウィンが今一つ日本に定着しないのは「死者やら精霊やらがこの世にやってくる日は、おとなしくしなければ…」なんていう、古くからの考えが染みついているからかもしれませんね…。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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どんどん高くなるなぁ、東京スカイツリー

 私は、あまりご時世モノにのるのが好きではないようで…。「○○が流行っている」「今△△が大人気」などといったものには、ほとんど興味を示しません。イヤ「ほとんど興味を示さない」というよりは、どちらかと言うと、そういったものは避けるようにしている方で。生まれついての天邪鬼である私にとっては、どうも皆が騒ぎ立てるモノが好きにはなれない傾向があるようです。その天邪鬼がたたってか、流行る前に「オッ、これは良い!」と思って購入したり関わってみたモノが、後ほど大ブレイクしてしまい、皆がソレに夢中になっている最中、何となく自分がミーハーになってしまったような自己嫌悪に陥ってしまうことも良くあります。

 で、まあ一時ほどの過熱状態ではないものの、いまだ話題となっているのが〝東京スカイツリー〟。以前のような連日の報道は無いにせよ、何らかの形でその話題にはチラホラと触れることの多い日常。やれ「今何m」とか、やれ「どこからがよく見える」とか、やれ「○○からも見えるようになりました」だとか、そのネタは尽きません。もちろん、人々の話題もさらっているようで、会話の中でも東京スカイツリーの名前はよく聞きます。先日も私の先輩(薬学関係者ではありません)から「東京スカイツリー、どこの駅が一番近いんだ?」なんて聞かれました。その時は「押上(ちなみに「おしあげ」と読みます。「おしがみ」や「おしうえ」ではありませんのでご注意を!)だと思いますよ」と答えたのですが…実際は業平橋(こちらは「なりひらばし」と読みます)の方が近いようです。その後も、しばし東京スカイツリーの話で先輩方と盛り上がっていました。

 で、前述のとおり、私はいわゆる〝流行りモノ〟が好きになれない方ですから、世間様が東京スカイツリーで盛り上がっていても、「それが…?」などと冷ややかな態度をとっておりました。ところが…薬進塾に来てからは、あながち冷ややかな態度を取りきれない、イヤ、どちらかと言えば何気に東京スカイツリーが気になる状況となったのです。というのも…実は薬進塾と東京スカイツリーはそう遠くない位置にあるのです。直線距離で言うならば2kmチョット。「2kmもあるの?」と思う方もいらっしゃるでしょうが…ご存じのようにあの高さです。ましてや威風堂々としたあの体格(?)。知っていましたか?東京スカイツリーは、高さだけではなく、中々どっしりとしたタワーなのですよ。実は薬進塾がお世話になっている不動産屋さんは、押上にあります。そう、東京スカイツリーの傍にある不動産屋さんなのです。薬進塾の関係で、そこの社長さんと話をしていた時、たまたま東京スカイツリーの話が出ました。で、その時こんなことを言っていたのです。「いやぁ~、東京スカイツリー見慣れちゃうと、東京タワーが華奢(きゃしゃ)に見えちゃって…」と。私はその時は大して興味はなかったので「へぇ~そうなんですか」などと答えておりました。で、ここ薬進塾に来てからは、ほとんど毎日のように東京スカイツリーを眺めることとなったのですが…。「えっ見えるんですか?」と思われた方。見えますよ。さすがに薬進塾からは直接見ることはできません(ビルの陰になってしまいます)が、それでもチョット歩けばドンと真正面に見ることができます。で、何気に東京スカイツリーを眺める日々を送っていたのですが…そんなある日、東京タワーを目にすることと相成ったのです。が…思わず脳裏に浮かんだのがアノ言葉!「東京タワーが華奢(きゃしゃ)に見えちゃって」…そう東京タワーが華奢に見えちゃったのです!「えっ!?きゃ、華奢だなぁ…あんな細い骨組だったのか…骨組みだけでスカスカの感じが…〝骨〟だけじゃなくて〝身〟は?〝身〟はないのか?」と思ってしまいました。東京タワーは鉄塔的、東京スカイツリーは建造物的といった感じですかね。〝身〟をまとっている東京スカイツリーの〝ぶっとい(太い)〟こと!東京タワーと比べると、そのドッシリ感には驚かされるものがあります。ですから、日々何気に目に入るにしても、その存在感は非常に大きいもので、どうしても気になる存在となってしまうのです。ましてや日々高くなっている。見るたびに高くなっている。こうなると、ご時世モノに無関心な私も、否が応でも東京スカイツリーに興味が…。で、見るたびに「おおっ、あそこまで出来たか」とか「あんなにクレーンが」などと驚嘆するありさま!報道なんかで「450mとなりました」なんて知ると「お~っ、高くなってるじゃん」などと、なぜか嬉しくなってしまう始末で(笑)。まあ、皆が喜んでいようがどうであろうが、自分自身喜べるものなんだから(実際喜んでいるし)良いんじゃないかな…と思っています。今回は〝ミーハーになってしまったような自己嫌悪〟も現れないみたいですから(笑)。

 「東京タワーが華奢に見える」と書きましたが、決して馬鹿にしているわけではありませんのでご注意をば!むしろ、あの構造が50年以上東京タワーを支えてきたわけですから、大したものだと感心しています。ぶっとい東京スカイツリーとは訳が違いますから。一見、華奢に見えても、あの構造には設計に関わった沢山の人の知識と技術の粋が集められているんでしょうね。2007年には「東京タワーの構造の信頼性は高い」という第三者評価を受けているそうですから。なるほど、台風にも地震にも50年以上耐えることが出来る訳です。そんなことも知ったからなんでしょうか。最近は東京スカイツリーを見ると、東京タワーも思い出してしまいます。東京スカイツリーが出来ても、東京タワーには残っていてほしいですね(「取り壊しもあり得る」という意見も一部出ているそうです。ただ、そうにしても今すぐにというわけではないそうですが…)。CMでも言っていますね「この惑星の二つのタワーはどちらもありだ」と。私もこの意見に賛成ですね。

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ブログ始めました!

先日、私達の教え子が、わざわざ薬進塾にやってきてくれました。合格の挨拶も兼ねて「薬進塾はどんなところ?」と訪れてくれたようです。薬進塾を始めてから、何人もの教え子たちがやはり挨拶も兼ねて応援にやってきてくれましたが、本当に本当にうれしい限りです。講師をやっていて「良かったなぁ」と感じることはたくさんありますが、こうやって合格した教え子たちが顔を出してくれることも、それはそれは嬉しい限りです。ましてや「(薬進塾)がんばってください」なんて言われると、嬉しさもひとしおです。

で、先日訪れてくれた教え子達といろいろ話をしているうちに、話題がブログの話になったのです。賢明な読者の皆さんはお分かりのように、当薬進塾のホームページには今までブログがありませんでした。実は我々が3月まで務めていた学校のホームページに、以前私がブログを書いていたことがあったのです。で、その学生曰く「あのブログ面白かったのに・・・毎回楽しんで読んでいました」。私も毎回楽しみながら書いていたので、そういう御意見を聞くと嬉しい限りです。実は、なんやかんやで私のブログを楽しんでいてくれた方は多かったらしく、学生達からも「読んでいますよ」なんて声をよく聞いたものです。先日は、数十年前の教え子(その後講師になり一緒に働いていたこともある人)から「ホームページ拝見しました。ブログはないんですか?」なんて御意見をば頂きました。う~ん…私も決して文章を書くことが嫌いなわけではないのですが(というか、文章を書くことは大好きです)…。

実は、薬進塾のホームページを立ち上げた時に、前に勤めていた学校のように〝ブログ〟と〝学習指導〟を載せようかとも考えたのですが(ちなみにどちらも私が担当して書いていました)、現在、何ぶんにもあれやこれや、やることが多くて…。そういった理由から「う~ん…どうしようかなぁ…チョット無理かなぁ」なんて考えているうちに、現在にいたってしまったわけです。せっかくブログを始めたのに、何週間も同じ文章が載っていて更新されていない状態になるのはイヤですし、ましてやそんな状態では読みに来てくれた人に対して申し訳ないと思うのです。でも、確かに嬉しいんですよね「読みました」なんて言ってもらえると…。そして、私的には文章が書くのが好き…とくると、やはり「薬進塾のブログを始めた方が…」なんて思い、ついには今回のブログ開設に至ったわけです。

本当は〝学習指導〟の方も載せたいんですが…イヤハヤ今の状況では、とてもそこまでは手が回りそうもありません(汗)。以前の学校のホームページに載せていたモノや、今まで行ってきた学習指導に関する記述や文章、はては依頼されて文献に載せたモノまで、学習指導に関して作成した資料は、それはそれは沢山手元にあるのです(20年近くも学習指導をやっていれば、沢山になってしまいますよね)が、やはり〝学習指導〟とうものは〝生きているモノ〟。毎回毎回、その時の状況や指導する人によって内容を変えていかなければならないのです。古いモノをそのまま載せるなんていうことは、できないものなのです。ですから〝学習指導〟の方は、もうチョット余裕ができてからということで、まずはブログの方を始めようということにさせて頂きました。

2、3日おきに…というのがBestかもしれませんが、とりあえずは一週間ごとに新しいものを載せていくという方向で始めたいと思いますので、皆さん乞うご期待をば(なるべく、その方向性を曲げないようにやっていきたいと思います:汗)!と、今まで書いてきた内容を、私の同僚講師に話したところ「私はいいと思いますよ。ただ先生が忙しいですからね…続けられるかどうかです」とのこと。的確なところに突っ込んでいる…(笑)。

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愛すべき〝夜店と駄菓子屋の駄玩具〟

 ホームページでも紹介してあるように、我が薬進塾がある浅草橋は〝問屋さん〟の多い街です。まあ、問屋さんと一口にいっても〝色々な問屋さん〟があるのですが、その〝色々な問屋さん全て〟があるのが浅草橋の特徴でもあります。中でも私の目を引くのが〝駄菓子屋系オモチャの問屋さん〟!駄菓子屋さんで売っていたり、祭りの夜店で売っているような魅力ある駄玩具(?)が、思わずヨダレが出てしまうほど種類も豊富に売っていたりします。子供の頃、大人達からは「くだらない!」の一言で片付けられてしまった駄玩具たちですが、むしろ私にはその〝くだらなさ〟が、とてもとても魅力的でした。もちろん、私の目に映るその駄玩具たちの魅力は今でも衰えを知らず、それどころかより一層の輝きを増して、私の目に飛びこんでくる有り様!アノ頃の自分にとっては高価なオモチャたちも、今の自分にとっては「大人買いしちゃおうかな」と思えるほど、リーズナブルな価格(?)に!もう、本当に「全部買っちゃおうかな」などと考えている次第で。確かに「くだらない!」といってしまえば、それまでのモノかもしれません。でも、それはそれなりの遊びつき方を考えたりしたもので、やはりそれはそれなりに楽しいモノだったんですよね。

 私なんかは子供の頃から探究心というか好奇心旺盛で、とにかく「このオモチャは、どんな仕組みになっているんだろうか?」が知りたくて、知りたくてたまりませんでした。で、分解してみて「なるほど、こういう風になっているのか!」などと、よく感激し納得したものです。複雑に見える動きも、実は非常に単純な作りだったり、本当に少ない部品からなっていたりと、その驚きというか感銘は今でも忘れることが出来ず、脳裏にしっかりと焼きついています。もっとも、分解したはいいものの、所詮は子供。悲しいかなソレを元に戻すことが出来ずに、四苦八苦するなどということは日常茶飯事。何とか元に戻したと思っても、分解する前よりも妙に動きが早かったり、もちろん動かなくなったりということもこれまた日常茶飯事で、よく親や親戚から「すぐに壊してしまって・・・モノを大事にしない子だ!」などと怒られておりました。

 で、駄菓子屋さんや祭りの夜店で売っている駄玩具なんですが、こちらは分解してもさして苦もなく元に戻すことが出来たんですよね。まあ、それほど単純な作りだったんでしょう。中には、分解しなくて外から見るだけで、その仕組みが分かったりするものもあって。それでいて、元に戻すことが出来ない高度な(?)オモチャには引けもとらぬほどの、イヤ中にはそれ以上の仕組みや細工を施しているものがたくさんたくさんあったものです。「単純だけど、奥が深い」とでもいうのでしょうか。「こんな簡単な小細工でこんな動きが出来るなんて」と衝撃を受けたことも一度や二度なんてものじゃありませんでした。「やたら部品を多く使って、正確・緻密な動きをさせる」ことも確かにすごいことでしょうが、「少ない部品で、単純な動きではあるが、面白く・今までにない動きをさせる」ことの方が、よっぽど人をひきつけるような気がしますし、少なくとも私はそちらの方が好きです。その、あまりに単純な仕組みと、その動きで織り成す目的のちゃちさに、大人からは「くだらない」の声が出たのでしょうが、私は決してくだらないとは思っていません。むしろ「よくこんな動きをさせるために、こんな方法を、しかも単純な方法で思いついた!」と絶賛したいくらいです。まあ、こういった小細工の集大成が〝職人の国ニッポン〟を作ってきたんでしょうけどね・・・。

 久しくお目にはかからなかった駄玩具ですが、今もこうしてしっかりと売られていることはうれしい限りです。時代とともに、すっかり姿を消したかと思っていましたから!年月は経てど、さして変わらぬ姿で売られている駄玩具たちには、やはり昔と変わらぬ「職人大国ニッポンのカラクリ」が生かされているのでしょう。これからも、ずっとずっと変わらずに〝職人大国ニッポンの駄玩具〟として残っていってほしいものです。もっとも、ずっとずっと変わらずに駄玩具に目の色を変えている私は、少しは成長した方が良いのかもしれませんが・・・(笑)。

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たどり来て、未だ山麓

 私が大好きな升田幸三先生のお言葉。〝先生〟といっても薬剤師国家試験の先生ではありませんし、薬学の先生でもありません。もちろん、私は何の手ほどきを受けたこともありません。升田幸三先生は、将棋棋士で実力制第4代名人、日本将棋界の歴史を語る上で、欠かすことができない人物です。将棋の強さもさることながら、その人物、生き方の豪快さはとても魅力的!将棋以外の武勇伝も沢山あり、私はすっかり惚れ込んでしまい、恐れ多くも勝手に師と仰いでいる始末です。そういう私はほとんど将棋ができませんが、そんな〝将棋超初心者〟の私でさえも、すっかりほれ込んでしまうほどの、魅力的なお方なのです(ちなみに以前は全く将棋が指せませんでしたが、升田先生にほれ込んで勉強し始めました)。升田先生の書かれた本を何冊か読ませていただきましたが、豪快かつ大胆にして理論的な〝升田幸三〟という人物に、前述のごとく惚れ込んでてしまう結果となったのです。

 そんなお方ですから、当然、将棋の強さも棋士の中で群を抜いており、様々な偉業を成し遂げています。その偉業の一つが、将棋史上初の三冠(名人・王将・九段)制覇。この偉業を成し遂げた時に言った言葉が「たどり来て、未だ山麓」です。当時、誰もが無しえなかった三冠という偉業。この素晴らしい偉業を成し遂げたのに「三冠という最高峰(山の中でいちばん高い峰)に登りついたと思ったが、そこはいまだ麓(山の下の方)」つまり「ここまで登って来たけれども、まだまだだな」と言っているのです。〝豪快かつ大胆、されど謙虚〟といったところでしょう。なるほど、並みの強さではないはずです。

 講師の仕事を長く続けていると、この「たどり来て、未だ山麓」といった言葉が、身にしみてわかります。自分の教える教科を勉強して、資料を作成して、講義を組み立てて…。何年も教えている教科であっても、もちろん勉強しなおして、資料を作成しなおして、また新たな講義を組み立てて…とやっていきます。「よし、完璧だ!」なんて思ってはみものの、講義が終わった後には「ここをこうすれば…」「あそこはこうするべき…」「ここの説明は…」なんて反省点というか、課題は沢山出てきます。そうやって何年も何年もかけて講義というものを組み立ててきたんですが…「たどり来て、未だ山麓」といったところです。

 「たどり来て、未だ山麓」に関して、何やら「仕事は次から次へとやることが出てくるから、これで終わりなんてないんだよ。大変だァ~」的なニュアンスになってしまいましたが…実は「たどり来て、未だ山麓」は受験生にとっては、ものすごく大切な言葉なのです。私は学習指導でよくこういうことを言います。 「まあ、コレくらいの点数取っていれば良いだろう」といった考えは今すぐ捨ててください。「こんなもんだな」と自分でゴールを決めている限り、そのもっと先にある、国家試験合格へのゴールへは決してたどり着きません。

 勉強することに対して、自分で「こんなもんだろう」とゴールを決めている限り、成績は伸びませんよということです。出来る人に限って、テストで何点取ろうが、講義で多くのことを身に付けようが、決して納得しません。「まだまだ」と次のステップへ駆けあがろうとします。国家試験では何が起こるか分かりません。どんな国家試験であろうと、合格しなければなりません。そのためには「こんなもんでいいだろう」ではなく、「これも覚えなきゃ」「これも出来るようにしておいた方がいい」と様々な場合に対応できるように、学力を鍛錬していかなければならないのです。試験に合格するための、学習ラインは存在しません。つまり「これだけやれば、絶対合格しますよ」なんてラインは存在しないのです。ラインがない以上、学習し続けなければなりません。1つでも多くのことを理解して身につけていかなければなりません。まさに「たどり来て、未だ山麓」。 「ここまで勉強してきて、ある程度学力は身に付いたけれども、まだまだ」といった気持ちを忘れずに、国家試験対策を進めていって下さい。

 やはり升田先生の言葉に「勝負は、その勝負の前についている」という言葉があります。これもとても奥が深い言葉です。〝勝負の前〟とは何でしょう?それは、その勝負に対する取り組み方、すなわち「どう勝負すればいいか」という作戦であり、そのための訓練であり、勝負のための意気込みであり、etc…。「勝負時の要因が勝敗を決するのではなく、その前の〝勝負に対する取り組み方〟が勝敗を決する大きな要因なのだ」ということです。そして、これも受験生にとっては、ものすごく大切な言葉です。試験の時だけが重要なのではなく〝試験の前〟すなわち「どのように試験対策を行っていくか」という作戦や、そのための学習、合格するための意気込み…。そういったものがしっかり成されていれば、合格へと自然に導かれるだろう、ということも、この言葉は表しているのです。この言葉をしっかりと噛みしめて、国家試験対策を行っていって下さい。もちろん「試験対策をこれだけやっておけば大丈夫!試験前に、もう受かったようなもんだ!」とならないように「たどり来て、未だ山麓」という言葉も、しっかり認識しておいてください。

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継続は力なり・・・・とハリス先生が言っていました。

 J.B.ハリス先生をご存知ですか?「大学受験ラジオ講座」で英語を教えていた先生で、私が受験勉強をしているときは、大人気の先生でした。「大学受験ラジオ講座」だけではなく「ハリスの英単語」や「100万人の英語」など『日本における英語』においては大活躍の先生でした。

 そんなハリス先生の言った言葉で今も私の耳に残っている言葉が「継続は力なり」という言葉。

 「小さなことでも、続けていれば、いつかは大きな力となり、大事業を成し遂げられる」という意味ですが「毎日の勉強の積み重ねが学力向上につながり、思いを遂げることが出来るんだよ」と受験生を励まして指導してくれたのでしょう。

 我が薬進塾の半年コースも今日から始まり、新しい学生さんが加わることとなりました。私はここ数年、新しい講座が始まるたびに、新しい学生さんに受講マニュアルを配り「これからはこうやって勉強していって下さい」という学習指導をしております(そのマニュアルも、私の手元を離れてあちらこちらで活躍(?)しているみたいですが…)。その中でも毎回言っていることというか…私の学習指導の根幹にあることに「毎日勉強してください」ということがあります(まあ今の時期はまだ日曜日はお休みでも大丈夫ですが…)。とにかく毎日勉強を続けること。これは受験生すべてに共通して言える、試験対策の最も基礎となることなのです。何故ならば、毎日勉強することによって、見えてくること、得られるものが沢山あるからです。

 およそ何に関しても言えることですが、「継続する・続ける」ということは非常に大事なことです。初めは分からなくても、上手くいかなくても、続けているうちに何らかの結果が出て、方向性が見えてくる。こんなことは誰にでもある経験です。確かにすぐに成果を求めたがる人にとって、最初のうちの手ごたえのなさは、不安の種でしかありません。でも、そこで諦めてしまっては、また一からやり直しとなってしまいますし、あれやこれやと手を出して、結局はすべてが中途半端になってしまっては、その全てが水の泡となってしまいます(中途半端なものを、いくつ集めても〝完璧なモノ〟にはならないということを、肝に銘じておいてください!)。すぐに成果が出なくても、とにかく続けていくことが重要なのです。続けていれば、必ず何かしらの結果は出るからです。「でも続けていても、成果が表れなかったらどうすればいいの?」という人。それが結果です。〝この方法でやっていても、今一つ成果として表れてこない〟という結果なのです。その時は、そのやり方を変えてみたり、相談するなりして調整していけばいいのです。

 しかし、続けてやっていない人はそういった結果も出ないわけですから、アドバイスする側としては、なかなか厄介なこととなってしまいます。勉強をやっていない人に「あなたの勉強のやり方は…」なんて指導はできないでしょ?やっていないんだから。だから、そういう人に対する指導は「とりあえず勉強やってよ。それじゃないと指導も難しいよ」という、指導と言えるのかどうかわからない代物となってしまうのです。続けて毎日やっていればこそ、何かしらの結果(それが例え好ましくない結果であっても)が表れ、それをもとに色々と自分で調整したり、人からアドバイスを受けることができるのです。そうして少しずつ、自分のやり方を確かなものに、効率のいいものにしていかなければならないのです。勉強、特に試験勉強というものは、そうやって少し少し自分のやりやすいよう、効率のいいように調整して進めていかなければならないものなのです。そして、そのためには「毎日勉強する」ということが非常に重要になってくるのです。

 そろそろ国家試験勉強を始めようという人。忘れないでください。毎日勉強するということが、いかに大切なのかということを。そして毎日続けているうちに、必ず何らかの結果が出るということを。その結果から「国家試験合格への道のりをどう歩んでいけばいいのか」を導き出せるということを。まずは千里の道も一歩からです。とりあえずは勉強の方、始めてみてください。

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カレーを食べると眠くなる!?

 昨年度まで私が勤めていた学校の近くに、美味しいカレー屋さんがありました。まあ、近くとはいっても歩いて15分近くはかかるのですが、そこは美味しいものを食べるため、2週間に一度のペースで通ったものです。実はそのカレー屋さん、なんと私が学生のころから既に存在しておりまして、もちろん学生のころもよく通っていたお店だったのです。で、数十年ぶりにたまたま職場がそばになったもので「あのカレー屋さん、どうなったかな?隣でやっていた同系列のとんかつ屋さんはどうなのかな?」などと思い行ってみたところ…隣のとんかつ屋さん(そのカレー屋主人の奥さんがやっていたと思います)は無くなっていたのですが…カレー屋さんの方は立派に存在しておりました!それどころか、以前にもまして繁盛しているご様子で、それはそれは嬉しい限り。さらに注文したカツカレーが以前とは変わらぬ美味しいカツカレーで、さらにさらに〝嬉しさ満点〟でした。で、前述のごとく最低でも2週間に一度は足を運ぶお店、となったわけです。

 そのカレー屋さんに足げに通っていた頃、午後の仕事中にやたら眠くなることがありました。まあ、学生さんに限らず(?)たいていの人間はご飯を食べた後は眠くなるものです。もちろん私も御多分にもれず、昼食後眠くなることは、よくあるのですが…。その時の〝眠気〟は、いつもより〝大盛りの眠気(?)〟という感じなのです。「どうして、こんなに眠いんだろう」と、その原因をアレやコレやと詮索してみることもしばしばありました。その詮索の成果かどうかはいざ知らず、ある日発見したのです!大盛りの眠気がやって来る時の共通点を!それは「大盛りの眠気がやって来る時」は「昼食にあのカレーを食べた時」だったということ!あのカレーを食べると眠くなる…。因果関係は全くの不明でしたが「あそこのカレーを食べると、眠くなるんだなぁ」と、なんだか妙に納得したものでした。

 で、薬進塾に移ってからというものは、そのカレー屋さんは遠く離れてしまい、とてもじゃないけど歩いていける距離ではなくなってしまいました。「あそこのカレーが食べたいなァ」と思うこともしばしばあるのですが、昼食にちょっと食べにいくというのは難しい。じゃあ、あの店のカレーじゃなくても…ということで薬進塾近くでカレーをやっている店に行ったのですが、そこのカレーも美味しいカレーで、やはり足げに通うこととなりました。さらに、最近は新しいカレー屋さんもできたので、そちらのカレーも堪能している次第です。

 そんなある日、突然、例の〝大盛りの眠気〟が仕事中にやってきたのです。「久しぶりにやたら眠いなぁ…何でかな?」なんて思ってはいたものの、その後もしばしば〝大盛りの眠気〟がやってくる。こうなるとやはり考えてしまう「なぜ、こんなに眠いんだろう?」と。で、前回と同じように、ある日フト気付いたのです。この〝大盛りの眠気〟がやってくるのは「昼食にカレーを食べた後」だということを!昼食にカレーを食べた午後は眠くなる…何もあの〝昔からやっている老舗のカレー屋さん〟のカレーだけが原因だったわけではなかったのです。カレー自身が原因だったことが発見できたのです!と、ここで「待てよ?カレー自身が原因か?っていうかカレーを食べたら眠くなるのか?そんな自分一人の判断だけで、カレーに汚名(?)を着せていいのか?」と思い、そこは人にものを教える仕事をしている人間、やはり裏付けが必要と思い、調べてみる結果となったのですが…調べてみたらビックリ!「カレー 眠くなる」とGooglで検索してみたところ約 576,000 件くらいのヒット数!ましてや「カレー 眠くなる」が検索キーワードで存在している始末!!「うあ~ッ!こりゃあ自分が知らなかっただけで、カレーを食べると眠くなることは有名なことだったのか?」と思わず、自分の知識の浅はかさを思い知らされてしまった次第で。

 で、皆さんは知っていました?「カレーを食べると眠くなる」って?でも何故…?単にネットでの検索数が多いからといって、それは「カレーを食べると眠くなる」ということを検索する人の数が多いだけであって、「カレーを食べると眠くなる」という現象の説明にはなっていません(もちろん検索する人が多いということは「カレーを食べる=眠くなる」という人が多いという、事例の多さは物語っていますが…)。で、ネットを頼りに色々調べてみると…。どうやら、カレーを食べると眠くなる理由(正しいか正しくないかはさておき)は、次の2説に絞られるようです。

 ① カレーの香辛料に眠くなる原因がある。

 ② カレーライスに含まれる炭水化物の多さに原因がある。

 とのこと…。まあ作用機序というか、理屈は色々あるみたいなんですが…やはり、ここは薬剤師国家試験対策予備校のホームページ。科学的・医学的に明確ではない説明や理由を載せるのはあまり芳しくないと思いますので、興味がある人は各自調べてみてください。「!」「?」「!?」なんていう説明・理由が、それこそ大盛りですから(笑)。

 とにもかくにも、私としては〝カレーを食べると眠くなる同志〟が沢山おられた、ということが嬉しい限りで。やはり、自分だけ眠くなるのは何となく罪悪感が…(笑)。「カレーを食べると眠くなる?何をたわごと言ってるんだ、お前の気が緩んでいるだけだ!」なんて一喝されそうですから(笑)。多くの同志がいるということは心強いものです。ただ、やはり科学的・医学的に明確な理由は確立されていないようですから「カレーを食べる=眠くなる」の理論を持ち出すことによって、「カレーを食べたんだから、仕事中眠いのは仕方がない!」と眠気を正当化させることは、ちょっと無理のようです。やはり、ここはひとつ気合いで、眠気を乗り切るしかなさそうですね(笑)。

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ビーチボールは何故スイカを模すのか?

 私は人と観念が違うようで。まあ幼きころからそれには気が付いていたようですし、この年になると「どうやら完全に人とは違うようだな」なんて変に納得してみたりもする始末。だからと言って特別困る事もありませんし…まあ強いて困ることと言えば、観念の違いからくる意思の疎通のズレくらいですかね。これに関しても「何を考えているの?分かっているの?」と疎通のできなかった気の短い人にキツく言われたときに「スイマセン」とこちらが頭を下げさえすれば、さほど問題にならないことですから、やはり特別困るということでもありません。確かに以前は「イヤ、だからそこの所をこう考えたら、こうなるだろう?それを言っているんだよ!」などと腹立たしくも思いましたが、今では「考えすぎたか」「読みすぎたか」と苦笑いして反省するに至っております。

 で、観念が人とは違うためでしょうか、人があまり気にならないことや気にしないことに関して、どうも目を向けて考えてしまう傾向があるみたいで。何でだろうと考えて、周りの人に問うてみたりもするのですが、ちょっと怪訝な顔をされて「さあ何ででしょう?考えたこともありません…」と言われる始末。まあ言い方を変えれば、そんな〝どうでもいい事〟を考えこんでしまう変人と言えば変人なんでしょうけどね(笑)。

 例えば前々から気になっていることなのですが…ベビーウェアのフードや赤ちゃんのかぶる帽子には、まず耳が付いている。あれは、なぜ耳が付いているんでしょうね?それも動物の耳を模したヤツが、動物の耳のように付いていますよね?あれは何故なんでしょう?「かわいいからでしょ?」それは分かりますし、この問いを投げかけた人の100%がこの答をあげることから、まんざらこの答が違わなくもないような気もします。でも本当に〝かわいいから〟だけなんでしょうかね?その理由だけで、あんなにも普及というか広まるものなんでしょうか?耳をつけるだけの労力や経費を考慮しても、つけるに値すると判断されるからこそ付けているんですよね?もしかしたら〝かわいい〟以上に、重大な理由があるのかも…。もし「何故、赤ちゃんのかぶり物には耳が付いているのか?」の〝かわいいから〟以外の理由を知っている人がいたら、ぜひ教えて下さい!

 他にもいくつか気になることはあるのですが…。前のブログにも書いたように、我が薬進塾がある浅草橋は〝駄玩具(駄菓子屋・縁日屋台での販売がメインになる玩具)の一大問屋街〟です。駄玩具といっても、それはそれは奥が深く、一般玩具(?)に引けを取らないのは前回のブログに書いたとおり。当然、一般玩具と同じように、駄玩具にも季節ものは沢山あります。そんな季節モノの中でも目を引くのが、ビーチボール。ビーチボールが駄玩具かどうかの判別は難しいのですが…それはさておき、問屋さんの軒先や店内にはたくさんぶら下がっています。まあ、今が旬(?)ですからね、ビーチボールは。で、私は毎年思うのですが…何故、ビーチボールはスイカを模すのでしょうか?「丸いから」「夏だから」といった返答がされることは至極承知のこと。スイカは丸い。ビーチボールも丸い。スイカは夏の食べ物。ビーチボールも夏に使うもの。だからビーチボールはスイカを模する…。確かに納得はしますが、では夏にちなんだ丸いものは他には無いのでしょうか?夏の食べ物で丸いものは無いのか…と言えば、そうではないはず。夏が旬の果物といえば…あんず、かぼす、巨峰、さくらんぼ、すいか、すもも、パイナップル、マンゴー、もも、メロンなどなど。果物かどうかチョット怪しいけど梅やトマトも夏が旬。う~ん…パイナップル以外は、ほぼ球体ではないのか?メロンなんか結構ビーチボールでいけるのではないか?確かに〝球体〟に一番近いといえばスイカだろう。マンゴーを球体のビーチボールで表現するのは、チョット難しいかもしれない。表現といえば柄的(デザイン的か?)にも、スイカ柄は表現しやすいかもしれない。巨峰をビーチボール化しても、ただの紫の球だ。それを見て「巨峰のビーチボールだ!」なんて思う人など皆無に等しいだろう。メロンではどうだ?メロン柄はいけるのではないか?メロン柄と言えば…まあメロンにもいくつかあるが、やはり代表的なメロン柄は〝網目(ネット)〟だろう。なにせ「ネット(網目)を生じるもの(ネットメロン)と生じないもの(ノーネットメロン)」といった〝メロン分類〟があるくらいだ。じゃあ、ネット模様の〝メロンビーチボール〟はいけるのではないか?ネット模様…。う~ん…チョット目立ちにくい模様ではないのか?手にとって間近で見れば分かるかもしれないが、遠くから見た分には〝模様〟というよりは〝色〟として捉えられる可能性が大だ。どんなに網目の色を濃くしても、スイカ柄ほどの〝視認性〟は得られないだろう。ましてやビーチボールは、距離を置いて使用する(?)もの。離れていても、何か分かる柄でなければならない…。

 なるほど、ここに「ビーチボールは何故スイカを模すのか?」の答があったのですね。すなわち

① ビーチボールもスイカも旬は夏だから、ビーチボールをスイカで表すことで夏を強調できる。
② 夏が旬な果物は沢山あるが、ビーチボールのような球体で表現できる果物は限られてくる。
③ たとえ球体の果物であっても、スイカのように柄でハッキリと表現できる果物がほとんどない。離れて使用するなら、なおさらである。

といったところなのでしょう。考えれば奥は深かった…。

 先日、問屋さんの店先にスイカのビーチボールがぶら下がっていました。「おっ、スイカのビーチボールか
…」などと思ってみてたところ…ゆっくりと回転したスイカビーチボールの半分が柄無。無地ではなく、透明なビニールでできていました。「半分がスイカ柄、あと半分は透明なビニールでできたビーチボール…何だコレは?」と思っていたところ、さらに回転したビーチボールを見て納得!半分がスイカ柄、あと半分が透明なビニールでできたビーチボールの中には〝仕切り〟が入っていたのです。丁度、スイカ柄部分と透明部分を仕切るように真ん中に。そして、その仕切りには…なんとスイカの断面図が印刷されていました!そう、そのビーチボールは〝半分に切ったスイカ〟を表していたのです!これには、さすがの私も感銘を受けました(ちなみに名前は「ビーチボール カットスイカ」というそうです)。子供のころから見飽きているスイカのビーチボールですが、こんな風に進化していたんですね(笑)。別に今までの柄でやっていたところで、何の支障もないと思うのですが、やはり作っている人たちはそうじゃなかったのでしょう。「何か新しいものを」「今までとは違う何かを」と常日頃、切磋琢磨しているんでしょうね。たかがビーチボール。でも、作る側にとっては〝自分たちの立派な作品・商品〟。「問題ないから、このままでいいいや」ではなく、何らかの新しい方向性や切り口を見出していかねばと思っているのでしょう。前回のブログにも書いたように、熱い職人魂を持っているんでしょうね。「自分もこの人たちの〝職人魂〟を見習わなければ!」と思う今日この頃です。自分としては、まず〝半分に切ったスイカを表したビーチボールを考えることができる柔軟な観念〟をモノにしたいなと思ってます。それくらい衝撃的でしたから「ビーチボール カットスイカ」は(笑)。

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2010年5月26日 | コメントは受け付けていません。 |

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